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二章

声がデカい

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「ここだここだ」

 全面ガラス張りの大きなビルの前で足を止める。
 天辺を見上げようとすると、すっかり暗い空が背景になるほど高くて首が痛くなりそうだ。

(うちもまぁまぁデカいけど、ここもすごいなー)

 さすが大手の製薬会社だと、藤ヶ谷は感心した。
 自動ドアから入ると、黒いタイルの床が広がる。
 退社時間なだけあって、いくつもあるエレベーターからどんどん人が出てきた。
 流れに逆らって中に進み、前もって優一朗に言われていた通り、エントランスのソファに座る。

 営業の仕事で近くまで行くことがあると優一朗に伝えたら「じゃあ、その日は教えてください」とメッセージが来た。
 やりとりをして3日後の今日、タイミングよくその日がやってきたのだ。
 これ幸いと、夕食の約束に漕ぎつけた。

 一緒にいた杉野にも顔だけ見せたらどうかと伝えたが、

「毎日見てるんで」

 と断られてしまった。
 人が多すぎて、すぐに優一朗に気づけるか不安だったのだが。

「ええやないですか! 途中まで一緒に帰ってくださいー!」
「だから、用事があるんだって言ってるだろ。話を聞け」

 ザワザワとした中でも目立つ、大ボリュームの関西地方のイントネーションに顔を上げる。
 想像した通り、その場の誰よりもスタイルの良い優一朗と、小走りで隣について行っている皐が居た。

 どう声をかけたものか迷っていると、小さい体で一生懸命に気を引こうと頑張っている皐と目が合った。

「やからその用事って何……あれ、藤ヶ谷くんや!」
「あ……来てもらったのに、お待たせしてすみません」

 泣き黒子のある精悍な顔が苦笑する。
 更に早足になって優一朗が近づいて来たので、パタパタと手を振った。

「本当にさっき着いたとこなんで待ってないです」

 ちゃっかりとついて来た皐は、藤ヶ谷と優一朗を見比べてポンっと手を打つ。

「なんや、デートなら言ってくれたらええやないですか! 流石の俺も引き下がるわ!」
「お前は声がデカいから言いたくなかったんだよ」

 溜息を吐いた優一朗が皐に向ける声も表情も、呆れて怒っているようなのにどこか温かく。
 藤ヶ谷を嗜める時の杉野とそっくりで驚きを隠せない。

(兄弟ってすごい)

 そして、確かに皐の声はフロア中に響き渡っていた。

「え?杉野さん?」
「デート?」
「あの綺麗なオメガの人かな」

 特に女性社員の注目を集め、周囲がざわつき始める。
 察した皐は慌てて両手を合わせて頭を下げた。

「ごめんなぁ藤ヶ谷くん。邪魔者は退散するからごゆっくりー」
「合コンなんだろさっさと行け」
「俺の予定、把握してくれとんや。愛やなー」
「とっとと行け。飲みすぎて女性に迷惑かけるなよ」

 冗談まじりに声を弾ませる優一朗は、ドンっと皐の背中を押した。
 楽しげに笑いながら、皐の小さな体は人混みに紛れていく。

 それを見送ってから、優一朗はようやく藤ヶ谷に向き直った。
 皐の時とは打って変わって、纏う空気が落ち着き大人っぽく変わる。

「騒がしくて申し訳ないです」
「全然!俺もよくうるさいって言われるので」

 なんのフォローにもなっていないことを明るく言う藤ヶ谷に、優一朗は肩を震わせる。
 それから、紳士的な微笑みがニヤリと揶揄うような表情に変わった。
 指の長い手が、藤ヶ谷の耳元の髪を掻き上げるように撫でる。

「そういえば誠二朗が言ってたな。『藤ヶ谷さんの声は職場のサイレンみたいだ』って」
「あいつ家でそんなこと言うんですか!?」
「冗談です」

 笑顔のままサラリと手が離れ、藤ヶ谷は擽ったさに肩をすくめた。
 家で自分の話題が出るのかと思った藤ヶ谷は、自意識過剰すぎたとこっそり自嘲する。

「優一朗さんって冗談言うんですね」
「誠二朗ほど真面目に生きてないので」
「あはは、杉野もふざける時あると思うけど」

 淡々と本気なのか冗談なのか分からないような調子で物を言う後輩を思い出すと、自然と口元が緩んだ。
 優一朗は目を瞬いてから、嬉しげに目を細めた。

「陸さんには随分と心を開いてるんですね」
「気楽に話せるから助かってます」
「良い先輩がいて良かった。ところで」

 ずいっと堀の深い顔が近づいた。
 思わず一歩身を引くと、鼻先が触れ合う直前で止まる。

「敬語、やめようか」
「良いんですか?」

 突然フランクな口調になった優一朗に、藤ヶ谷はキョトンと瞬く。
 1歳とはいえ年上の相手だ。
 もう少し親しくなってから自然に、と思っていた。
 戸惑う藤ヶ谷に対し、優一朗は片目を瞑った。

「こういうのはさっさとしないとタイミング無くすから。もちろん、陸さんが嫌でなければ」
「じゃ、遠慮なく」

 ふんわりと漂ってきた安心する香りに無意識にしていた緊張がほぐれ、藤ヶ谷はにっこりと笑った。
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