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第七章 転石のごとく
第一話 龍馬の思い
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その日、薩摩藩邸の一室には桂小五郎が訪れていた。
迎えるは西郷隆盛と大久保一蔵の二人。
さらに坂本龍馬が、両者の中間点に座る格好で、薩長土の二等辺三角形が形成されている。
「いやはや、坂本さんには一本取られましたな」
桂が苦笑しながらかぶりを振った。
「大政奉還とは……またとんだ奇策を繰り出したものです」
西郷と大久保も薄くほほ笑む。
「わしは単に構想を示しただけやき。全ては後藤象二郎さんの手柄じゃ」
「お陰で我々の計画は、水泡に帰してしまいました」
桂が悪戯っぽく笑った。
「まあ、おまんらにゃ気の毒じゃったけんど、これで内戦は避けられる。国を焦土と化してはいかんぜよ」
三名は頷くでもなく、かといって反駁するでもなく、曖昧な笑みを浮かべている。
それを見て龍馬は、
「まさか、この期に及んでも徳川を武力で倒す気やないろうな」
不安げに訊ねるが、
「まさか」
西郷が代表して答えた。
「じゃったら、ええ。それだけが気がかりだったがじゃ」
龍馬は安堵の笑みをこぼすと、大政奉還後の政治のあり方について、その思うところを滔々と述べ始めた。
すなわち公議政体論である。
「これからの世の中は、幕府に代わる諸侯会議を開いて、みんなで話し合って物事を決めることになる。徳川家は元首という立場で、たんに諸侯の代表に過ぎのうなる。そして……」
三名は感情を押し殺した顔で龍馬の演説に聞き入っている。
龍馬の話が一通り終わった頃、
「失礼いたします」
襖の外から声がして、一人の男が入ってくる。
辺見新十郎である。
「お話し中のところ申し訳ございません」
「なんだ」
「高台寺党のお三方がお見えになりました」
「高台寺党?」龍馬が怪訝な顔をした。
「桂様に呼ばれたと申しております」
桂は頷き、
「例の件です」と西郷と大久保に目配せする。
「通せ」
西郷の言葉に、辺見は一礼して去る。
「例の件て、なんぜよ」龍馬が気になる様子で訊く。
「約束ですよ」桂が冷ややかに答えた。
「約束?」
「男と男の約束です」
やがて辺見に導かれて、伊東甲子太郎、籐堂平助、斉藤一の三名が入ってくる。
「おまんらは……」
龍馬が驚いたように腰を浮かせる。
藤堂と斎藤は小さく会釈して、伊東とともに桂の背後に座る。
「ご存知ですか」と桂が訊いた。
「ご存知も何も、新撰組の隊士やないがか」
「今は新撰組を離れ、孝明天皇の御陵衛士として高台寺党を名乗っております」
桂はそう説明すると、西郷と大久保に向き直り、
「右から党首の伊東甲子太郎、籐堂平助、斉藤一にございます」
「お噂は聞いておりもす」
西郷が小さく一礼する。
「前回、土佐陸援隊と組んだ襲撃は失敗いたしましたが、今回は水も漏らさぬ計略を立てました」
桂が言った。
陸援隊とは、土佐藩出身の中岡慎太郎が結成した討幕のための武力集団で、新撰組とは敵対関係にある。長州は先月、陸援隊と組んで新撰組に襲撃をかけたが、これは失敗に終わっている。
改めて、謀略を巡らせたということらしい。
「ほう。どげな手でごわす」
「内部分裂です」
「内部分裂?」
「はい」
と頷いてから、言葉を継ぐ。
「新撰組にはもともと勤王派と佐幕派の二つの勢力がありました。現在は幕臣になっていますが、内実は、最後まで幕府と行動を共にしようとする勢力と、本音では泥舟から降りたがっている勢力がしのぎを削っている状態です。我々は、後者と組んで新撰組内の佐幕派を駆逐する所存」
「なるほど。そいが高台寺党の方々というわけでごわすな」
