上 下
31 / 110
二章

フェロモンのコントロール

しおりを挟む
 杉野は箱の文字を読み、目的のものではないと元に戻す。
 そして、どこか遠くを見るような目で静かに語り出した。

「第二性の診断より前に、日直が一緒だった子と2人になったんです。それで、隣に座るその子の香りがいい匂いだなって思った。だけだった、はずなんですけど……」

 まだなんの自覚もなかった杉野から、無意識に発情を誘発するフェロモンが出ていたのだという。
 オメガだったらしい相手の子は、その影響を受けて初めてのヒートに入った。

「その後の俺は完全に理性を無くしてて、記憶も飛んでるんです。気がついた時には先生たちに羽交締めにされて……あの子はもうその場にいなかった」

 ハイアルファはなかなか居ないため、アルファのフェロモンが原因の事故というのは本当に珍しい。
 しかし、第二性診断前のオメガに早めにヒートがきて同級生のアルファをラット状態にしてしまう事故は稀にだがある。

 性別が分からないため抑制剤もまだ飲んでいない彼らの事故は、防ぐのが難しい。
 杉野の場合は発見が早かったため、結論から言うと「何も無かった」という。

 だがそのオメガの同級生はその日以降、学校に来ることはなかった。
 フェロモンのコントロールが難しい幼いオメガは、オメガ専門学校に通える年まで隔離施設で生活することになるのだ。

「ヒートの原因も襲ったのも俺なのに。俺はそのまま変わらない生活をして、被害者のその子は親元からも離された……おかしくないですか」

 杉野本人にとっては完全なトラウマとなった。
 だからヒートを誘発できるハイアルファであることが知られるのが「怖い」のだと。

 藤ヶ谷は杉野が妙にアルファに対して警戒心が強い理由も、なんとなく理解した。
 有事の際、様々な観点からオメガが圧倒的に不利だ。
 それをオメガである藤ヶ谷よりも、身をもって体験しているのだから。

 杉野は事故未遂以降ずっと、フェロモンを調整する薬を飲んでいる。
 否応なくアルファには気づかれているが、プライドの高い彼らは誰も「杉野は自分より上位だ」などとわざわざ口にしない。
 それが、杉野にとっては好都合らしい。

(お前は悪くないだろ)

 藤ヶ谷は思ったことをそのまま伝えたかったが、口を閉ざす。
 そんな言葉はきっと今まで何度も何度も言われているはずだ。
 どうしようもなかったことなど杉野も分かっていて、「抑制剤を欠かさず飲む」という結論が出ているのだ。

(慰めて欲しいわけじゃないよな、お前)

 倉庫内を歩きながら、藤ヶ谷は出来るだけ言葉を選んで口を開く。

「まだ上手くコントロール出来ない、のか?」
「分かりません。怖くて薬が辞められない……って言うと、相当ヤバいやつなんですけど」

 杉野は自嘲したが、藤ヶ谷は笑わなかった。
 藤ヶ谷のヒートに合わせて過剰に思えるほど抑制剤を飲んでいるのも、同級生を襲いかけた後悔の念からなのだろう。

「でもハイアルファ用の薬って少ないんです。だから兄さんは出来るだけ体に負担の少ない薬を開発するからって。その時からずっと言ってて」
「それで製薬会社の開発部か。すごいな。そういやあそこの会社、他のとこよりアルファの薬にも力を入れてるイメージだ」

 オメガの抑制剤は研究が早く始められ、今ではどこでも手に入る。
 それに比べるとアルファ用の薬は、確かに少ない。
 藤ヶ谷が存在するかも怪しいと思っていたハイアルファなら尚更だ。

