歌姫の罪と罰

琉莉派

文字の大きさ
上 下
2 / 55
第一章 ミュージカル界へ

第一話  ミューズに選ばれし者

しおりを挟む
 
 
 オペラ歌手は、ミュージカル俳優を軽蔑している。
 あんなものは真の歌手ではないと内心さげすんでいる。
 もちろん、口に出したりはしない。しかし心の奥底では、同じ歌手と見られることを嫌悪しているのだ。

 ――ミュージカルなんて、しょせん演歌だろ。
 ――まるで、猫が絞め殺される時の声みたい。

 部外者が誰もいない時、関係者の間で密やかに交わされる悪口だ。雑音にしか聞こえないという者もいる。

 そもそも、マイクを使用しなければ劇場の後ろまで声が届かない者に、歌手を名乗る資格があるだろうか。全ては誤魔化しであり、真の芸術家とは程遠い。
 
 もちろん、そのように考えないオペラ歌手もいるだろう。しかし、そういう者はすべからく二流だ。たとえ一流であっても、超一流ではない。
 真の耳を持ち、真のスキルを持つ者はクラシック歌手でも少ない。ごくわずかだ。

 私は、そんな選ばれし者の一人だと自負している。
 音楽のミューズに選ばれて、この世に生を受けたのだ。
 選ばれた者には責任がある。
 その才能を最大限に伸ばし、人々に「本物」を提供する責任――。偽者に対しては、はっきり「偽者だ」と言い放つ責任。

 真の芸術家は、決して謙虚であってはならない。
 謙虚とは、この世界では「卑怯」と同義なのだ。
 自分が他人から攻撃を受けないために、人は謙虚を装う。他人を攻撃しないことで自らに対する悪口を封じ、身の危険を回避する。

 何と弱々しい心だろう。
 マリア・カラスがかつて謙虚であっただろうか。ピカソやダリがおのれの芸術に対し、へりくだっていただろうか。

 答えはいなだ。
 真の芸術家は、決して謙虚には陥らない。むしろ、謙虚と戦う。
 一般社会では美徳とされるこの態度は、芸術の分野ではむしろ唾棄すべきものなのだ。

 若い頃、私は一時期マスコミから祭り上げられ、ちやほやされたことがある。しかしそれは私の芸術に対してというよりも、その容貌によるところが大きかった。人形のように扱われることに嫌気が差し、ある時から思ったことをオブラートにくるまず、はっきり口にするようになった。
 物議をかもした発言がある。

「あの方は歌が下手です。スキルがありません」

 名指しして一人の歌手を批判した。
 それは、アメリカの素人オーディション番組でオペラのアリアを歌って優勝し、世界的に話題になった中年女性だ。そのこと自体に異論はない。所詮、素人番組内での出来事である。

 しかし、日本の公共放送が年末に行われる最大の歌謡番組において、その女性をゲストとして招聘し特別扱いで出演させた。まるで世界的超一流歌手をもてなすかのような高待遇で――。私はそれが信じられず、また我慢ならなかった。

「彼女は素人番組で優勝しただけで、プロから見れば技術的にかなり劣っています。そんな方を国家的な歌番組に特別扱いで招聘するのはおかしいと思います」

 生放送での発言だったものだから、司会者もコメンテイターたちも大慌てだった。

「いやぁ、思いきったことを言いますね、徳大寺さん」

 司会者は顔を引きつらせながら言った。

「でも、とても感動しましたよ、彼女の歌は」
「私も。正直、泣きそうになりましたもん」

 二人のコメンテイターは必死になって、私の発言を否定する役回りを担った。

「感動うんぬんのことを言っているのではありません。私は、彼女にはプロとしてのスキルがないと言っているんです」

 にこりともせず言い返した。
 この一件はたちまち話題となり、「傲慢だ」「生意気だ」「自分を何様だと思っているんだ」と週刊誌やワイドショーで散々叩かれた。

 しかし、私は傲慢でもなければ生意気でもない。
 ただ率直に客観的事実を述べたに過ぎない。
 音楽の女神に選ばれし者として、こと音楽に関して嘘だけはつきたくなかった。
 当然、テレビからは干されるだろう。そう覚悟したが、案に相違してオファーが次々に舞い込んだ。

