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第三章 指につばを吐いて描く
第三話 拒絶
しおりを挟むその夜も私は貝原から呼び出しを受け、ラブホテルへ行った。
部屋に入るまでは大人しく従ったが、にやついた顔で私を抱きすくめてくる彼に、吐き気を催すほどの嫌悪感を覚え、思わず両手で払いのけた。
――今日は無理。
本気でそう思った。
「どうしたんだよ、百合亜」
驚いた顔で見つめてくる。さながら恋人気取りだ。
「こんな日に、よくそんな気分になれるわね」
声を震わせて言った。「滝沢さんが警察に連行されたのよ」
劇団存亡の危機に際しても、己れの性欲を満たすことしか頭にない彼に心底腹が立った。
「だからって俺たちに何ができるんだよ。警察の動向を黙って見守るしかないだろ」
と再び肩に手を回してくる。
「やめて!」
身をよじって逃れた。「今日はしたくない」
――いいえ、金輪際あなたなんかに抱かれたくない。
「百合亜、どうしたんだよ」
「罪の意識を感じないの?」
「罪?」
「あなたの代わりに滝沢さんが逮捕されるかもしれないのよ」
「そんなことにはならないさ」
貝原は軽口を叩くように言った。
「直接的な証拠は何もないんだろ。口さえ割らなきゃ、逮捕される心配はない。こっちには有力な政治家の先生方が何人もついているんだ。すぐに戻ってこれるさ。ま、本当に本人がやってなきゃの話だがね」
「え?」
私は意味をはかりかねて彼を見た。
「どういう意味?」
「べつに」
誤魔化すように言うと、私を強引に抱きすくめ、ベッドに押し倒した。必死に抵抗するが、ブラウスを引き裂かれ、ボタンが四方に飛んだ。
「やめて」
「やめない」
「今日は無理なの」
「もうスイッチが入っちまったんだよ」
いつもならこのままねじ伏せられ、されるがままになるところだ。しかし今日はどうしても嫌だった。こんな日に貝原にオモチャにされる自分が許せなかった。私の内部で炸裂する感情があった。
「いてっ!」
貝原は股間を押さえてうずくまった。揉みあっているうちに膝で蹴りつけてしまったようだ。私は素早くベッドから降りる。
「何するんだよ、百合亜」
痛みで身動きのできない様子で、股間を押さえ、額からは脂汗を流している。
「嫌だって言ってるでしょ」
「分かった」
と左の手のひらをこちらに向けた。
「今日はセックスはなしだ。それでいいんだろ。会話だけにしよう」
「それもお断り」
「なに」
「あなたとの関係は、これっきりにさせてもらうわ」
言ってから、自分の決意を確認した。滝沢が警察に持っていかれたことで、目が覚めたような気持ちになっていた。これまでの私はどうかしていたのだ。
「何を言ってる」
彼はうろたえたように叫んだ。
「俺たちうまくいってたじゃないか」
「冗談言わないで」
私は怒りをあらわにした。
「そう思ってるのはあなただけよ。こっちはずっと耐え忍んできたの。もう限界」
「百合亜……」
私は床のバッグを手にとり、身を翻した。
「待てよ」
股間を押さえたまま、ベッド上の貝原が叫んだ。
「俺と別れるというなら、あのことを警察にバラすぞ」
私はドアノブに手をかけた状態で振りかえる。
「どうぞ、ご自由に」
もうどうとでもなれという心境だった。
「なに」と目を剥く。
「だって私はあずさを殺していないのよ。たとえ時間がかかっても無実は証明されるはず。警察に捕まって、ミミ役を降ろされたって構わないわ」
この地獄が永遠に続くことを考えれば、それくらい何てことはない。そもそも今の状況では無事に公演が行われるかどうかも怪しいのだ。
「そのかわり、あなたは殺人犯として一生、牢獄の中よ」
「構わないさ」
「好きにしなさい。警察に言いたければ言えばいい。私はもう何も恐れないわ」
吹っ切れていた。脅しにやすやすと屈するから、こいつはつけ上がるのだ。貝原に警察に真実を話す度胸などあるものか。結局は口だけだ。単なるこけおどしに過ぎない。
「俺を見くびるなよ」
捨て台詞が背後から聞こえてきた。
「そこらへんの男とは訳が違うぞ。俺を捨てたらどうなるか覚えとけ。破滅だからな。百合亜を破滅させてやるからな!」
私は部屋を後にしながら、その声を聞いた。もはや迷いはなかった。薄暗い廊下をエントランスへと向かって足早に急いだ。
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