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一章
抑制剤
しおりを挟む「喜ぶと思ったのに……」
両手で頬杖をつき、パソコンが立ち上がるのを待ちながらポロリと本音がこぼれ落ちる。
聞き逃さなかった杉野がすぐに食い付いた。
「なんで俺が喜ぶと思うんですか」
「え? だって俺のヒートが近づいてきても、抑制剤の量を増やさなくて済むだろ」
「……なんの話ですか」
珍しく、杉野の瞳が揺らぐ。
不自然なほどに平坦な声での質問は、逆に図星だと言っているようだった。
藤ヶ谷はデスクに倒れている茶色い小瓶を指差した。
「それ」
たまに杉野が飲んでいるもので、ラベルが貼っていなかったため気になっていたのだ。
ずっと「もしかしたら」と思っていたのだが、確信を持った今はハッキリと言ってやる。
「二日酔いで栄養剤でも飲んでるのかなって呑気に思ってたけどさ。俺がヒートになる時期と重なってるのに気づいたんだよ」
「ただの事故防止なんで気にしないでください」
そのままにしていた小瓶を今更自分のカバンに突っ込んだ杉野は、苦々しい表情になる。
藤ヶ谷を含む一般的なオメガは、自分がヒートになる少し前から抑制剤を呑み始める。そして実際にヒートに入った時に効力の強いものを飲むのだ。
しかしアルファは、いつどこでヒート中のオメガに出会うか分からない。
即効性の抑制剤を持ち歩く者もいるが、杉野は常飲していると前に話していた。
おそらくそれにプラスして、藤ヶ谷のヒートが近づくと小瓶の抑制剤を飲んでいる。
「お互い抑制剤を飲んでるのに、お前は俺のフェロモンが変わったのにいつも気づくもんな。敏感な方なんだろ?」
「……そうじゃないです」
抑制剤は便利だし、ドラッグストアやコンビニで買えるほど身近なものになっている。
しかしそれでも副作用がある時はある。
そもそも薬を飲み過ぎるのは良くないのだ。
無理をさせているのではないかと、常々思ってはいた。
杉野が首を振るのを「気を遣っている」と受け取った藤ヶ谷は、小さく息を吐く。
「俺に番ができたらお前には影響なくなるし、喜ぶかなってさ」
会話をしながらでも作業出来るはずの杉野が、パスワード入力の画面を睨み付けて最後まで聞いていた。
2人の間に、不穏な空気が流れる。
「俺のことを気にかけてくれてたんですね。それなのに、子どもみたいなこと言ってすみませんでした」
沈黙を破ったのは杉野だった。
椅子を回転させて、体ごと藤ヶ谷に向けてくる。
「でも、聞いてください藤ヶ谷さん」
「あ、ああ」
杉野の膝に置かれた大きな手は、白くなるほど握られていた。
仕事の時以上の深刻な雰囲気に、藤ヶ谷も思わず背筋を伸ばして続く言葉を待つ。
「俺は」
「おはよう杉野ー!」
けたたましい音とともに勢いよくドアが開く。
元気のいい声が、2人しかいなかった部屋中に響き渡った。
藤ヶ谷も杉野も、反射的に声の主に顔を向ける。
「あのさー! ちょっと聞きたいことが……あ、る……」
姿を見せたのは、杉野の同期の男性社員だった。
広報部に所属している彼は入ってくるなり要件を言おうとしたが、只ならぬ空気をすぐに察知した。
気まずげに一歩後ずさる。
「すんません、お取り込み中っすか?」
「悪い悪い! また俺がミスって怒られてたんだよ! 逆に助かった」
本当に出ていってしまいそうな男性社員を、藤ヶ谷は慌てて引き留める。
わざとらしい作り笑いが、逆に話に真実味を持たせていた。
実際に、落ち着かない状況を打破してくれて助かったし、大雑把すぎる藤ヶ谷が杉野に注意されているのもいつものことだ。
だが杉野は藤ヶ谷の腕を掴んだ。
「藤ヶ谷さん、話はまだ」
「なんだ良かったー! お前、優秀だからって先輩にケンケン怒るなよー!」
「いやだから」
にこやかに近づいてきた男性社員は、まだ何か言いたげな杉野の肩に腕を回す。問答無用で立ち上がらせた。
「んじゃ、借りていきまーす」
「おおー! ちゃんと始業時間までに返せよー」
大きく手を振る男性社員に、藤ヶ谷は明るい声で親指を立てた。
腰を屈めて引き摺られていった杉野の顔は見えなかったが、おそらく不服そうな表情なんだろう。
2人の姿がドアの向こうに消えたのを確認すると、体と顔の力を抜いて椅子の背にもたれ掛かる。
天井の照明に目を細めて大きく溜息を吐いた。
「……なんか、本気で怒らせたっぽいな……」
全く理由が分からなかった。
ただ、杉野のおかげで浮かれ切っていた藤ヶ谷は少し冷静になった。
仕事の合間にまたきちんと話をしようと決めて、仕事を始めることにした。
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