「面白かったですよ。あんな発言をうちの番組でもしてください」

 プロデューサーたちは口々にそう言った。
 言われるまでもなく、私はどの番組でも思うところを率直に述べた。嘘いつわりのない気持ちを正直に語った。だが後でオンエアを見ると、私の発言のあとに必ずといっていいほど笑い声が被せられていた。意図的にどっと湧くような爆笑が挿入されている。

 私は可笑しいことなど何一つ言っていない。大真面目に答えたのだ。
 なのに笑われている。
 ショックだった。私の話す内容は、この人たちにはまるで通じないのだ。
 週刊誌やワイドショーで人格を叩かれた時よりも傷ついた。テレビは恐ろしいと思った。

「百合亜。百合亜じゃない?」

 ふいに前方から声をかけられた。JRから小田急線に乗り換えようと新宿駅の連絡通路を歩いていた時だ。

「美鈴?」

 思いだすのに五秒ほどかかった。以前、二歌会というグループで一緒だった同期の桜木美鈴だ。いくつもの舞台で共演し、あの「ラ・ボエーム」の時も共に稽古に入っている。

「久しぶり。元気にしてた?」
「……うん」

 正直、会いたくない相手だった。

「今、何してるの?」
「何って……」
「歌は続けてるの?」
「もちろん」
「へえ、どんな作品に出てるの?」

 しらじらしい。

「百合亜なら絶対復活できるよ。まだ若いんだしさ」

 どうせ心の中であざ笑っているんでしょう。若い頃あれだけ大口を叩いておいて、現在のそのザマは何よ、とみんなで馬鹿にしているんでしょう。

「あ、そうだ。私、今度『椿姫』に出るのよ。森村先生の作品。良かったら見にきて」

 美鈴はブランドもののバッグからチラシを取り出すと私に手渡し、「じゃあね」と小さく手を振って山手線のホームへと駆け上がっていった。
 私はチラシに視線を走らせた。国立第二劇場で行われる四回公演で、かつての仲間が何人も出演者に名を連ねている。チラシを折りたたんでバッグにしまうと、改札を抜けて小田急線の構内に入った。その途端、急に動悸が激しくなるのを覚えた。

 まずい。

 悪い兆候である。すぐさまトイレに駆け込み、バックから安定剤を取り出して服用する。ここ一ヶ月ほど薬の力に頼らずとも日常生活に支障をきたすことはなかったのに、どうしたことだろう。

 美鈴と会ったことが原因だろうか。
 いや、そうではない。小田急線の車両を目にしたからだ。グレー地にブルーのラインが入った独特のデザインに、心がざわめいたのだ。
 トイレを出、階段を上がって一旦は急行に乗り込むも、すぐに思い直して地下の各駅停車に乗り換えた。少しでも到着を遅らせたい心理が働いたのだ。

 あの人に会うのが恐かった。
 あの人は私の決断をどう思うだろう。
 反応はだいたい想像がつく。
 でも仕方がないじゃない。背に腹は変えられない。このまま朽ち果てていくのを黙って待つなんて私には耐えられない。どんなことをしてでも第一線に返り咲かなければ、この世に生まれてきた意味がない。

 電車が動き出した。
 再び動悸が激しくなる。薬よ、早く効いてと祈る。

 それにしても――。二十九歳にもなって、いまだにあの人の呪縛から逃れられない自分は一体何なのだろう。あの人が、私という人間を作ったのだ。今でも自分の中の半分はあの人で占められている。その半分の私が、己の下した決断を非難し、蔑んでくる。

 思わず目を閉じ、襲いくる自己否定を意識の外へと退けた。安定剤による心身の弛緩がゆっくりと全身を巡り始める。

 一時間ほどして、電車は玉川学園駅に到着した。
 この駅は東西の丘陵に挟まれた谷間に位置し、駅を出て東側の急坂を登っていくと高級住宅街が現れる。昔から著名な小説家や芸術家が好んで住み、小田急沿線では成城学園と並ぶ文教都市である。

 急坂を一分ほど登ると、右手に青い屋根の二階建ての邸宅が見えてくる。車庫にはベンツとアウディが停まっている。

 ここで私は再び動悸が高まるのを覚えた。
 一旦立ち止まり、ふーーっと大きく一つ深呼吸する。
しおりを挟む

処理中です...