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二章
39話 羨望
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室内に見えない大岩が詰め込まれているかのようだ。
そのくらい重い沈黙が、夕陽が傾き始めてから沈み込むまで続いていた。
握りしめた手が白くなり、感覚を失っている気がする。
「……」
「……」
二つの少し色味の違う青い瞳が、ずっと見つめ合っていた。どちらも逸らしはしないが、だからといって口を開きもしない。
来客用のクッションのある椅子に座るピングと勉強机用の木製の椅子に腰掛けるアトヴァルは、ひたすら相手の出方を伺っていた。
部屋の主であるリョウイチは、
「二人っきりでちゃんと話してね」
と、アトヴァルの頭を撫でて出て行ってしまった。アトヴァルの手が「ここにいてくれ」とリョウイチのローブの裾を掴んだが、リョウイチは一瞬指を絡め、そして解いた。
アトヴァルに謝りに行くというのに、迷いなくリョウイチの部屋にピングを連れてきたティーグレは、
「悪さしないようにペンギン預かっときます」
と、ピングのペンギンを抱いた。部屋を出る直前には大袈裟に礼をとり、ピングの指先に口付けを落として。
ティーグレとリョウイチがこんなに背中を押してくれたのに、ピングとアトヴァルは一言も発することが出来ない。
静寂の中、ピングはティーグレの唇が触れた指をキュッと掴む。
「アトヴァル」
先に覚悟を決めたのはピングだった。
「すまなかった」
ピングが頭を下げたのを見て、アトヴァルの椅子がガタリと音を立てる。
「皇太子殿下、お待ちください」
「待たない。私は、謝りに来たんだ」
「……謝るのは、私の方です。先に余計なことを言ったのは私だ」
アトヴァルは立ち上がって、深々と謝罪する。長い金髪がサラリと背中から落ちた。ピングも椅子から腰を上げ、空中で片手を彷徨わせ、それから遠慮がちに広い肩に着地させた。
「アトヴァル、頭を上げてくれ。……正直なところ、お互い謝ったからもういいな、としたい。そうするのが簡単だからな」
「それで、よろしいかと」
「ダメなんだ。そんな形式的なんじゃ意味がない。せっかく、アトヴァルの本音が聞けたのに」
頑なに顔をベージュのカーペットに向けているアトヴァルの頭頂部に、ピングは言葉を落としていく。
氷のような薄青色の瞳と見つめ合っている間、ずっと考えていた。
自分は、アトヴァルとどうなりたいのか。
このまま極力お互いが目に入らないようにするのか。出来なくはないだろうが、ピングはどうしたってアトヴァルが気になってしまう。
ならば離れているというのは無駄だ。
「私はな、アトヴァル。お前が羨ましくて妬ましくてたまらないんだ」
「……伝わっておりました。いつも、貴方の目はそう言っている」
「そう言われると恥ずかしいな」
淡々とした声に対して、ピングは思わず咳払いする。ピングはアトヴァルの気持ちが全然分からなかったのに、アトヴァルにはお見通しだった。
羨望の眼差しを受けるのに慣れているからというのもあるだろうが、あっさり肯定するのは流石だ。
「天才だからという一言でお前の努力を否定してるわけじゃないんだ。ただ、努力したら実るのが羨ましくて」
努力に気がついたのは最近だったけど、考えてみれば当然のことだった。何もしていないわけがない。
「皇太子を辞めたいっていうのも……うん、お前の方が相応しいってみんなが思ってるのにって……分かるから嫌で」
「みんなって誰ですか」
「え?」
「皇帝になってくれと、私に言ったのは母上だけです」
顔を上げたアトヴァルの瞳を、ピングは妙な気持ちで見つめた。暗い色が差した空虚な淡青色は常の煌めきをなくしており、まるで底の見えぬ沼だ。
ピングは戸惑いながらも、自身が感じていることを正直に述べる。
「だって、みんながアトヴァルのことを褒めるだろう」
「ですが、本当に私に皇帝になって欲しいと思っていると思いますか? 皇后の祖国がそれを許すと?」
何も言うことが出来なかった。
皇后は同盟国の王族だ。当然、国を背負って嫁いできている。
「無理に皇帝にならなくてもいいのよ」
いつもそう言ってピングを抱き締めてくれていたが、本当にそれが許されるはずがないことは皇后もピングも承知していた。
「もし、私が先に生まれていたとしたら……もっとややこしいことになっていた。貴方が皇太子で正解なんです」
アトヴァルは分かっていて尚、「皇帝」になることを母親に求められている。側妃もまた「あわよくば」と考える家の重圧を背負い、全てを才能あるアトヴァルに押し付けていた。
どんなに優秀だろうとアトヴァルが皇帝になるにはピングが命を落とす以外にはあり得ない。だがもし本当にそうなった時、誰が一番に疑われるのか。
その危険を犯すほどの野心は、側妃にもその実家にもなかった。
アトヴァルはひたすら、なれもしない皇帝の座を目指して走らされている。
「分かって、いるんです」