「はい。実は、すでに総長の近藤勇もこちら側についております」
「なんと。近藤さんが⁉」
西郷が信じられぬという顔で上体を引いた。
「近日中に反乱を起こし、土方歳三を始めとする幕府寄りの隊士を皆殺しに致します」
「まことの話でごわすか? 近藤が土方を裏切るなど、考えられん」
二人と面識のある西郷は、訝るように言った。
伊東が口を開く。
「近藤さんは、もともと尊皇攘夷思想の強い方でした。また、最近の土方の逸脱したやり方には、総長として憤りをもっているのです」
「本当に信用できるんでごわすか?」
「ご心配には及びません」
「どげんして反乱を起こすんでごわす」
「はい」
と伊東は頷いてから、
「最近の土方は警戒心が強く、なかなか隙を見せません。唯一奴が心を許すのは、やはり近藤さんと二人きりの時。そこを狙います。――まず、近藤さんに奴を仕留めてもらい、我々が屯所へ乱入して佐幕派隊士を皆殺しにするという手筈です」
「分かりもんした」
西郷が納得したように頷く。
「では、うちからは辺見新十郎をお貸ししもす」
言って、背後に控える辺見に合図を送る。
「待て、待て、待て。ちっくと待て」
それまで黙って話を聞いていた龍馬が、突然大声を発した。
「大政奉還が成って、これから新しい世が始まるっちゅうのに、おまんらはまだほがぁなこんまい事にこだわりゆうがか」
「我々にとっては、こんまいことではござらぬ」
「桂さん、今日はほがぁな話やないろうが。天下国家を論じるために我々は集まったんやき」
「池田屋の決着はつけねばならんのです、坂本さん」
その時、襖の外でコトリと小さな物音がする。廊下に面した側の襖である。
全員が、さっと視線を走らせる。
桂が刀を手に立ち上がり、素早く襖を開けて外へ出る。
きゃっ、という甲高い声とともに、若い女性が引っ張り込まれる。
「女、そこで何をしていた」
桂が尖り声で問い質す。
と、その瞬間――、
「お琴さん」
藤堂と斉藤が同時に発声して腰を浮かせた。
「お知り合いですか?」桂が訊ねる。
「知り合いもなにも……土方さんの許婚ですよ」
「なに」
途端に桂の目が吊り上り、刀の柄に手をかける。
「お待ちください」
辺見新十郎がすかさず桂の前に立ち塞がった。
「今は拙者の許嫁」
そう言って、お琴の身体を引き寄せる。「手出しは無用に願いまする」
桂が辺見をぎろりと睨みつけた。
両者の間に緊張が走る。
「そうなんじゃ。そうなんじゃ」
剣呑な雰囲気を払拭するように、龍馬が道化のように笑いながら立ち上がった。
「お琴さんは以前は土方さんの許婚じゃったけんど、あまりの悪行三昧に愛想をつかして、こん人の許婚になったがじゃ。今じゃ、土方の顔を見るのも嫌なんじゃと。そうじゃのぉ」
言って、お琴に目配せする。
「……はい」
お琴が小さくうなずく。
龍馬は辺見に近づくと、
「何をしちゅうがじゃ。早う連れていかんか」
と、その肩を叩く。
「はっ」
辺見は頷き、お琴の手を取ると、急いで部屋を出ていった。
ふたりが消えるのを見届けてから、龍馬は振り返って伊東ら三名を睨みつける。
「おまんらも用が済んだらとっとと帰ってくれ。今日はこがぁな話をするつもりやなかったがやき」
龍馬の剣幕に気圧された伊東は、指示を仰ぐようにちらりと桂を見る。桂は顎を振って、行け、と指示する。
伊東らは立ち上がり恭しく一礼すると、部屋を出ていった。
「何ちゅうことじゃ」
龍馬は暗然とかぶりを振る。
「土方さんはのぉ……友達なんじゃ。会うたのは二回だけやが、朝まで飲み明かしたこともある。……そん人がだまし討ちにされる話を聞かされて、正直、ええ気持ちはせん。むかっ腹が立っちゅう」
西郷、大久保は無表情を保っている。
桂が口を開く。
「言うまでもないとは思いますが、坂本さん。ここで見聞きしたことは絶対内密に願いますよ」
