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第三章 指につばを吐いて描く
第八話 疑心
しおりを挟む翌日の稽古で、琴美のアンダースタディーが滝沢の口から正式に発表された。
私が病気や怪我などで出演できなくなった場合、セカンドキャストとして舞台に立つことになる。公演が長期に及んだ場合にもチャンスは巡ってくる。
みんな特段驚く様子もなく、淡々とその決定を受け入れたようだ。稽古で何度も代役を務めてきたのを見ているし、あと二週間という時間的猶予を考えても、止むをえない措置との受け止めだろう。
情実がからんだ配役だと疑っている者はいないはずだ。私だってそんな風に考えたくはない。きっと滝沢の目には、私たちには感知しえない琴美の未知なる可能性が見えているのだ。片桐あずさの場合がそうであったように。
しかし西條敦子の見解は違っていた。
「やっぱり睨んだ通りね」
稽古終了後、私は廊下の隅に連れていかれた。
「これではっきりしたわ。琴美が滝沢の新しい女よ。間違いない」
「まさか。あり得ませんよ」
「いいえ、私には分かるの」
確信したような口吻だ。
「考えてもみてよ。稽古期間中、滝沢は何度も琴美を自分の部屋に呼びつけていた。あの事件の日だって、二人は劇場内の個室に遅くまで残っていたのよ」
「話があったからでしょう」
「何の話よ。彼女はあなたの付き人に過ぎないのよ。芝居の話なら、桜井にすればいいじゃない」
「私の話をしていたのかもしれない。私の演技について、どうすればいいかと」
「甘いわね。そんな考えじゃ、彼女に寝首をかかれるわよ」
敦子はあざけるように言った。
「どういう意味です?」
「あなたの真のライバルは、もともと片桐あずさじゃなくて、琴美だったってこと。それがはっきりしたのよ」
私は面食らっていた。
「おそらくあの子は、自分がミミ役になるにはどうすればいいかを考えて、あなたの付き人に志願したのよ」
「まさか」
そんなことはあり得ない。あの琴美に限って。
「考えてもみて。ただの付き人がどうしてミミの台詞や歌やミザンスを全て完璧に覚える必要があるの? 今思えば、最初からおかしかったのよ、彼女の行動は」
「それは、琴美が私をサポートしてくれようとして……」
「おめでたいわね」
敦子は鼻先で笑った。
「ま、せいぜい役を奪われないように気をつけることね。あなたさえいなくなれば、彼女は晴れてファーストキャストになれる。私だったらこの機会を逃したりしないわ」
「どういう意味です?」
「分かってるくせに」
敦子は、潤いを失って薄くなった頬の肉を持ち上げてほくそ笑むと、くるりと背を向け、足早に去っていった。
私の心臓はまだ激しく打ち続けていた。
――琴美が? 私からミミ役を奪おうとしている?
まさか、そんなこと、あるはずがない。私は一笑に付した。
「百合亜さんのためなら、どんなお手伝いでもします」
「私は心から百合亜さんにミミ役をゲットしてほしいんです」
「二人三脚でこの戦いに勝利しましょう」
彼女の真摯でまっすぐな言葉の数々が思い出される。そこに嘘が混じっていたとは到底思えない。
「琴美に限ってまさか」
あえて声に出して、敦子の見解を否定した。
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