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三章

近い

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「お兄さん、オメガ?綺麗だねー」
「俺たちとちょっと話さない?」

 ニヤニヤとした表情をしていることが見なくても分かる二種類の声が、ソワソワと周囲を見渡していた藤ヶ谷に声を掛けてくる。

 人通りの多い地下道の交差点。
 壁の角の部分にもたれかかって杉野と山吹を待っていた藤ヶ谷は、一瞥もくれずに無表情でスマートフォンをダッフルコートのポケットから出した。

「アダルトなお店の勧誘なら要らないぞ。仕事あるから」

 折角あまり使わない大きめの肩掛けカバンに、「杉野に渡すつもりでバレンタインデー当日には渡す勇気が出なかったチョコ」を隠し持ってドキドキしていたというのに。
 今回も渡せるかは謎であったが、それは別として楽しい気持ちが台無しだ。

 首元のカラーが見えるクールネックのセーターではなく、素直に杉野に選んでもらったハイネックセーターにしておけばよかったと後悔する。
 いつも同じ服だと思われてしまうかと、シルエットが似ている白いものを買ったのだ。

 それがカラーを強調してしまい、妙な男たちを引き寄せてしまった。
 わざわざスマートフォンに視線を落として「あっちに行け」というオーラを出しているというのに。男の1人はめげずに肩に触れてくる。

「そんなんじゃないってー」
「なんでもいいけど友だちと待ち合わせ中だから他当たってくれ」
「へぇ?じゃあその友だちも一緒に」
「一緒に店に出たら、俺のファンが急激に増えて困るだろうなー」

 上品なたばこの香りに包まれた。
 爽やかで明るいトーンの声とともに近づいてきた山吹に、後ろから抱きしめられたのだ。

 藤ヶ谷しか見ておらず山吹に気付いていなかったらしい男たちは、目を見開いた。

「山吹さん、おはよう」
「おはよう、藤ヶ谷さん。こういう時は友だちじゃなくて、ちゃんと番候補って言わないと」

 香りで近づいていることが分かっていた藤ヶ谷がなんでもないことのように挨拶すると、山吹が髪に頬を寄せてきた。

「なんだよアルファ付きか」
「先に言えよ」

 笑顔の山吹の圧にたじろいだ男たちは、舌打ちして分かりやすく後ずさる。
 おそらく「友だち」という言葉から、勝手にオメガが来るとでも思っていたのだろう。

 藤ヶ谷は山吹の腕の中で赤い舌を出して見せた。

「1人じゃねぇって言ったろ」
「近い」

 凄みのある低音ボイスが聞こえた瞬間、背中の温もりが消えた。
 驚いて振り向くと、外の空気よりも冷たい目をした杉野が山吹の肩を掴んで立っていた。

 流石に驚いた様子の山吹は不憫だったが、藤ヶ谷の表情はあからさまに明るくなる。

「杉野!」
「おはようございます藤ヶ谷さん」

 杉野は藤ヶ谷には別人のように柔らかく目を細め、それから改めて山吹を睨んだ。

「山吹、お前。藤ヶ谷さんに何を」
「よく見ろ杉野。番犬が牙を剥くべきは俺じゃなくてあっちのハイエナ」
「ハイエナ?」

 焦る様子もなく両手を上げた山吹は、杉野の登場からのやり取りをぽかんと見守っていた男たちを顎で示す。

 状況を理解した杉野は、藤ヶ谷を背に庇い無言で男たちを見下ろす。
 睨んだだけで人を貫けそうな鋭利な視線を受けた男たちは、謝りながら人混みに消えていった。

 杉野の表情が見えていなかった藤ヶ谷はその無様な後ろ姿を見て、

(アルファが2人揃ったら怖いもんな)

 と呑気に思う。

 杉野は鼻を鳴らすと、藤ヶ谷の方を見た。
 その目は優しく、心配していることしか伺えない。

「ナンパですか」
「いやー?あの感じは夜のお店で働きませんか系じゃねぇかな」
「もしかして慣れてます?」
「たまにある」

 大したことはないと肩をすくめる藤ヶ谷を見て、杉野の眉がピクリと動く。
 握りしめた拳が震えていることには山吹しか気がついていなかった。

「ベータの男がオメガに声かけてくる時はそっちが多いって習うしな」

 オメガ男性を個人的にナンパするベータ男性も居なくはないが、珍しい。
 性的な魅力に溢れアルファに人気のオメガは、風俗店の勧誘に合いやすいのだ。

 初耳だったらしい杉野の機嫌が急降下していく。そんな様子も、藤ヶ谷は「優しいな」と好意的に受け取ってポンポンと腕を叩いた。

 そうしていると、息を潜めていた山吹が割って入ってくる。

「じゃあ、そろそろいこうか!」

 再び山吹に肩を抱かれた藤ヶ谷だったが、今度も光の速さで無言の杉野に引き剥がされた。

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