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一章

22話 海

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 朝から憂鬱なものを見てしまった。

 少し余裕を持って起きることが出来たから、いつもより早く寮を出てきたのが行けなかった。
 爽やかな気持ちで登校したピングの機嫌を地に落としたのは、中庭のベンチでリョウイチとアトヴァルが肩を寄せ合って座っている光景だ。

 アトヴァルの膝には魔術書が見えたから、リョウイチが何か質問しているのだろう。

「見せつけてくれますねー」

 隣を歩くティーグレは軽い口調とは裏腹に、目を爛々とさせて二人を見つめていた。
 すぐに目を逸らしたピングとは正反対だ。

「なんで見えるところでやるんだろうな」
「いかがわしいことしてるんじゃないんですから良いじゃないですか」
「私が嫌なんだ」
「嫉妬してるのも可愛いですけどね」

 ティーグレはサラッとからかってくるが、ピングの中では深刻な事態だった。

(リョウイチはアトヴァルが好きなんだろうな)

 先日そう確信してしまってから数日間、リョウイチに声を掛けるのをやめてしまった。
 リョウイチは今までのように偶然会えばにこやかに話しかけてくれるが、それもピングの心を晴らすには足りない。

 きっと、「教えてもらう」というのはアトヴァルと一緒にいる口実に過ぎないんだろう。

 ピングと一緒だ。
 好きな人の視界に入ろうと必死なんだ。

 勝ち目がないどころか、すでに負けている。
 ずんずん落ち込んでいくピングの体が、ふわっと浮いた。

「え……!?」

 目を白黒させているうちにホワイトタイガーの背に乗っていたピングは、後ろに跨ったティーグレを振り返る。

「なんだ急に!」
「せっかくピング殿下の瞳みたいな良い空だし、ちょっと上の方の空気吸いに行きましょうか」
「い、今からか……わぁっ!」

 ピングの返事を待たずに、ホワイトタイガーは階段があるかのように空へと駆け上がっていく。
 ペンギンはホワイトタイガーの尾を嘴で咥えて楽しそうにそよいでいる。それを見たティーグレは、事も無げに口を開いた。

「ペンギン、飛ばしたらどうです?」
「も、もし落ちたら」

 使い魔を浮かす呪文は知っているし、そう難しいことでもない。
 だがピングはそれを習得するのに他の生徒の倍の時間が掛かったし、使い魔自体を使い慣れていないのだ。
 制御出来ずに炎を纏ったままアトヴァルに向かったいったように、何かあったらと思うと魔術が容易に使えない。

 ティーグレはピングの震える細い肩に顎を乗せ、耳元で笑ってくる。

「ピング殿下は、怖がりすぎなんです。もっと思いっきりやっていい」
「で、でもこの間みたいに」
「失敗してもなんとかします」

 ホワイトタイガーはどんどんと上昇し、学園が全貌できるところまできた。
 肌をくすぐる風のように爽やかな声で、ティーグレは言葉を続ける。

「リョウイチが暴走したら大迷惑ですけど、ピング殿下なら平気です。魔力弱いってことは思いっきりやっても大したことにならんのでガンガン出す方向でいきましょう」
「複雑だ」

 ピングは唇を尖らせた。褒められていないことは分かる。
 でも、基本的に自分に甘い幼なじみが元気付けようとしてくれているのも伝わった。

 大空の空気を直接大きく吸い込み、手のひらを風に遊ばれているペンギンへと向ける。背中のぬくもりと、しっかり腰を抱いてくれる腕に安心し、呪文を紡いだ。

 光がペンギンを包み、丸い体がホワイトタイガーから離れる。

「あ!」

 海を泳ぐことに特化した体は、羽を広げて滑らかに飛んだ。
 ペンギンは自分が自由に動けることに気がつくと、回転しながらホワイトタイガーの周囲で遊び始める。

 ピングは青空色の瞳を煌めかせてティーグレを見上げた。

「出来た!」
「ね?」

 ティーグレはホワイトタイガーを撫でながら学園の島を囲む海へと向かう。磯の香りを運ぶ潮風が頬を撫でる。太陽を反射する海面が眩しい。
 気持ちが高揚したピングが海水を触りたいと言うと、ティーグレは海へ降りて行った。

「恋敵に劣勢で落ち込むのは当然ですけどね」

 ピングは裸足になってホワイトタイガーに横座りし、海を蹴る。子どものようにバタバタと海面に足をぶつける感覚や冷たい水飛沫が心地よくて口元を緩めた。

 黙って眺めてくれていたティーグレが静かに語りかけてくる。

「恋愛的に好きになって貰えるかってのは、その人の魅力を測る指標にはなり得ないと思いますよ」
「そう、かな」

 一時的に薄れていたリョウイチとアトヴァルの仲良さそうな光景を思い出して、ピングの笑顔が凍りつく。
 ティーグレが慰めようとしてくれているのは分かる。しかし、ピングにはアトヴァルの方が魅力的に違いないとしか思えなかった。

「そうですよ。どんなに優秀でもどれだけ顔が良くても、それだけで好きになるわけじゃないんだから」
「……リョウイチがお前のことを好きじゃないみたいにか」
「俺のこと、優秀で顔が良いって思ってたんですか」

 ティーグレは謙遜せず、自信がありそうな顔で覗き込んでくる。
 そういうことじゃない、と否定してやりたかったが事実なものは仕方がない。
 ピングは素直に腕を組んで頷いた。

「当たり前だろう。奇妙な行動も多いが、察しがよくて優しくて」
「待ってください、褒められすぎるとちょっと」
「私は、お前がいないとダメなんだ」
「……」

 真っ直ぐに紫色の瞳を見つめてピングは微笑んだ。
 照れくさそうになっていたティーグレの口がぽかんと開く。ピングを映す目が、まん丸になって固まってしまった。

「なんだその顔は。居てもダメダメだとでも言いたい……おい、ティーグレ?」

 本当に何も言わなくなると流石に心配だ。
 ピングはティーグレの肩を叩こうと手を伸ばした。
 すると、手は肩に触れる前に大きな手に捕まる。

「ど、どうしたんだ……?」

 手の熱さに戸惑うピングに何も答えず、ティーグレは反対の手で薔薇色の頬に触れてくる。
 いつになく真剣な瞳に射抜かれて、ピングは近づいてくる顔を見つめることしか出来ない。

「ティーグ」

 ビシャン!

 互いの鼻先が触れるか触れないかという時、二人の頭を海水が濡らした。

 揃って海を見ると、ペンギンが楽しそうに泳いでいた。どうやらホワイトタイガーから飛び降りて遊んでいたようだ。

 ティーグレは水の滴る前髪を掻き上げて、乾いた笑いを浮かべる。

「……帰りましょうか」
「そう、だな」

 あのままだったら、唇が触れ合っていたかもしれない。
 ピングの心臓は時間差で大きく鳴り始め、顔に熱が集まってきた。

 学園への帰り道、後ろから感じる熱が落ち着かなくて。

 一言も発することが出来なかった。
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