「分かっちゅう。分かっちゅうが……」
龍馬は苦渋の表情で言葉を継ぐ。
「友達を裏切るがは……辛いのぉ」
桂は冷ややかに言葉を発する。
「今の世の中――、友達を裏切ったことのない奴なんて、いるんですかねえ」
突き放すような物言いでありながら、声はどこか寂寥を帯びていた。
「ここ、京都では……」
西郷が目を細め、遠くを見るような視線で続ける。
「無理でごわす」
大久保は畳に視線を落としたまま薄く微笑する。
室内を静寂が覆う。
「嫌な時代じゃ」
龍馬が苦々しげに言った。
「そうやき、新しい世の中を作るんじゃ」
自分を鼓舞するように顔を上げ、三人を見つめる。
「わしゃあ、おまんらに友達を売った。その代わり、おまんらにも約束してほしいがじゃ」
「なにをでごわす」
西郷が問う。
「武力による倒幕だけは、絶対にやめてもらいたいがじゃ」
懇願するように言葉を発した。三名は表情を消した顔で聞いている。
「これからの日本国は、みんなが平等な世の中になるがで。天朝の下で徳川家と諸藩が対等な関係で協力し合うて議会政治を作り上げる。徳川宗家は単なる諸侯会議の議長っちゅう役職になる。この革命では血は一滴も流さん。それを――、おまんらに約束してほしいがじゃ」
龍馬は居住まいを正すと、
「ほれ、この通りじゃ」
うやうやしく畳に両手をつき、上体を折り曲げて額を畳に押し当てた。
三名はしばらく黙って見つめているが、やがて西郷が笑顔で口を開く。
「分かりもんした。約束しもんそう」
「そうか……」
龍馬はゆっくりと顔を上げる。
「分かってくれるか」
眉を開いた透明な顔で、うれしそうに言った。
「新しい日本国の始まりじゃ。こがぁにめでたいことはない」
「そうですね」
「あとは、おまんら三人に任せたき」
言って、すっくと立ち上がる。
そのまま、部屋を出ていこうとする。
「待ってたもんせ」
西郷が呼び止めた。
「新政権が誕生したあかつきには、坂本さんをどげな待遇でお迎えしたらよかですか。大久保さぁと話し合うとったとです。何か、ご希望はあっとですか?」
「希望はない」
龍馬は即答した。
「わしは、どがぁな役職にも就くつもりはないき」
「はあ?」
「わしゃあ、海に生きる」
「海?」
「ああ、そうじゃ。こんまいことをこねくり回す政治の世界はわしには向いておらん」
両手を懐に突っ込むと、「また会おう」と風のよう去っていく。
「海はええぜよぉ」
廊下から唄うような声が聞こえてきた。
三名は苦笑してかぶりを振り、互いの顔を見つめ合う。
「あの人らしか」西郷が笑った。
「まったくじゃ」大久保が同意する。
龍馬の足音が聞こえなくなると、桂がふと顔を曇らせ、西郷を見る。
「どう思います?」
「何がでごわす」
「坂本さんの話した、新政権の話です。天朝のもとで、徳川家と諸藩が対等な関係で議会政治をおこなうという……」
「冗談じゃなか」
西郷は言下に吐き捨てた。先程までの笑顔は消えている。
「そんなものは茶番でごわす。徳川慶喜を政権に加えれば、日本中に広大な土地を持つ徳川家が依然として力を持ち続けることになる」
「その通り」
大久保が隣で頷いた。
桂はニヤリとほくそ笑み、
「同感でござる」
「武力倒幕しかあいもはん。徳川家が所有している土地は根こそぎ取り上げる。そして薩摩と長州が、徳川に代わって天下を治めるんでごわす」
「それを伺って安心しました」
「桂さん」
「はい」
西郷は険しい顔で言い放つ。
「この世には、善も悪もなか」
「……」
「歴史は――、強か者が作るんでごわす」
目を暗く底光りさせ、低く澱んだ声で言葉を継ぐ。
「可哀想だが、坂本さんには死んでもらいもんそう」
大久保がどきりとしたように西郷を見る。
桂も目を大きく見開いた。
「西郷さん……あんた」
畏怖するように、目の前の大男を見据えた。
