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第一章 ミュージカル界へ
第十二話 琴美の推理
しおりを挟む昼食の後、私は琴美に案内してもらって近くの靴屋へ向かった。歩いて五分ほどのところに量販店がある。
午後の稽古開始時間が迫っているので、急いでナイキの白のスニーカーを購入して外へ出た。
「百合亜さんのシューズを切り裂いた犯人ですけど……」
考え込むようにうつむいて隣を歩いていた琴美が、ふと思いついたように口を開いた。
「え?」
「ひょっとしたら、西條敦子さんかもしれませんね」
ぽかんとして琴美を見た。
「どういうこと?」意味が分からない。
「西條さんは、あずさのことを嫌っています。だから、あずさに罪をなすりつけるために、百合亜さんのシューズを切り裂いたんじゃないでしょうか」
「いくらなんでもそれは……」
考え過ぎじゃないだろうか。敦子は陰に回ってこそこそ陰湿なことをするタイプには見えない。正面からずけずけ言うのが彼女のやり方だ。
「いくらあずさを嫌っているからって、そんなことまでするかしら」
「しますよ」
琴美はきっぱりと言った。
「西條さんのあずさへの憎悪は、普通じゃないんです」
「ミミ役を獲られたから?」
昨夜の更衣室での二人の諍いが蘇ってくる。
「それもあります。本来なら、ミミは西條さんが演じるべき役柄です。この十年間、ずっと劇団のトップを担ってきたのはあの方ですから」
私はミュージカルに疎いため知らなかったが、西條敦子は長年劇団の看板女優であったらしい。
「その地位をあずさに奪われそうだという焦りは当然あるはずです。でも、それだけじゃないんです……」
琴美は周囲を見回してから、声をひそめて言葉を継いだ。
「西條さんはずっと、滝沢先生とお付き合いしていたんです」
「そうなの?」
思わず声が高くなった。
「結婚まで誓い合った仲でした。それが急にお別れすることになって、その直後にラ・ボエームの座内オーディションがあったんです。結果はご存知の通り。西條さんは選に漏れ、あずさが最終に残った」
「つまり……」
「西條さんは役だけでなく、滝沢先生もあずさに奪われたと思っているんです。どちらかというと、そのショックの方が大きいでしょう。あの方は女優としてよりも女としての人生をより大切にされる方でした。結婚したら引退して家庭に入ると公言されていたくらいですから。それだけに、あずさを憎む気持ちは人一倍強いはずです。少し前までの西條さんは、とてもお優しい方だったんです。あんな暴言を吐いたりするような方じゃなかった。すっかり変わってしまわれました」
その物言いには、西條敦子に対する同情が強く感じられた。
「でも、滝沢さんがあずさに乗り換えたというのは本当の話なの?」
「分かりません」
琴美は言った。「劇団内でそういう噂があるのは事実ですけど、誰も確かめたわけじゃないし」
「西條敦子のたんなる思い込みということもあるわけね」
「はい」
「私は部外者だから率直に言わせてもらうと、西條敦子はミミをやるには年を取り過ぎていると思うわ」
「ええ……まあ」
琴美は少し不服そうな表情をした。その意味をはかりかねたが、かまわず続けた。
「その点、イメージだけでいえば、片桐あずさはミミにぴったりよ」
「でも歌が下手じゃないですか。百合亜さんもそう思ったでしょう」
「下手だとは思わないけど、声量は圧倒的に不足しているわね」
「だから、彼女が最終に残ったことが不思議なんです。みんなそう思ってますよ」
おや、と思った。琴美もあずさのことを嫌っているのだろうか。
同期入団にもかかわらず、あずさだけが成功への階段を登り始めたことに嫉妬を抱いているのかもしれない。まあ、抱かない方がおかしいだろう。
私にこれほど肩入れし、付き人を自ら志願した裏には、あずさにミミ役をやらせたくないという思惑も少なからずあるのかもしれない。
「急ぎましょう。遅れちゃう」
琴美が腕時計を見て、慌てたように言った。
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