新撰組のものがたり

琉莉派

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第七章 転石のごとく

第十話   決別の時

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 土方と近藤は、その後も新政府軍への抵抗を続けた。

 五兵衛新田(東京都足立区綾瀬)の金子邸に新屯所を置き、隊の再編に取り掛かる。
 新隊士の募集も行ない、各地の敗残兵らが合流した三月末には二百二十七名にまでその数を膨れ上がらせた。

 土方は再び鬼の顔を取り戻し、気魄みなぎる指揮ぶりで隊を統率した。斉藤一は土方を補佐し、旧隊士と新隊士の融合に尽力した。

 しかし、近藤はひとりだけ状況が違っていた。
 以前のような気力が戻ってこない様子で、めっきり口数が減り、笑顔を見せることも少なくなった。常に気だるそうなどんよりした表情をして、隊の指導はほとんど土方に任せきり。多くの時間をぼんやり庭を見て過ごすようになる。

「大丈夫かい、近藤さん」

 土方が最初に異変に気付いたのは三月中旬のことだ。沖田の見舞いにいった直後である。 

「ああ、少し疲れただけだ。しばらく休めばよくなる」
「ならいいが」

 だが数日経っても近藤の不調は回復しなかった。それどころか、日々気力が減退してゆくのが分かる。

 五年間、常に激流の中に身を置いてきた疲労がここへ来て一気に出たのだろうか。
 甲府での戦闘で惨敗を喫し、永倉・原田と決別したことが影響しているのかもしれない。沖田のあまりに悲惨な姿にも思うところがあっただろう。
 いずれにせよ、これまでの近藤とは別人のような変わりようである。 

「緊張感が戻ってこない。高揚感も湧いてこないんだ」

 近藤は土方に悩みを打ち明けた。

「しっかりしてくれよ、近藤さん。あんたがそんなことじゃ隊士に示しがつかない」
「分かってる」
「稽古場に顔を出せよ。こういう時は身体を動かした方がいいんだ。考えてるだけじゃ、ますます悪化していくぜ」
「そうだな」

 近藤が重い腰を上げて剣術の稽古を再開したのは三月末のことだ。

 土方が言うように身体を動かすことで覇気と意欲を取り戻したのか、次第に近藤の顔に快活さと笑みが見られるようになった。やはり剣を握ると近藤の強さは際立っている。

「それでこそ近藤さんだ」

 土方は回復傾向にある盟友を見て、安心したように言った。

「ちょっと心が風邪を引いていただけかもしれない」
「そのようだな」

 しかし、その認識が誤りであることを思い知らされる事件が起こる。

 四月三日の昼過ぎ。下総の流山に本陣を移し、味噌醸造元の長岡屋に転居した翌日のことだった。

「大変です」

 斥候せっこうが四名、次々に駆け込んできた。

 官軍が突如、四方から流山に迫っているというのだ。
 こちらの動きが事前に察知されていたのである。
 しかもこの時、本陣にいたのは近藤、土方、斉藤ら十名弱で、他は皆、野外訓練のため島田魁しまだかいに率いられて流山の外に出ていた。

「敵はどのあたりだ」

 土方が問う。

「町を取り囲んで様子を窺っている状態です。じきにここへもやってくるでしょう」
「穴はあるか?」
「いいえ。東西南北、全て塞がれています」

 土方は唸り声を発し、視線を床に落とした。だが、さほど焦っているわけではない。

「考えようによっては、みなが留守にしていて良かったかもしれんな」
「そうですね」斉藤が頷いた。

 もしも二百名超の人数で逃走をはかれば、どうしたって敵の目に付いてしまう。誤魔化しようがない。
 しかしわずか十余名ならば、町人に化け、別々に行動すれば包囲網を突破することは可能だろう。
 そもそも敵は土方と近藤の顔を知らないはず。二百名以上の隊士がいると信じて取り囲んでいる。その思い込みを利用して脱出をはかるのだ。