迎えるは西郷隆盛と大久保一蔵の二人。
さらに坂本龍馬が、両者の中間点に座る格好で、薩長土の二等辺三角形が形成されている。
「いやはや、坂本さんには一本取られましたな」
桂が苦笑しながらかぶりを振った。
「大政奉還とは……またとんだ奇策を繰り出したものです」
西郷と大久保も薄くほほ笑む。
「わしは単に構想を示しただけやき。全ては後藤象二郎さんの手柄じゃ」
「お陰で我々の計画は、水泡に帰してしまいました」
桂が悪戯っぽく笑った。
「まあ、おまんらにゃ気の毒じゃったけんど、これで内戦は避けられる。国を焦土と化してはいかんぜよ」
三名は頷くでもなく、かといって反駁するでもなく、曖昧な笑みを浮かべている。
それを見て龍馬は、
「まさか、この期に及んでも徳川を武力で倒す気やないろうな」
不安げに訊ねるが、
「まさか」
西郷が代表して答えた。
「じゃったら、ええ。それだけが気がかりだったがじゃ」
龍馬は安堵の笑みをこぼすと、大政奉還後の政治のあり方について、その思うところを滔々と述べ始めた。
すなわち公議政体論である。
「これからの世の中は、幕府に代わる諸侯会議を開いて、みんなで話し合って物事を決めることになる。徳川家は元首という立場で、たんに諸侯の代表に過ぎのうなる。そして……」
三名は感情を押し殺した顔で龍馬の演説に聞き入っている。
龍馬の話が一通り終わった頃、
「失礼いたします」
襖の外から声がして、一人の男が入ってくる。
辺見新十郎である。
「お話し中のところ申し訳ございません」
「なんだ」
「高台寺党のお三方がお見えになりました」
「高台寺党?」龍馬が怪訝な顔をした。
「桂様に呼ばれたと申しております」
桂は頷き、
「例の件です」と西郷と大久保に目配せする。
「通せ」
西郷の言葉に、辺見は一礼して去る。
「例の件て、なんぜよ」龍馬が気になる様子で訊く。
「約束ですよ」桂が冷ややかに答えた。
「約束?」
「男と男の約束です」
やがて辺見に導かれて、伊東甲子太郎、籐堂平助、斉藤一の三名が入ってくる。
「おまんらは……」
龍馬が驚いたように腰を浮かせる。
藤堂と斎藤は小さく会釈して、伊東とともに桂の背後に座る。
「ご存知ですか」と桂が訊いた。
「ご存知も何も、新撰組の隊士やないがか」
「今は新撰組を離れ、孝明天皇の御陵衛士として高台寺党を名乗っております」
桂はそう説明すると、西郷と大久保に向き直り、
「右から党首の伊東甲子太郎、籐堂平助、斉藤一にございます」
「お噂は聞いておりもす」
西郷が小さく一礼する。
「前回、土佐陸援隊と組んだ襲撃は失敗いたしましたが、今回は水も漏らさぬ計略を立てました」
桂が言った。
陸援隊とは、土佐藩出身の中岡慎太郎が結成した討幕のための武力集団で、新撰組とは敵対関係にある。長州は先月、陸援隊と組んで新撰組に襲撃をかけたが、これは失敗に終わっている。
改めて、謀略を巡らせたということらしい。
「ほう。どげな手でごわす」
「内部分裂です」
「内部分裂?」
「はい」
と頷いてから、言葉を継ぐ。
「新撰組にはもともと勤王派と佐幕派の二つの勢力がありました。現在は幕臣になっていますが、内実は、最後まで幕府と行動を共にしようとする勢力と、本音では泥舟から降りたがっている勢力がしのぎを削っている状態です。我々は、後者と組んで新撰組内の佐幕派を駆逐する所存」
「なるほど。そいが高台寺党の方々というわけでごわすな」
「はい。実は、すでに総長の近藤勇もこちら側についております」
「なんと。近藤さんが⁉」
西郷が信じられぬという顔で上体を引いた。
「近日中に反乱を起こし、土方歳三を始めとする幕府寄りの隊士を皆殺しに致します」
「まことの話でごわすか? 近藤が土方を裏切るなど、考えられん」
二人と面識のある西郷は、訝るように言った。
伊東が口を開く。
