新撰組のものがたり

琉莉派

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第七章 転石のごとく

第九話 沖田との別れ

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 沖田総司はその頃、千駄ヶ谷にある植木屋甚五郎邸の離れで療養していた。

 労咳が進行してほとんど立ち上がることもできず、身の回りの世話はさよが行なっている。
 彼女は中気で長患ながわずらいしていた母を見送ったのち、沖田を追って陸路江戸へ出てきた。以来、付きっきりで看病に当たっている。

 沖田は一時期、精神的に不安定となり、そううつをくりかえす特有の症状で周囲をてこずらせたが、彼女の献身的な介護によって最近は落ち着きを取り戻しつつある。

 さよは、新撰組に関する悪い噂は極力彼の耳に入れないように努めてきた。甲陽鎮撫隊が甲府で大惨敗を喫したことも、黙っていた。
 知れば、また彼が乱心すると思ったからだ。

 代わりに庭に花を植えた。部屋にも切り花を各所に配した。ほとんど寝たきりで庭と室内しか見ることのできない彼の目を楽しませ、心安らかにしてあげたいとの思いだった。


            ☆


 三月上旬のある昼下がり、近藤と土方がふらりと沖田の住まいを訪ねてきた。

「まあ……」

 さよは驚いた。甲陽鎮撫隊の敗走からまだ一週間も経っていない時だったからだ。

「沖田に会いにきました」と近藤が笑顔でいった。 
「どうぞ、お入りください」

 さよはふたりを招き入れる。
 沖田は昼寝の最中だった。

「あのぉ……」

 沖田を起こす前に、さよはふたりに伝えておいたほうが良いと考えた。

「最近の沖田様は、感情の起伏がとても激しくて……ちょっとしたことで我を忘れて泣き叫んだり、死を願うようなことを申されたりいたします。……ですから、悪い報せはできるだけお伝えしないようにしております。すぐに乱心してしまわれますので」
「分かりました」

 近藤はすべてを了解した顔でうなずいた。

「こちらでございます」

 と、隣室へ案内する。
 六畳間の中央で、沖田は布団にくるまり、すやすやと眠っている。
 
 さよは沖田に近づくと、

「沖田様。沖田様」

 と、その身体を軽くゆすった。 

「……うん?」
「近藤先生と土方先生がお見えになりましたよ」

 沖田は閉じていた目をうっすらと開き、寝ぼけまなこでさよを見る。

「お二人が……?」

 さよの背後に立つ近藤と土方の姿を認めるや、

「近藤先生……土方さん」

 顔に満面の笑みを浮かべ、掛布団を跳ね上げた。
 起き上がろうとするが、腕に力が入らない様子で、上体が持ち上がらない。

「総司、そのままでいい」

 二人は枕元に歩み寄った。

「どうだ、具合は?」

 近藤が問いかける。

「大丈夫です」と気丈に答える。「甲府から……戻られたのですね」
「ああ、戻った」
「いかがでした、甲府は?」

 かすれた声で、しかし瞳はらんらんと輝いている。
 色よい答えを期待しているのだろう。

「うん」

 近藤は頷いて、土方と顔を見合わせた。ふたりは意味ありげな微笑を浮かべると、

「分からないか? この顔を見て」
「え?」

 ふたりは口角を引き上げる。白い歯がのぞく。

「か、勝ったんですね」

 沖田は思わず上擦った声を発した。

「ああ、そうだ」

 二人は力強く頷く。

「沖田に見せたかったよ。近藤さんが土佐軍の銃弾をかいくぐって、たった一人で敵陣へ飛び込んでいく姿を」
「俺だけじゃないぞ。歳さんが後に続き、永倉、原田、斉藤も八面六臂の大活躍だ。敵の小銃隊を斬って、斬って、斬りまくった」
「その数、ざっと四百はくだらねえ。なあ、近藤さん」
「そうとも。天然理心流はやっぱり日本一の剣法だ」

 ふたりは生き生きとした描写で、架空の話を作り上げた。

「すごいや……」

 沖田は二人が話す武勇伝に、わくわくした様子で聞き入っている。

「目に浮かぶようです。……見たかったなあ」

 だが次の瞬間、ごほごほと激しく咳き込み始める。

「沖田様」さよが心配そうに声をかける。
「大丈夫だ」

 と手で制し、近藤に語りかける。

「私も早く元気にならなければいけませんね」
「そうとも。一番隊隊長は、お前以外にいないんだからな」

 沖田は、右手をついて再び起き上がろうとする。
 見ると沖田の二の腕は、ほぼ肉がなく、棒のように細い。

「無理なさっちゃ駄目ですよ、沖田様」
「大丈夫だ」
「でも……」
「寝てろ、総司」

 と土方も注意するが、

「これくらい平気です。さよは少し大袈裟なんですよ」

 と強引に上半身を持ち上げてしまう。

「まったく言い出したら聞かないんですから、沖田様は」

 さよは諦めたように苦笑し、

「あとでのたうち回っても知りませんからね」

 憎まれ口を叩きつつも、奥から羽織を持ってきて沖田の肩にかけてやる。

「ま、今日だけは特別に許して差し上げます」
「そう、特別です。お二人がいらして下さったんですから」
「俺たちに気を使うことはないんだぞ、総司」
「気を使ってるんじゃありません。お二人の顔を見たら、急に元気が出てきました」