「近藤さん、聞いてたか」

 振り返って近藤を見た。
 近藤は床に座り込み、背を向けたまま庭の景色をぼんやりと眺めている。

「近藤さん」
「ああ、聞いてたよ」

 振り向くことなく言った。
 土方は隊士らを見て号令を発する。

「袴は脱げ。刀も置いていくぞ。町人に化けて別々に逃げるんだ」
「待ち合わせはどうします?」斉藤が訊く。
「松戸でどうだ。松戸宿で落ち合おう」
「分かりました」

 土方は袴の紐を解きながら、ふと近藤を見た。
 一人だけ背を向けて座り込んだまま動こうとしない。

「近藤さん」
 
 急かすように言った。

「急いでくれ。時間がないんだ」

 近藤は、けだるそうに、ゆっくりと振り返って土方を見た。
 その表情に、土方はどきりとする。

 目の焦点が定まらず、顔色は紙のように白い。三月中旬の頃と同じ症状を呈していた。

「近藤さん」
「悪いが……」

 近藤は申し訳なさそうに言った。

「先に行ってくれないか」
「なに」
「俺はここに残る」
「残ってどうする気だ」
「官軍に投降する」
「馬鹿な」

 土方は顔を歪めて言った。慌てて斉藤らの方を振り返り、

「みんなを外へ連れ出せ」

 と命じる。

 こんな話を隊士たちに聞かせるわけにはいかない。
 斉藤は了解した顔で頷き、隊士らを促して部屋を出た。

「近藤さん……」
「本気だ」
「何を言ってる」

 土方は近藤の肩をつかんで叱咤する。

「新撰組に降伏という文字はない。最後まで戦って死ぬのが武士だろ」
「もう……戦えないんだ」

 近藤は、弱々しくかぶり振った。

「しっかりしてくれよ、近藤さん」
「悪いが俺は官軍に投降する」

 言うなり、立ち上がった。
 土方はあわてて近藤の行く手を塞ぐと、

「行かせん!」

 床の刀を拾い上げて手に取る。

「忘れたのか。――局を脱するを許さず」

 局中法度第二条を大声で唱えた。
 ここで総大将の近藤を失うわけにはいかなかった。
 なんとしても翻意させなければ――。

「総長であるあんたが、自ら隊規を破ってどうするんだ!」

 すると近藤は、悲しそうな目で土方を見つめた。

「歳さん――。もう新撰組はないんだよ」
「いいや、ある!」

 大声で叫んだ。

「俺と近藤さんがいる限り、新撰組はある!」

 近藤は小さく嘆息すると、憐れむように盟友を見た。

「歳さん……いつまで幻想にしがみつくんだ」
「なんだと」
「俺はもう……これ以上、戦う理由が見い出せない」
「黙れ! 断じて投降などさせんぞ。あんたには、最後まで新撰組総長として戦ってもらう」
「何のために?」

 近藤が問うた。

「なに」
「何のために……そうまでして、戦うんだ」
「……」

 土方は一瞬、言葉に詰まる。

「もはや幕府はない。将軍もいない。慶喜公は寛永寺に引きこもり、天朝は薩長に味方した。一体何のために、誰のために戦うんだい」

 そこに皮肉な響きはなかった。
 真に答えをうように、近藤は盟友に問いかけている。

「士道だ」

 土方が絞り出すように答えた。

「武士道だ」 
「武士道か……」

 囁くように言って、近藤は視線を虚空に投げた。
 その顔に、過去を悔いるような苦い表情が浮かぶ。

「歳さん――。俺はね……最近、つくづく考えるんだ」
「……」
「俺たちは、どこで道を間違えてしまったんだろうって」
「間違えてなどいない」
「そうかな」
「断じて間違えてなどいない」
「俺たちは五年前、大義を掲げて京にのぼってきた。そこには明確な理想と目的があった。だが京の政治状況に振り回され、翻弄されるうちに、いつしか戦うことそのものが目的化してしまった。今の俺たちは……何のために戦っているのかもわからぬまま、やめられなくなっている」
「黙れ」
「本当のことだよ、歳さん」

