12 / 134
第一章
2歳児
しおりを挟む
(あ――見たくないなー……あっち見たくないけど……エラルドもネルスもあっち見てるなー)
のんびり過ごしている時に、寝ていたはずの我が子の泣き声が聞こえた時のようだ。
気のせいにしたい。
気のせいにしたいが無理だ。
聞いてしまったら確認するしかない。
気にはなるし。
意を決して深呼吸をする。
何が起こっているかだいたい想像が出来てしまうが、何を見ても野次馬になろう。
私は3年間、平穏無事に学生生活を過ごすのだ。
食堂が静まり返る中、音のした方へと目線をやる。
離れた席で前回と同じく怒り心頭、という風に立っているアレハンドロ皇太子。
床に飛び散っている料理と食器の破片。
(食事を床に投げ捨てただと)
分かってはいたが、実際に目にしてしまうと頭に血が昇るのを感じる。
先程の皇太子と同じテンションで「何やってんだお前ぇ!!」と叫びたい。
(落ち着け、6秒、6秒数えるんだ…)
怒りというものは6秒で乗り切れるらしいと何か本で読んだことがある気がする。
卓を掴んで呼吸を整える。
いーち。
慌ててこの食堂の責任者らしき人がやってきた。
にーい。
頭を下げて事情を確認するその人を怒鳴りつける皇太子。
さーん。
エビは見るのも不快だなんだと聞こえてくる。
しーい。
やっぱり土下座になっちゃう責任者らしき人。
ごーお。
解雇だなんだと聞こえる。
ろーく。
落ちた料理を踏んだ!
「1秒毎にどんどん状況を悪化させるな!!」
遂に、ネルスの前で今まで築き上げていた「事勿れ主義のシン・デルフィニウム」らしからぬ勢いで声を荒げて立ち上がってしまった。
相手に言葉を伝えるのに怒鳴る必要はないのに。怒鳴ったら負けなのに。
当然、皇太子含め食堂に居た全員の視線を集めた。
「……また貴様か」
嫌そうに眉を顰めて皇太子は腕を組んだ。
(またかはこっちの台詞なんだよこのバカバーカバーカ!! 料理を作る方の気持ちを考えたことあんのかバーカアーホ美味しいっていってくれるかなとか考えて作るんだぞ食べてもらえなかったら悲しいんだぞうんざりするんだぞてかその前に食べ物もったいないつらいってなるんだぞボーケナース!!)
頭に血が昇りすぎて言葉がまとまらない。
気に入らないからひっくり返す、2歳児レベルの相手にそれを煽る7歳児レベルの罵倒の言葉しか思いつかない。
それでも声を上げたからには何か言わなくては。
周りも、特に責任者らしき人の眼差しからは
(頼むなんとかしてくれ!)
という期待すら感じる。
待てよどんだけ朝の皇太子尻叩き事件の噂回ってんだよ。
なんとか重い口を開いた。
「アレハンドロ……」
「恐れながら申し上げます!!」
何か言う前に、近く、いや、同じテーブルから声が響いた。
やたらと言葉を遮られる日だ。
皇太子の視線が私からそちらへと移る。
「なんだ貴様」
「偉大なる我らが皇太子殿下。私はクリサンセマム侯爵家の末弟、ネルスと申します」
威圧的な皇太子に向かってネルスは胸に手を当て、礼をして名乗る。
そしてそのまま勇敢にも近づいていった。
(ネールースー! やーめーてー! 私がなんとかするからやめてー!!)
心の中で叫ぼうとも聞こえる訳がない。
しかし名乗ってしまった以上は逃げ場はなく、見守るしかなかった。
いざとなったらネルスを連れてどこかへ逃げよう。
自分の時よりも心臓がうるさい。怖い。
地面に膝をついている責任者の前に庇うようにネルスは立ち、そして片膝を着く。
再び頭を下げる様子を見て、皇太子は黙って椅子に座り脚を組んだ。
(偉っそうーーっ)
偉いのだが。
「申し上げにくいのですが、皇太子殿下。流石に、今回のことはこちらの食堂の料理人たちに非はないと存じます」
「何故そう思う」
ネルスが緊張しているのが伝わる。
いつもまっすぐ響く声の語尾が僅かに震えている。
すぐ隣にいって「何故じゃねぇんだわ!」と殴りたい。
いや、殴っても負けだ。我慢だ。
脳内で叫び暴れながら見守る私とは違い、ネルスは落ち着いた声で続けた。
「ここで働くのは多くの生徒に食事を提供する料理人。皇太子殿下専属の料理人ではありません。当然、この大人数に対して、一人一人の好みに合わせて食事を作るのは難しい」
(なるほど。それはそう。私が言いたいのはそこじゃないけどネルスの方が皇太子を納得させられそうだな)
皇太子に食事を作る人間の気持ちとか、材料を作った人の気持ちとか、食べ物のありがたみとか、そういったことを説明しても「それがどうした」となりそうだ。
流石にそんなことは言われなくても理解はしているだろうし。
ネルスの言うことの方が論理的で、今この場に合っている気がする。
皇太子も怒り出す様子は今のところはない。
私は少し肩の力が抜けた。
「それに対して先程のお怒りは、その、誠に申し上げにくいのですが! 僅かでも気に入らないと癇癪を起こす、に、に、2歳程の幼子と同じでございます……っ!」
「な……っ」
「あはは! 2歳!!」
(え、エラルド笑っちゃった!)