 近藤と土方は微笑して沖田を見る。

「沖田様ったら、いつもお二人のお話ばかりしてるんですよ。他に話題がないのかってくらい」

「ところで近藤先生」

 沖田が怪訝そうに口を開く。

「なぜ江戸へ戻られたんですか」
「ん?」
「甲府で勝利を収めたのに、なぜ、また江戸へ?」
「ああ」

 一瞬、考えるような間のあとで、

「隊を再編成するためだ。それが済んだら、すぐまた甲府へ引き返す」
「そうなると、しばらくお前とは会えなくなるからな。近藤さんと二人、時間を作ってやって来た」
「そうですか……」

 沖田は淋しそうに顔を曇らせる。

「しばらく……会えなくなりますか」
「お前は何も心配せずにゆっくり養生すればいいんだ。お前が戻るまで、一番隊隊長は歳さんに兼務してもらうことになった。お前の席はずっと空けておくからな。とにかく病を治すことに専念しろ」

 沖田はそれに応えることなく、視線を庭へと移した。
 色とりどりの花々が春の陽射しを浴びて濃密に照り輝いている。
 さよが丹精込めた庭園は、名刹のそれに負けないほどの見事さである。

「きれいでしょう」
「ああ、美しい」

 近藤が目を細め、土方も眩しそうに頷く。

「最近、よく夢を見るんです」

 庭に視線を注ぎながら、沖田が呟くように言った。

「夢?」と土方。
「はい。試衛館時代の夢です。――実は今も夢を見ていたんですよ」
「どんな夢だ」

 近藤が問う。
 沖田はくすりと微笑《ほほえ》み、

「それがですねえ」

 と、視線を遠くへ放つ。

「山南さん――、井上さん――、永倉さん――、原田さん――、それに籐堂と斉藤。みんな揃っていて――、近藤先生と土方さんに見守られながら剣術の稽古をしているんです。みんな、とっても楽しそうで、何の悩みもない様子で、にこにこにこにこ笑っている」

 さよは悲しげに沖田を見る。

「お金がなくて――、いつもぼろの袴をはいていて――、食べるものだって粗末で……地位も名誉もなんにもないはずなのに――、本当に楽しそうなんです……」

 そこで軽く咳き込むが、すぐに顔を上げる。

「私が――、何がそんなに楽しいんです、って訊いても、みんなただ私の方を見たっきり、にこにこ笑ってるだけなんです」

 沖田の胸が波立ち、激しく咳き込み始める。口元を押さえた手に、べっとりと血がこびりついている。

「沖田様」
「総司」

 沖田は、構わず話し続ける。

「楽しかったですねえ、あの頃――」

 さよが手拭いで血を拭いてやる。

「総司、寝ていろ」
「大丈夫ですよ、土方さん」
「大丈夫なものか、横になれ」
「いいんですって」

 沖田は土方の手を乱暴に払いのけると、わっ、と口から嗚咽おえつを吐き出した。
 
「近藤先生」

 弱々しい声で言うと、骨と皮だけの貧弱な身体で近藤にすがりつく。
 救いを求めるような眼差しで、

「私はこのまま死を待つだけの人生は嫌です」
「……沖田」
「私も……私も連れていって下さい。お願いですから、甲府へ連れていってください!」
「無茶を言うな。しっかり養生して体を治すのが先だ」
「そうですよ。お医者様もきちんと養生しなさいとおっしゃっているでしょう。そうすれば治るのですから……」
「自分の身体のことは自分が一番よく分かっています。私はもう長くない。最期は剣士として生涯を終えたいんです。お願いします、近藤先生。私も一緒に連れていってください」

「いいから寝ていろ」

 土方が無理やり横たえる。押さえつけ、身体に掛布団をかけた。
 沖田は悔しそうに全身を震わせて号泣しはじめる。痩せてくぼんだ頬を伝って涙がぽたぽたと枕にしたたり落ちた。



 四半刻(三十分)後――。
 沖田が眠りにつくのを待って、近藤と土方は腰を上げた。さよと共に隣室に移る。

「わざわざお越しいただき、ありがとうございました」
「看病はさぞ大変だと思いますが、総司のことをよろしくお願いいたします」

 近藤は懐から百両包ひゃくりょうつつみを五つ取り出すと、

「これを」

 と、机の上に置いた。

「なんですの」
「当座の生活資金です。お役立てください」
「いけませんわ、こんな……」
「受け取っていただかねば困ります」
「沖田様にお断りしないと」
「奴は受け取りません。ですから、さよさんにお預けする」
「でも……」
「我々はあなたの御父上を手にかけてしまいました。なのにあなたは沖田を親身になって看病してくださっている。そのお礼だと思ってください」
「……」
「このお金で、沖田と少しは夫婦らしい暮らしを楽しんだらいい。沖田が少しでも回復したら、祝言しゅうげんを挙げるのも悪くない」
「近藤先生……」

 さよは目に涙を浮かべ、謝するようにこうべを垂れる。

「ありがとうございます」

 近藤と土方は再び寝室に入って沖田の寝顔を眺め、脳裏に焼き付けるように凝視したのち、名残惜しそうに植木屋甚五郎邸の離れを後にした。
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