 今にも泣き出しそうな顔でいった。

「だとしたら――、死んだ奴らはどうなる」

 土方は真っ赤な目で問う。
.
「……どういう意味だ?」
「これまで、どれだけ多くの仲間たちが死んでいったと思う? 源さんを含め、何十という数だ。粛清という名のもとに、芹沢や、山南や、藤堂や、伊東らの命も奪ってきた。女までも手にかけた。敵・味方を問わず、数えきれないほど多くの命が失われてきたんだ。――それが全て間違いだったというのか」

 目を吊り上げて近藤に迫る。

「だとしたら、彼らはただの犬死にじゃないか。そして俺はただの人殺しだ!」

 近藤は黙って土方の顔を見つめている。

「俺は、死んでいった者たちのためにも最後まで戦い抜く」
「歳さん」

 近藤はおだやかな声で語りかけた。

「戦って死ぬのは簡単だ。でも、世の中にはもっと勇気のいることがある」
「黙れ!」

 泣きながら剣を引き抜き、近藤の喉元に突きつけた。
 近藤は平然と、白刃を前に立ち尽くす。

「斬りたければ斬るがいい。俺は歳さんに斬られるなら、本望だ」

 土方は切っ先を突きつけたまま、唇を震わせている。
 二人はそのまま、長いこと見つめ合った。

 どれくらい時間が経っただろうか。
 先に視線を外したのは、土方だった。
 力なく剣をおろすと、諦めたように、弱々しい声で呟く。

「近藤さんの好きにすればいいよ」

 もはや同じ船に乗り合わせることは不可能だと悟った声だった。

 自らの過ちを直視する道を選んだ近藤と、あくまで戦い続ける道を選択した土方――。
 二人の人生はこの瞬間、別の軌道を描いたのだ。

「俺が投降すれば少しは時間が稼げる。そのかんにみんなを連れて撤退してくれ」
「分かった」

 土方は小さくうなずいた。

「……歳さん」

 近藤が晴れやかな表情で言葉を発する。

「……これでお別れだな」
「ああ」

 と、うなずいた途端、ふいに感傷的な気持ちに襲われた。
 近藤との数多あまたの想い出が脳裏に去来する。

「歳さんのおかげで、痛快な人生を送れたよ。……ありがとう」
「それはこっちの台詞だ」

 ぶっきらぼうに返す。
 近藤が笑顔でいう。

「多摩から出てきた百姓二人が、日本中を一泡吹かせたんだぜ」
「……ああ」
「大樹公と謁見できるお目見え以上の地位も得て――、最後は甲府百万石の夢も見られた」
「そうだな」

 土方は首肯した後、

「だが、そんなことより」

 と、反駁するように言葉を継ぐ。

魑魅魍魎ちみもうりょうのうごめくあの京の都で――裏切りの街で――、俺たちは――、俺と近藤さんと沖田の三人は――、最後まで支え合って同じ船に乗り続けた」
「……」
「そのことが……俺にとってはなによりも誇りだ」

 ずっと胸の底にあった感情を、土方は言葉にしていった。

「そうだな」

 近藤が真顔で返す。

 その時、足音とともに斉藤が駆け込んでくる。

「お急ぎください。敵が動き始めたようです」
「分かった。すぐに行くと皆に伝えろ」

 斉藤は、はっ、と返事をして駆け去っていく。

「近藤さん、お別れだ」

 さっぱりした表情で言った。

「投降したら大久保大和おおくぼやまとで押し通せ。敵は近藤さんの顔を知らないはずだ。うまくすれば、命が助かるかもしれん」
「ああ、そうするよ」

 二人は去りがたい思いで見詰め合う。

 吹っ切るように土方が背を向けた。
 大声で――、

「撤収!」

 と叫びながら、隊士らの待つ玄関へと走り去っていく。


 一人になった近藤は一つ大きく息を吐くと、庭に視線を振り向けた。
 手入れのあまり行き届いていない雑草の多い庭で、名もない草花がいくつか花弁を開いているだけの場所である。
 それでも近藤は、斜めに差し込む陽光に照らされた、小さな無名の白い花に目を留めると、

 ――きれいだ。

 脳裏に焼き付けるように、いつまでも視線を放ち続けた。
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