「近藤さんは、もともと尊皇攘夷思想の強い方でした。また、最近の土方の逸脱したやり方には、総長として憤りをもっているのです」
「本当に信用できるんでごわすか?」
「ご心配には及びません」
「どげんして反乱を起こすんでごわす」
「はい」
と伊東は頷いてから、
「最近の土方は警戒心が強く、なかなか隙を見せません。唯一奴が心を許すのは、やはり近藤さんと二人きりの時。そこを狙います。――まず、近藤さんに奴を仕留めてもらい、我々が屯所へ乱入して佐幕派隊士を皆殺しにするという手筈です」
「分かりもんした」
西郷が納得したように頷く。
「では、うちからは辺見新十郎をお貸ししもす」
言って、背後に控える辺見に合図を送る。
「待て、待て、待て。ちっくと待て」
それまで黙って話を聞いていた龍馬が、突然大声を発した。
「大政奉還が成って、これから新しい世が始まるっちゅうのに、おまんらはまだほがぁなこんまい事にこだわりゆうがか」
「我々にとっては、こんまいことではござらぬ」
「桂さん、今日はほがぁな話やないろうが。天下国家を論じるために我々は集まったんやき」
「池田屋の決着はつけねばならんのです、坂本さん」
その時、襖の外でコトリと小さな物音がする。廊下に面した側の襖である。
全員が、さっと視線を走らせる。
桂が刀を手に立ち上がり、素早く襖を開けて外へ出る。
きゃっ、という甲高い声とともに、若い女性が引っ張り込まれる。
「女、そこで何をしていた」
桂が尖り声で問い質す。
と、その瞬間――、
「お琴さん」
藤堂と斉藤が同時に発声して腰を浮かせた。
「お知り合いですか?」桂が訊ねる。
「知り合いもなにも……土方さんの許婚ですよ」
「なに」
途端に桂の目が吊り上り、刀の柄に手をかける。
「お待ちください」
辺見新十郎がすかさず桂の前に立ち塞がった。
「今は拙者の許嫁」
そう言って、お琴の身体を引き寄せる。「手出しは無用に願いまする」
桂が辺見をぎろりと睨みつけた。
両者の間に緊張が走る。
「そうなんじゃ。そうなんじゃ」
剣呑な雰囲気を払拭するように、龍馬が道化のように笑いながら立ち上がった。
「お琴さんは以前は土方さんの許婚じゃったけんど、あまりの悪行三昧に愛想をつかして、こん人の許婚になったがじゃ。今じゃ、土方の顔を見るのも嫌なんじゃと。そうじゃのぉ」
言って、お琴に目配せする。
「……はい」
お琴が小さくうなずく。
龍馬は辺見に近づくと、
「何をしちゅうがじゃ。早う連れていかんか」
と、その肩を叩く。
「はっ」
辺見は頷き、お琴の手を取ると、急いで部屋を出ていった。
ふたりが消えるのを見届けてから、龍馬は振り返って伊東ら三名を睨みつける。
「おまんらも用が済んだらとっとと帰ってくれ。今日はこがぁな話をするつもりやなかったがやき」
龍馬の剣幕に気圧された伊東は、指示を仰ぐようにちらりと桂を見る。桂は顎を振って、行け、と指示する。
伊東らは立ち上がり恭しく一礼すると、部屋を出ていった。
「何ちゅうことじゃ」
龍馬は暗然とかぶりを振る。
「土方さんはのぉ……友達なんじゃ。会うたのは二回だけやが、朝まで飲み明かしたこともある。……そん人がだまし討ちにされる話を聞かされて、正直、ええ気持ちはせん。むかっ腹が立っちゅう」
西郷、大久保は無表情を保っている。
桂が口を開く。
「言うまでもないとは思いますが、坂本さん。ここで見聞きしたことは絶対内密に願いますよ」
「分かっちゅう。分かっちゅうが……」
龍馬は苦渋の表情で言葉を継ぐ。
「友達を裏切るがは……辛いのぉ」
桂は冷ややかに言葉を発する。
「今の世の中――、友達を裏切ったことのない奴なんて、いるんですかねえ」
突き放すような物言いでありながら、声はどこか寂寥を帯びていた。
「ここ、京都では……」
西郷が目を細め、遠くを見るような視線で続ける。