 優一朗は率先してハイアルファ用の薬の研究に勤しみ、杉野に薬が回るように手配しているのだ。

「だから兄さんは良い人って話で……なんか長くなってすみません」
「すげぇ伝わったよ。お前のことも、辛いのに教えてくれてありがとうな」

 藤ヶ谷がいつもと変わらない調子で笑いかけると、話しながら強張っていた杉野の表情が和らぐ。

 確実に優一朗への好感度を上げながら、藤ヶ谷は自分も高いところの箱を確認しようと台に登る。
 段ボールの側面に貼ってある商品内容のラベルが目の前にきて、作業が捗る。

 逆に杉野は腰を屈め、下に置いてある箱を次々と見ては戻しとしながら項垂れた。

「薬を常用せずに抑制剤だけ持ち歩けば、ここまで心配させることなかったんですけど」
「無理すんな。今のところ体に異常はないんだろ?だったらお兄さんに甘えとけよ」

 フェロモンの分泌は健康状態はもちろん、精神状態も大きく左右する。
 オメガでも、初めてのヒートの際の状況によっては、2度目のヒートがなかなか来ないなどの弊害が出るという例も聞く。
 逆に番の浮気が原因でずっとヒートのような症状が出ることもあるらしい。

 副作用が少なからずあるのが厄介なことではあるが、自分でどうすることもできないならば薬に頼るのも手だ。
 当然だと思って藤ヶ谷が答えると、杉野は不意に真っ直ぐ見つめてきた。

「……藤ヶ谷さん、逃げないんですね」
「逃げるって、なんでだよ」
「俺は今ここで、藤ヶ谷さんをヒートにして襲うことだって出来るんですよ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

後天性オメガの合理的な番契約

キザキ ケイ
BL
平凡なベータの男として二十六年間生きてきた山本は、ある日突然バースが変わったと診断される。 世界でも珍しい後天性バース転換を起こした山本は、突然変異のオメガになってしまった。 しかも診断が下ったその日、同僚の久我と病院で遭遇してしまう。 オメガへと変化した自分にショックを隠しきれない山本は、久我に不安を打ち明ける。そんな山本に久我はとんでもないことを提案した。 「先輩、俺と番になりませんか!」 いや、久我はベータのはず。まさか…おまえも後天性!?

安心快適!監禁生活

キザキ ケイ
BL
ぼくは監禁されている。痛みも苦しみもないこの安全な部屋に────。   気がつくと知らない部屋にいたオメガの御影。 部屋の主であるアルファの響己は優しくて、親切で、なんの役にも立たない御影をたくさん甘やかしてくれる。 どうしてこんなに良くしてくれるんだろう。ふしぎに思いながらも、少しずつ平穏な生活に馴染んでいく御影が、幸せになるまでのお話。

アルファ嫌いの子連れオメガは、スパダリアルファに溺愛される

川井寧子
BL
オメガバース/オフィスラブBL/子育て/スパダリ/溺愛/ハッピーエンド ●忍耐強く愛を育もうとするスパダリアルファ×アルファが怖いオメガ●  亡夫との間に生まれた双子を育てる稲美南月は「オメガの特性を活かした営業で顧客を満足させろ」と上司から強制され、さらに「双子は手にあまる」と保育園から追い出される事態に直面。途方に暮れ、極度の疲労と心労で倒れたところを、アルファの天黒響牙に助けられる。  響牙によってブラック会社を退職&新居を得ただけでなく、育児の相談員がいる保育園まで準備されるという、至れり尽くせりの状況に戸惑いつつも、南月は幸せな生活をスタート!  響牙の優しさと誠実さは、中学生の時の集団レイプ事件がトラウマでアルファを受け入れられなかった南月の心を少しずつ解していく。  心身が安定して生活に余裕が生まれた南月は響牙に惹かれていくが、響牙の有能さが気に入らない兄の毒牙が南月を襲い、そのせいでオメガの血が淫らな本能を剥き出しに!  穏やかな関係が、濃密な本能にまみれたものへ堕ちていき――。