凛々しく形の良い眉が歪む。
体の横で握っている拳が震えている。
「私は、貴方が羨ましかった」
そのくらい重い沈黙が、夕陽が傾き始めてから沈み込むまで続いていた。
握りしめた手が白くなり、感覚を失っている気がする。
「……」
「……」
二つの少し色味の違う青い瞳が、ずっと見つめ合っていた。どちらも逸らしはしないが、だからといって口を開きもしない。
来客用のクッションのある椅子に座るピングと勉強机用の木製の椅子に腰掛けるアトヴァルは、ひたすら相手の出方を伺っていた。
部屋の主であるリョウイチは、
「二人っきりでちゃんと話してね」
と、アトヴァルの頭を撫でて出て行ってしまった。アトヴァルの手が「ここにいてくれ」とリョウイチのローブの裾を掴んだが、リョウイチは一瞬指を絡め、そして解いた。
アトヴァルに謝りに行くというのに、迷いなくリョウイチの部屋にピングを連れてきたティーグレは、
「悪さしないようにペンギン預かっときます」
と、ピングのペンギンを抱いた。部屋を出る直前には大袈裟に礼をとり、ピングの指先に口付けを落として。
ティーグレとリョウイチがこんなに背中を押してくれたのに、ピングとアトヴァルは一言も発することが出来ない。
静寂の中、ピングはティーグレの唇が触れた指をキュッと掴む。
「アトヴァル」
先に覚悟を決めたのはピングだった。
「すまなかった」
ピングが頭を下げたのを見て、アトヴァルの椅子がガタリと音を立てる。
「皇太子殿下、お待ちください」
「待たない。私は、謝りに来たんだ」
「……謝るのは、私の方です。先に余計なことを言ったのは私だ」
アトヴァルは立ち上がって、深々と謝罪する。長い金髪がサラリと背中から落ちた。ピングも椅子から腰を上げ、空中で片手を彷徨わせ、それから遠慮がちに広い肩に着地させた。
「アトヴァル、頭を上げてくれ。……正直なところ、お互い謝ったからもういいな、としたい。そうするのが簡単だからな」
「それで、よろしいかと」
「ダメなんだ。そんな形式的なんじゃ意味がない。せっかく、アトヴァルの本音が聞けたのに」
頑なに顔をベージュのカーペットに向けているアトヴァルの頭頂部に、ピングは言葉を落としていく。
氷のような薄青色の瞳と見つめ合っている間、ずっと考えていた。
自分は、アトヴァルとどうなりたいのか。
このまま極力お互いが目に入らないようにするのか。出来なくはないだろうが、ピングはどうしたってアトヴァルが気になってしまう。
ならば離れているというのは無駄だ。
「私はな、アトヴァル。お前が羨ましくて妬ましくてたまらないんだ」
「……伝わっておりました。いつも、貴方の目はそう言っている」
「そう言われると恥ずかしいな」
淡々とした声に対して、ピングは思わず咳払いする。ピングはアトヴァルの気持ちが全然分からなかったのに、アトヴァルにはお見通しだった。
羨望の眼差しを受けるのに慣れているからというのもあるだろうが、あっさり肯定するのは流石だ。
「天才だからという一言でお前の努力を否定してるわけじゃないんだ。ただ、努力したら実るのが羨ましくて」
努力に気がついたのは最近だったけど、考えてみれば当然のことだった。何もしていないわけがない。
「皇太子を辞めたいっていうのも……うん、お前の方が相応しいってみんなが思ってるのにって……分かるから嫌で」
「みんなって誰ですか」
「え?」
「皇帝になってくれと、私に言ったのは母上だけです」
顔を上げたアトヴァルの瞳を、ピングは妙な気持ちで見つめた。暗い色が差した空虚な淡青色は常の煌めきをなくしており、まるで底の見えぬ沼だ。
ピングは戸惑いながらも、自身が感じていることを正直に述べる。
「だって、みんながアトヴァルのことを褒めるだろう」
「ですが、本当に私に皇帝になって欲しいと思っていると思いますか? 皇后の祖国がそれを許すと?」
何も言うことが出来なかった。
皇后は同盟国の王族だ。当然、国を背負って嫁いできている。
「無理に皇帝にならなくてもいいのよ」
いつもそう言ってピングを抱き締めてくれていたが、本当にそれが許されるはずがないことは皇后もピングも承知していた。
「もし、私が先に生まれていたとしたら……もっとややこしいことになっていた。貴方が皇太子で正解なんです」
アトヴァルは分かっていて尚、「皇帝」になることを母親に求められている。側妃もまた「あわよくば」と考える家の重圧を背負い、全てを才能あるアトヴァルに押し付けていた。
どんなに優秀だろうとアトヴァルが皇帝になるにはピングが命を落とす以外にはあり得ない。だがもし本当にそうなった時、誰が一番に疑われるのか。
その危険を犯すほどの野心は、側妃にもその実家にもなかった。
アトヴァルはひたすら、なれもしない皇帝の座を目指して走らされている。
「分かって、いるんです」
凛々しく形の良い眉が歪む。
体の横で握っている拳が震えている。
「私は、貴方が羨ましかった」
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