踏ん反り返っていた皇太子の表情が歪んだ。
しかし、ここまで言ってしまえば踏ん切りがついたのか、ネルスは遠目からも分かるほどに深呼吸すると、顔を上げて声を張った。
「この公衆の面前での皿を投げ捨てる行為は、皇太子の御威光にも関わります! どうかこの場は怒りをお収め下さい!」
「……っ!」
のんびり過ごしている時に、寝ていたはずの我が子の泣き声が聞こえた時のようだ。
気のせいにしたい。
気のせいにしたいが無理だ。
聞いてしまったら確認するしかない。
気にはなるし。
意を決して深呼吸をする。
何が起こっているかだいたい想像が出来てしまうが、何を見ても野次馬になろう。
私は3年間、平穏無事に学生生活を過ごすのだ。
食堂が静まり返る中、音のした方へと目線をやる。
離れた席で前回と同じく怒り心頭、という風に立っているアレハンドロ皇太子。
床に飛び散っている料理と食器の破片。
(食事を床に投げ捨てただと)
分かってはいたが、実際に目にしてしまうと頭に血が昇るのを感じる。
先程の皇太子と同じテンションで「何やってんだお前ぇ!!」と叫びたい。
(落ち着け、6秒、6秒数えるんだ…)
怒りというものは6秒で乗り切れるらしいと何か本で読んだことがある気がする。
卓を掴んで呼吸を整える。
いーち。
慌ててこの食堂の責任者らしき人がやってきた。
にーい。
頭を下げて事情を確認するその人を怒鳴りつける皇太子。
さーん。
エビは見るのも不快だなんだと聞こえてくる。
しーい。
やっぱり土下座になっちゃう責任者らしき人。
ごーお。
解雇だなんだと聞こえる。
ろーく。
落ちた料理を踏んだ!
「1秒毎にどんどん状況を悪化させるな!!」
遂に、ネルスの前で今まで築き上げていた「事勿れ主義のシン・デルフィニウム」らしからぬ勢いで声を荒げて立ち上がってしまった。
相手に言葉を伝えるのに怒鳴る必要はないのに。怒鳴ったら負けなのに。
当然、皇太子含め食堂に居た全員の視線を集めた。
「……また貴様か」
嫌そうに眉を顰めて皇太子は腕を組んだ。
(またかはこっちの台詞なんだよこのバカバーカバーカ!! 料理を作る方の気持ちを考えたことあんのかバーカアーホ美味しいっていってくれるかなとか考えて作るんだぞ食べてもらえなかったら悲しいんだぞうんざりするんだぞてかその前に食べ物もったいないつらいってなるんだぞボーケナース!!)
頭に血が昇りすぎて言葉がまとまらない。
気に入らないからひっくり返す、2歳児レベルの相手にそれを煽る7歳児レベルの罵倒の言葉しか思いつかない。
それでも声を上げたからには何か言わなくては。
周りも、特に責任者らしき人の眼差しからは
(頼むなんとかしてくれ!)
という期待すら感じる。
待てよどんだけ朝の皇太子尻叩き事件の噂回ってんだよ。
なんとか重い口を開いた。
「アレハンドロ……」
「恐れながら申し上げます!!」
何か言う前に、近く、いや、同じテーブルから声が響いた。
やたらと言葉を遮られる日だ。
皇太子の視線が私からそちらへと移る。
「なんだ貴様」
「偉大なる我らが皇太子殿下。私はクリサンセマム侯爵家の末弟、ネルスと申します」
威圧的な皇太子に向かってネルスは胸に手を当て、礼をして名乗る。
そしてそのまま勇敢にも近づいていった。
(ネールースー! やーめーてー! 私がなんとかするからやめてー!!)