【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく
BL
人間と魔族が共存する国ドラキス王国。その国の頂に立つは、世にも珍しいドラゴンの血を引く王。そしてその王の一番の友人は…本と魔法に目がないオタク淫魔(男)! 友人関係の2人が、もどかしいくらいにゆっくりと距離を縮めていくお話。 【第1章 緋糸たぐる御伽姫】「俺は縁談など御免!」王様のワガママにより2週間限りの婚約者を演じることとなったオタ淫魔ゼータ。王様の傍でにこにこ笑っているだけの簡単なお仕事かと思いきや、どうも無視できない陰謀が渦巻いている様子…? 【第2章 無垢と笑えよサイコパス】 監禁有、流血有のドキドキ新婚旅行編 【第3章 埋もれるほどの花びらを君に】 ほのぼの短編 【第4章 十字架、銀弾、濡羽のはおり】 ゼータの貞操を狙う危険な男、登場 【第5章 荒城の夜半に龍が啼く】 悪意の渦巻く隣国の城へ 【第6章 安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ】 貴方の骸を探して旅に出る 【第7章 はないちもんめ】 あなたが欲しい 【第8章 終章】 短編詰め合わせ ※表紙イラストは岡保佐優様に描いていただきました♪

ベータですが、運命の番だと迫られています

モト
BL
ベータの三栗七生は、ひょんなことから弁護士の八乙女梓に“運命の番”認定を受ける。 運命の番だと言われても三栗はベータで、八乙女はアルファ。 執着されまくる話。アルファの運命の番は果たしてベータなのか? ベータがオメガになることはありません。 “運命の番”は、別名“魂の番”と呼ばれています。独自設定あり ※ムーンライトノベルズでも投稿しております

お世話したいαしか勝たん!

沙耶
BL
神崎斗真はオメガである。総合病院でオメガ科の医師として働くうちに、ヒートが悪化。次のヒートは抑制剤無しで迎えなさいと言われてしまった。 悩んでいるときに相談に乗ってくれたα、立花優翔が、「俺と一緒にヒートを過ごさない?」と言ってくれた…? 優しい彼に乗せられて一緒に過ごすことになったけど、彼はΩをお世話したい系αだった?! ※完結設定にしていますが、番外編を突如として投稿することがございます。ご了承ください。

【本編完結】溺愛してくる敵国兵士から逃げたのに、数年後、××になった彼に捕まりそうです

萌於カク
BL
この世界には、男女性のほかに第二性、獣人(α)、純人(β)、妖人(Ω)がある。 戦火から逃れて一人で草原に暮らす妖人のエミーユは、ある日、怪我をした獣人兵士のマリウスを拾った。エミーユはマリウスを手当てするも、マリウスの目に包帯を巻き視界を奪い、行動を制限して用心していた。しかし、マリウスは、「人を殺すのが怖いから戦場から逃げてきた」と泣きながら訴える心の優しい少年だった。 エミーユは、マリウスが自分に心を寄せているのがわかるも、貴族の子らしいマリウスにみすぼらしい自分は不似合いだと思い詰めて、マリウスを置き去りにして、草原から姿を消した。 数年後、大陸に平和が戻り、王宮で宮廷楽長として働くエミーユの前にマリウスが現われたが、マリウスには、エミーユの姿形がわからなかった。 ※攻めはクズではありませんが、残念なイケメンです。 ※戦争表現、あります。 ※表紙は商用可AI

おっさん部隊長のマッサージ係になってしまった新米騎士は好奇心でやらかした

きよひ
BL
 新米騎士×ベテランのおっさん騎士  ある国の新米騎士フリシェスは、直属の上司である第一部隊長アルターのマッサージ係として毎日部屋に通っている。  どうして毎日おっさんのマッサージなんてしなければならないんだろうとゲンナリしていたある日、男同士の性欲処理の話を聞いたフリシェスはどうしても試したくなってしまい......?  高い声で喘いでいる若い騎士の方が攻め。  カエルが潰れたような声を出して余裕があるおっさんの方が受けです。 ※全三話

処理中です...