妻の失踪

琉莉派

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プロローグ

プロローグ 「タカ」という男

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 ダイヤルを右に左に回しながら、聞き出した数字で止めることを複数回繰り返し、最後は数字の54で止めた。シリンダーキーを差し込み、右に回すと、カシャリ、と音がして、巨大金庫はゆっくりと開いた。

 タカとヤスが、おーっ、と低い感嘆の声とともに、俺の肩越しに中をのぞき込む。二人とも、ピエロの覆面からのぞく二つの目玉を極限まで見開いている。

 それもそのはず、金庫内には五キログラムの純金の延べ棒がざっと二十本は収まっている。一つ三千万と見積もっても、六億円はくだらない計算だ。

「会社を借金漬けにして、てめえはこっそりため込んでやがったわけだ。悪党め。何が自己破産寸前だ、笑わせるぜ」

 振り返って、磯部裕也を見た。彼はもはや返事をすることができない。血の海の中で、口をあんぐりと開け、白目をむいて絶命している。
 その傍らで、妻の磯部陽子が顔を灰色に染め、引きつった顔で震えている。

「奥さん、ありがとよ。おかげで金庫は無事に開いたよ。旦那もあんたみたいに物分かりがよけりゃ、死なずに済んだのにな」

 俺はヤスと一緒にキャスター付きのバッグに金塊を詰め込んでいく。詰め終わって、ヤスが、「早いとこ、ずらかろうぜ」と、タカをせかすと、

「まだだ」

 タカはボイスチェンジャーを通した声でいった。磯部陽子に歩み寄ると、

「なあ、奥さん。他にも高額な宝石や書画・骨董を隠し持っていることは分かってるんだ。その在りかも白状してもらおうか」

 タカはもともとだみ声だが、変声機を通した野太い声は、より凶暴さを増して聞こえる。声だけでなく、身体つきまで特製の肉襦袢で偽装している。まったく用心深い野郎だぜ。

「そ、そんなもの……ありません」磯部陽子は怯え切った様子でいった。
「嘘はいけないよ、奥さん。隠し資産はこんなもんじゃないはずだ」
「でも、本当に……」
「調べはついてるんだ。旦那みたいになりたくなかったら、正直に話すことだ」
「し、知らないんです。あ、あたし、本当に」

 そのやり取りを聞きながら、俺は気が気でなかった。

「おい、金塊だけでいいじゃねえか。ざっと見積もっても六億はある。三等分しても、ひとり二億になる計算だ。強欲は命取りだぜ」
「あわてるな。お宝は根こそぎいただくんだよ」
「押し入りは時間が勝負なんだ。もたもたしてると……」
「うるせえ。リーダーはこの俺だ。俺のやり方に逆らうんじゃねえ!」

 タカは肩を怒らせ、覆面からのぞく両目を吊り上げて居丈高に怒声を発した。
 喧嘩ではこいつにかなわない。俺は黙るしかなかった。

「ヤス、お前は金塊を車に詰め込め」

 タカはヤスに命じると、俺にむかって、

「ジュンはお宝を家捜やさがししろ。その間に俺はこの女を吐かせる」
「分かったよ」

 俺は不貞腐れたようにいって、廊下へ出た。
 ちくしょう。図に乗りやがって。
 窃盗なら、こっちがプロだ。こういうことは迅速にやらなきゃ、どこで足がつくか分からねえんだ。利益にこだわって警察につかまっちまったら、元も子もねえじゃねえか。すでに殺しまでやっちまってるんだぞ、こっちは。

 だが今回のヤマは、タカが持ち込んできた案件であり、俺とヤスは、たんに雇われの身に過ぎない。タカの指示に逆らうことはできなかった。

 右側の部屋のドアを開けて中へ入る。書斎のようだ。
 こんなところに高価な宝石や書画・骨董類が隠してあるとは思えないが、とりあえず引き出しという引き出しを開けて隅々まで探索した。めぼしいものはない。

 部屋を出て、向かいの衣裳部屋に入る。
 箪笥を次々に開けていく。汗がだらだらと首筋に流れ落ちる。
 八月に入って最高気温が三十五度を超える酷暑の日がつづいており、今日は今年の最高気温を更新したと昼間のニュースでいっていた。覆面で覆われた顔がベトついて、窒息しそうなほど気分が悪い。

 ――くそっ。

 思わず右手で覆面をはぎ取った。空気が直接肌に触れて、生き返ったような気がした。
 人心地がついて、タカへの怒りも鎮まってきた俺は、お宝の捜索に没頭した。隠し扉がないか、壁や床を入念にチェックする。が、この部屋にもない。

 ――いったい、どこに隠しやがった。

 衣裳部屋を出て、次の部屋へ移ろうと、廊下の角を左に折れた、その時だった。
 目の前に三歳くらいの幼児が突然、現れたので、どきりとして立ち止まった。物音を聞きつけて、子供部屋から出てきたらしい。

「おじさん、だあれ?」

 右手で目をこすりながら、寝ぼけまなこで問いかけてきた。俺は言葉につまった。

「ママは? ……ママはどこ?」

 この家に幼い子供がいることはタカから聞いて知っていたが、タカへの怒りとお宝の捜索に心を奪われ、すっかり用心を怠っていた。

 俺は慌てて後ろを向き、ピエロの覆面をかぶり直す。子供に顔を見られたことに、内心狼狽していた。

 ――どうしよう。どうしたらいい? 

 子供は無邪気な表情で、「おじさん、だぁれ?」とふたたび訊いてきた。

 顔を見られた以上、幼児だろうと生かしておくことはできない。俺は覚悟を決めて、懐からナイフを取り出し、振りかぶった。子供は驚いたように目を見開く。

「ジュン、何をしてる」

 突然、うしろから右手をつかまれた。タカだった。
 子供は火が付いたように泣き出し、逃げるように子供部屋へと駆け込んでいく。

「顔を見られたんだ、あの子に」
「覆面を脱いだのか?」
「あまりにも暑くて」
「馬鹿野郎」

 タカのパンチが左頬に炸裂した。俺はたまらず床にぶっ倒れる。すぐに立ち上がり、

「あの子を始末しないと」
「ふざけるな。これ以上の殺生は許さん」
「俺は顔を見られたんだぞ」
「俺たちは見られていない」
「なに」
「お前のヘマのせいで、俺たちまで幼児殺しの罪を背負えるか。強盗で二人も殺せば、間違いなく死刑だ」
「だが、あのガキを生かしておいたら、俺は警察に逮捕される」
「されるもんか」

 と、タカがいった。

「見ただろう。まだ三歳にも満たない幼な子だ。物事の道理なんか分かっちゃいない。大人の顔なんてみんな同じに見える年ごろだ。警察がまともな似顔絵を作れるものか」
「しかし……」
「お前は磯部裕也となんの接点もないんだ。疑われる心配はない。とにかくこれ以上の無益な殺生は俺が許さない。繰り返すが、リーダーはこの俺だ。すべて俺の指示に従ってもらう。言うことが聞けないなら、死ぬのはあの子じゃなくてお前になるぞ」

 タカに睨まれて、俺は気弱く床に視線を落とした。心中ではムカついていた。

 ――この野郎。こんなこと言って、俺をはめる気じゃねえだろうな。

 全ての罪を俺にかぶせて、用が済んだら始末する気かもしれねえ。この男ならやりかねない。用心しねえと寝首をかかれるぞ。

「そんなことより女が吐いたぞ。一階の洗面所の下が地下室になっている。そこにお宝が眠ってる。さっさと頂戴して、ずらかろうぜ」

 うれしそうに言うと、タカは一階へと駆け下りていった。
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