心の中で叫ぼうとも聞こえる訳がない。
しかし名乗ってしまった以上は逃げ場はなく、見守るしかなかった。
いざとなったらネルスを連れてどこかへ逃げよう。
自分の時よりも心臓がうるさい。怖い。
地面に膝をついている責任者の前に庇うようにネルスは立ち、そして片膝を着く。
再び頭を下げる様子を見て、皇太子は黙って椅子に座り脚を組んだ。
(偉っそうーーっ)
偉いのだが。
「申し上げにくいのですが、皇太子殿下。流石に、今回のことはこちらの食堂の料理人たちに非はないと存じます」
「何故そう思う」
ネルスが緊張しているのが伝わる。
いつもまっすぐ響く声の語尾が僅かに震えている。
すぐ隣にいって「何故じゃねぇんだわ!」と殴りたい。
いや、殴っても負けだ。我慢だ。
脳内で叫び暴れながら見守る私とは違い、ネルスは落ち着いた声で続けた。
「ここで働くのは多くの生徒に食事を提供する料理人。皇太子殿下専属の料理人ではありません。当然、この大人数に対して、一人一人の好みに合わせて食事を作るのは難しい」
(なるほど。それはそう。私が言いたいのはそこじゃないけどネルスの方が皇太子を納得させられそうだな)
皇太子に食事を作る人間の気持ちとか、材料を作った人の気持ちとか、食べ物のありがたみとか、そういったことを説明しても「それがどうした」となりそうだ。
流石にそんなことは言われなくても理解はしているだろうし。
ネルスの言うことの方が論理的で、今この場に合っている気がする。
皇太子も怒り出す様子は今のところはない。
私は少し肩の力が抜けた。
「それに対して先程のお怒りは、その、誠に申し上げにくいのですが! 僅かでも気に入らないと癇癪を起こす、に、に、2歳程の幼子と同じでございます……っ!」
「な……っ」
「あはは! 2歳!!」
(え、エラルド笑っちゃった!)
踏ん反り返っていた皇太子の表情が歪んだ。
しかし、ここまで言ってしまえば踏ん切りがついたのか、ネルスは遠目からも分かるほどに深呼吸すると、顔を上げて声を張った。
「この公衆の面前での皿を投げ捨てる行為は、皇太子の御威光にも関わります! どうかこの場は怒りをお収め下さい!」
「……っ!」
14
お気に入りに追加
63
あなたにおすすめの小説
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活
空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。
最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。
――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に……
どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。
顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。
魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。
こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す――
※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。
【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する
雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。
その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。
代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。
それを見た柊茜は
「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」
【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。
追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん…....
主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します
召喚アラサー女~ 自由に生きています!
マツユキ
ファンタジー
異世界に召喚された海藤美奈子32才。召喚されたものの、牢屋行きとなってしまう。
牢から出た美奈子は、冒険者となる。助け、助けられながら信頼できる仲間を得て行く美奈子。地球で大好きだった事もしつつ、異世界でも自由に生きる美奈子
信頼できる仲間と共に、異世界で奮闘する。
初めは一人だった美奈子のの周りには、いつの間にか仲間が集まって行き、家が村に、村が街にとどんどんと大きくなっていくのだった
***
異世界でも元の世界で出来ていた事をやっています。苦手、または気に入らないと言うかたは読まれない方が良いかと思います
かなりの無茶振りと、作者の妄想で出来たあり得ない魔法や設定が出てきます。こちらも抵抗のある方は読まれない方が良いかと思います
ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い
平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。
ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。
かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。
異世界でのんびり暮らしてみることにしました
松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。
25歳のオタク女子は、異世界でスローライフを送りたい
こばやん2号
ファンタジー
とある会社に勤める25歳のOL重御寺姫(じゅうおんじひめ)は、漫画やアニメが大好きなオタク女子である。
社員旅行の最中謎の光を発見した姫は、気付けば異世界に来てしまっていた。
頭の中で妄想していたことが現実に起こってしまったことに最初は戸惑う姫だったが、自身の知識と持ち前の性格でなんとか異世界を生きていこうと奮闘する。
オタク女子による異世界生活が今ここに始まる。
※この小説は【アルファポリス】及び【小説家になろう】の同時配信で投稿しています。
異世界でお取り寄せ生活
マーチ・メイ
ファンタジー
異世界の魔力不足を補うため、年に数人が魔法を貰い渡り人として渡っていく、そんな世界である日、日本で普通に働いていた橋沼桜が選ばれた。
突然のことに驚く桜だったが、魔法を貰えると知りすぐさま快諾。
貰った魔法は、昔食べて美味しかったチョコレートをまた食べたいがためのお取り寄せ魔法。
意気揚々と異世界へ旅立ち、そして桜の異世界生活が始まる。
貰った魔法を満喫しつつ、異世界で知り合った人達と緩く、のんびりと異世界生活を楽しんでいたら、取り寄せ魔法でとんでもないことが起こり……!?
そんな感じの話です。
のんびり緩い話が好きな人向け、恋愛要素は皆無です。
※小説家になろう、カクヨムでも同時掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる