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三章

スイートルーム

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 心臓が早鐘のように鳴る。
 最早、杉野が話しかけてきても聞こえないのではないかと思うほどにうるさく感じた。

(告、白……ってどうしたら……)

 藤ヶ谷の背中を嫌な汗が伝った。
 とにかくじっとしていられなくて、ソファに置いていた自分の肩掛けカバンのベルトを掴み引き寄せる。

「俺はもう少ししたら帰りますが、藤ヶ谷さんは遠慮なく泊まっていいと思いますよ」

 杉野は藤ヶ谷の胸中など知らず、ゆったりとソファに座って足を組んでいる。
 藤ヶ谷は自分だけがこんなに緊張しているのだと思うと悔しくて。
 出来るだけ普段通り振る舞おうと、ソファの背に腕を広げる。

 正面の大きなテレビの暗い画面には、藤ヶ谷と杉野が少しだけ距離を開けて座っているのが映っている。
 これが、2人の適切な距離だ。

「1人でなんて贅沢すぎねぇ?」
「まぁ、広すぎではありますかね」
「俺、入るの初めてだよこんな……豪華、な……」

 部屋全体を見渡した藤ヶ谷の声が、突如小さくなる。
 広いリビングルームにある座り心地のいいソファにテレビ、上質な絨毯。
 そして、奥にあるベッドルームに続く扉。

 星空が見えるおかげで雰囲気は随分と違ったが、この間取りは見たことがある。

 白を基調とした、大きなシャンデリアがあるスイートルームが頭を過ぎった。
 蓮池に呼ばれたホテルの部屋だ。

(なんっで今思い出すんだよ)

 腹が冷える感覚と共に嫌な汗が肌に滲んでくる。顔の色を無くした藤ヶ谷を見て、杉野は体を近づけてきた。

「どうしました?」
「あ、いや……なんでも……入ったことくらいはあったなって」

 上手く誤魔化せずに意味深な言い方になってしまう。
 これでは杉野に心配を掛けるだけだと慌てて何か言おうとするが、言葉が出てこない。

 好きな人に抱かれて運ばれ、夢心地だったところから突き落とされたベッドルームのドアが急に恐ろしくなって目を逸らす。

(スイートルームって失恋するための場所じゃないと思うんだけどな)

 現在の精神状態でフラれてしまったら、と、決意が揺らぐ。

 藤ヶ谷の目線を追い、部屋を見渡していた杉野はソファから降りた。
 すぐに絨毯に膝をつくと、カバンを抱いて震える藤ヶ谷の手を両手で包んでくれる。

 藤ヶ谷の態度が急変した理由を察していることが、心配そうな瞳から読み取れた。

「気づかなくてすみません。出ましょう」

 気づくも何も、藤ヶ谷はついさっきまで心から楽しんでいた。
 告白しようと意気込み、そしてフラれるのだというマイナス思考も相まって嫌な記憶を呼び起こしてしまっただけだ。

 ここで帰ってしまうと、負ける気がした。

 今にも帰る準備を始めそうな杉野の手を握り、藤ヶ谷は首を左右に振る。

「やだ。折角山吹さんが」
「藤ヶ谷さん。無理する必要ないです」
「ダメだ」
「なんでそんな頑ななんですか」
「それは」

 眉を寄せた杉野の顔が迫ってきて、藤ヶ谷も目を逸らさず体も離さずに見つめ返す。

「お前に、告白したいからだ」
「それって今じゃないとダメで……す……?」

 すでに用意していたらしい言葉が止まらなかった杉野の声が止まる。
 杉野は信じられないものを見る目で藤ヶ谷を見上げてきた。
 床に跪いたまま、動かない。

 困らせている、と感じたが、藤ヶ谷はグッと唾を飲み込み杉野の手を握る指に力を込める。

「俺、ずっと大事にしてくれる人と番になりたいって思ってて。お前は俺のこと、大事にしてくれてるだろ」
「大事、なので」
「ありがとな」

 唖然とした表情のままでも「大事」だと言ってくれる杉野に目頭が熱くなる。
 今から同僚としての関係を崩そうとしているのに、やはり優しい。

「だから俺も、お前をちゃんと大事にしたくて。させてほしくて。でもどうやったら良いか分かんねぇし。お前は他に好きな人がいるから距離感も大事だし」

 思いつくまま、支離滅裂に言葉を並べ立てていく。
 杉野はただ藤ヶ谷の震える声に耳を傾け、辛抱強く聞いてくれる。
 なんとか要点だけを伝えようと、余計なことを言おうとする口を閉じようと足掻く。

「大事にしたいって思ってことは、つまり、あの、俺は」

 喋りすぎて唇が乾く。
 張り付くような喉から音が出にくくなり、言葉に詰まった。
 俯きたくなるのを耐えて温かい手を胸に引き寄せ、真っ直ぐに見つめる。

「杉野が好きだ」


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