「無理でごわす」
大久保は畳に視線を落としたまま薄く微笑する。
室内を静寂が覆う。
「嫌な時代じゃ」
龍馬が苦々しげに言った。
「そうやき、新しい世の中を作るんじゃ」
自分を鼓舞するように顔を上げ、三人を見つめる。
「わしゃあ、おまんらに友達を売った。その代わり、おまんらにも約束してほしいがじゃ」
「なにをでごわす」
西郷が問う。
「武力による倒幕だけは、絶対にやめてもらいたいがじゃ」
懇願するように言葉を発した。三名は表情を消した顔で聞いている。
「これからの日本国は、みんなが平等な世の中になるがで。天朝の下で徳川家と諸藩が対等な関係で協力し合うて議会政治を作り上げる。徳川宗家は単なる諸侯会議の議長っちゅう役職になる。この革命では血は一滴も流さん。それを――、おまんらに約束してほしいがじゃ」
龍馬は居住まいを正すと、
「ほれ、この通りじゃ」
うやうやしく畳に両手をつき、上体を折り曲げて額を畳に押し当てた。
三名はしばらく黙って見つめているが、やがて西郷が笑顔で口を開く。
「分かりもんした。約束しもんそう」
「そうか……」
龍馬はゆっくりと顔を上げる。
「分かってくれるか」
眉を開いた透明な顔で、うれしそうに言った。
「新しい日本国の始まりじゃ。こがぁにめでたいことはない」
「そうですね」
「あとは、おまんら三人に任せたき」
言って、すっくと立ち上がる。
そのまま、部屋を出ていこうとする。
「待ってたもんせ」
西郷が呼び止めた。
「新政権が誕生したあかつきには、坂本さんをどげな待遇でお迎えしたらよかですか。大久保さぁと話し合うとったとです。何か、ご希望はあっとですか?」
「希望はない」
龍馬は即答した。
「わしは、どがぁな役職にも就くつもりはないき」
「はあ?」
「わしゃあ、海に生きる」
「海?」
「ああ、そうじゃ。こんまいことをこねくり回す政治の世界はわしには向いておらん」
両手を懐に突っ込むと、「また会おう」と風のよう去っていく。
「海はええぜよぉ」
廊下から唄うような声が聞こえてきた。
三名は苦笑してかぶりを振り、互いの顔を見つめ合う。
「あの人らしか」西郷が笑った。
「まったくじゃ」大久保が同意する。
龍馬の足音が聞こえなくなると、桂がふと顔を曇らせ、西郷を見る。
「どう思います?」
「何がでごわす」
「坂本さんの話した、新政権の話です。天朝のもとで、徳川家と諸藩が対等な関係で議会政治をおこなうという……」
「冗談じゃなか」
西郷は言下に吐き捨てた。先程までの笑顔は消えている。
「そんなものは茶番でごわす。徳川慶喜を政権に加えれば、日本中に広大な土地を持つ徳川家が依然として力を持ち続けることになる」
「その通り」
大久保が隣で頷いた。
桂はニヤリとほくそ笑み、
「同感でござる」
「武力倒幕しかあいもはん。徳川家が所有している土地は根こそぎ取り上げる。そして薩摩と長州が、徳川に代わって天下を治めるんでごわす」
「それを伺って安心しました」
「桂さん」
「はい」
西郷は険しい顔で言い放つ。
「この世には、善も悪もなか」
「……」
「歴史は――、強か者が作るんでごわす」
目を暗く底光りさせ、低く澱んだ声で言葉を継ぐ。
「可哀想だが、坂本さんには死んでもらいもんそう」
大久保がどきりとしたように西郷を見る。
桂も目を大きく見開いた。
「西郷さん……あんた」
畏怖するように、目の前の大男を見据えた。
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根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
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