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第三章 指につばを吐いて描く
第十二話 罠
しおりを挟む「どういうことだ」
情事の後、ラブホテルの一室で私の隣に横たわりながら煙草をくゆらせていた貝原は、身を起こし、怪訝な顔で私を見下ろした。
「だから……はっきりさせたいのよ」
「何を?」
「琴美は敵なのか、それとも味方なのか」
「ふむ」
貝原は胡坐をかくと、手を伸ばして枕元の灰皿で煙草を揉み消した。
この夜、私はいつにも増して激しい喘ぎ声を立てた。感じてもいないのに、AV女優のように半開きの口から断続的に熱い吐息を洩らし続けた。貝原はすっかり信じ切っている様子で、終始上機嫌だった。
「彼女があずさ殺しの犯人かどうか、確かめたいの」
「彼女に決まってるさ」
「確証が欲しいのよ」
「でもどうやって」
「脅すの」
「脅す?」
「私にやったようにね。お得意でしょ」
☆
翌日の稽古前、貝原は琴美を個人練習室に呼び出し、私に言われた通りのことを喋った。
すなわち――、
「俺はお前があずさを殺した証拠を握っている。見てたんだよ、あんたが楽屋に入っていくところをな。滝沢との関係を巡って口論になり、あんたは外へ飛び出した。その後、再び彼女の楽屋に忍び込んで、意識を失い倒れている彼女の胸にナイフを突き刺して殺害した。俺は全部見ていた。出るとこへ出て話したっていいんだぜ。そうなりゃ、アンダースタディの話もパーだ。黙っていて欲しかったら、明日の夜、稽古が終わった後、俺の自宅へ来い。そこでじっくり話し合おうじゃないか」
その日の稽古は夜十時に終了した。
警察による滝沢への任意取調べが終了し、明日からは従来通り午後二時稽古開始となることが発表された。まだ容疑が完全に晴れたわけではないが、滝沢の取調べがひとまず打ち切られたことで、劇団員たちは一様に安堵の表情を浮かべた。
だが一人、琴美だけは稽古中からずっと浮かない表情を崩さなかった。滝沢の口から取調べ終了が告げられ、皆の顔に笑顔が浮かんだ時も、蒼白い顔で視線を漂わせていた。
「琴美から電話があったよ」
その日の深夜、貝原のマンションに着くと、彼がスマホを右手にかざしながら言った。
彼の自宅に入るのは初めてだった。マンションとは名ばかりの、古く老朽化した三階建ての建物で、部屋も八畳の居間と六畳の寝室のみ。劇団明星の舞台監督の住まいとしては少々貧相な気もするが、独身だからそれほどこだわりがないのだろう。
「彼女は何て言ってきたの?」
「明日、夜八時にこのマンションに来るってさ」
「そう」
「これではっきりしたな」
あっけないほど簡単に、琴美は馬脚をあらわした。私は全身の皮膚が粟立つのを覚えた。
やはり彼女が犯人だったのだ。
今までの発言すべてがまやかしだった。
私の前で見せた、けなげで従順な顔は、ことごとく演技だったのだ。
――よくもやってくれたわね。たいした玉だわ、琴美。
彼女の真の姿があらわになったことで、ようやくこちらも腹が固まった。
――やられる前に、やるしかない。
踏みにじられた信頼は、猛烈な憤怒となって身の内でとぐろを巻いた。
――目には目を、だ。
「ねえ」
甘ったるい声で、居間のソファに座る貝原の隣に腰を下ろす。
「なんだい」
彼は目尻を下げて、腕を首にからめてくる。
「明日彼女が部屋に来たら、レイプしてほしいの」
「なに」
貝原は目を剥いて、声を上擦らせる。
「レ、レイプ!?」
「許せないのよ。従順で献身的な振りをして、ずっと私をあざむいていたことが」
「し、しかし……」
貝原の顔は蒼ざめている。
「何をびびってるの。私にしたようにすればいいのよ」
「あ、あれは、愛しているからだ。百合亜を愛すればこそ、俺は……」
「愛しているなら私の言うことを聞いて」
「俺は百合亜だけで充分だ。他の女なんて必要ない」
私は身体をかたむけて貝原の胸に顔を埋めた。
「復讐したいの。私を愛しているならやって。お願いよ」
背中に手を回し、きつく抱きしめた。
「このままじゃ私、彼女に殺される」
「分かったよ」
貝原は強張った顔で頷いた。
「その代わり、一度だけだぞ。それも、彼女があずさ殺しを認めたらだ。無実の人間をレイプしたりしたら、こっちが刑務所行きだからな」
「いいわ」
私は頷いて顔を上げた。
「ゴムはつけないでね」
「なに?」
「コンドームをつけずにやって。分かったわね」
貝原は怪訝そうな顔で私を見た。
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