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第六章 第二次長州征伐
第十五話 後藤象二郎
しおりを挟む近藤勇が、土佐藩の参政・後藤象二郎から、永井尚志を通じて面会を申し込まれたのはこの頃である。
後藤は土佐藩の実質的な政治主導者だ。
いったい何の用件だろう。近藤は身構えた。
近藤にとって、土佐藩は今や薩長と同じく敵対関係にある。特に坂本龍馬と後藤象二郎のふたりは、新撰組の暗殺リストの上位に記されているほどだ。
理由は、ふたりが「大政奉還」を立案し、土佐藩の前藩主で最高実力者である山内容堂をその方向へ導こうと画策しているからである。
大政奉還とは、徳川家が政権を朝廷に返還し、武士による政治を終わらせることを意味する。
山内容堂はこれまで、比較的幕府寄りの考え方をもっていたが、後藤象二郎に感化され、急速に薩長寄りに傾きつつある。
そのため新撰組では後藤を狙った暗殺を二度計画し、一度は実行寸前まで至ったものの、松平容保からの中止要請により回避した経緯がある。
容保としては、土佐藩はいまだ幕府の味方であるとの認識が強く、後藤の暗殺で波風を立てたくないとの思いがあったようだ。
しかし近藤の考えは違っていた。
坂本龍馬と後藤象二郎は危険人物であり、今の段階で殺害しておく必要がある。
その後藤が、自分に会いたいという。
いったい何のために――。
新撰組から命を狙われていることは、先刻承知のはずだ。
会談は、永井尚志邸にて三者のみで行われた。
永井と近藤は、第二次長州征伐に際し訊問使として共に広島へ行った仲である。
「実はな、近藤さん。後藤殿は近藤さんの誤解を解きたいと言っておられるのだ」
会談冒頭、永井が切り出した。
「誤解?」
「左様」
と後藤が発言を引き取る。
「近藤殿は、拙者と坂本龍馬が薩長とともに倒幕を企てているとお考えのようだが、それはまったくの誤解なのでござる」
「……ほう」
「新撰組が拙者を暗殺の対象としていることは心得ておるが、それが見当はずれであることを今日はご説明申し上げたいと思っている。容保様からも、腹を割ってよく話し合い、誤解を解くように仰せつかってござる」
ようするに命乞いをしに来たということだな。
近藤は後藤の真意をそう読み解いた。
現在、京の都でもっとも恐れられている存在は新撰組である。
新撰組の暗殺リストに名が載った者は、枕を高くして眠ることはできない。
いつ襲撃されるか分からぬ恐怖と不安の中で毎日を過ごさねばならないのだ。
後藤としては、そんな状況からの解放を願っているのだろう。
「まず、はじめに申し上げておきますが、拙者は倒幕などということは夢にも考えておりませぬ。我々土佐藩は、従前より公武一和につとめてまいりました。幕府を武力で倒そうとする薩長とは明確に考え方が異なります」
「ならばなぜ、大政奉還論を唱えておられるのですか」
後藤のそそのかしに乗った山内容堂は現在、徳川慶喜に対し、大政奉還の必要性を強く進言している。
味方のふりをして、背後から弓を引いているのである。
「そこが誤解だというのです」
「どこが誤解ですか」
「大政奉還は、公武一和の最後の切り札なのです」
「おためごかしを抜かすな!」
憤然と吠えたてた。
幕府が政権返上することの、どこが公武一和だというのだ。
後藤は両手を前に突き出すと、
「聞いてくだされ、近藤殿。薩長は現在、天朝から討幕の勅命をもらうべく、朝廷内で多数派工作を繰り広げております。これに対し、慶喜様が必死に巻き返しをはかっておられますが、正直、どちらに転ぶかまったく見通しが立ちません。仮に勅命が下ってしまえば、その瞬間、幕府は逆賊となり、薩長はすぐさま錦の御旗をかかげて挙兵するでしょう。そうなれば土佐藩としても、討幕に異を唱えることはできなくなる。……その点は、近藤殿も理解していただけますね」
「……」
近藤は小さく首肯した。
そこまでは分かる。
「その危機を脱するには、大政奉還以外に道がないのでござる。これは幕府を救うための……いや日本国を救うための……一世一代の策なのです」
「しかし、大政奉還すれば徳川幕府はなくなります。どうしてそれが公武一和に繋がるのですか」
後藤の主張の矛盾点を突いた。
「確かに、今までの幕府という存在はなくなります。しかし、徳川家を筆頭とする諸侯の話し合いによって政をつかさどるという形は残るのです。欧米各国で行われている公議政体と呼ばれる制度です」
「徳川家が引き続き、まつりごとに関わるということですか?」
「そうです。幕府の独裁はなくなりますが、徳川家の主導的立場は維持されます。そのように平和裏に政体改革を成すことが、大政奉還の真の意味なのでござる」
近藤は微かな唸り声を発した。
「お分かりいただけましたでしょうか?」
「……ううむ」
分かったような、分からないような……。
正しいような、正しくないような……。
壮大な詐欺にひっかかっているような気もするし、現状を打破する唯一の方法であるとも感じられる。
正直、近藤の弱い頭では大政奉還後の政治の姿を明確に思い描くことは難しかった。
それでも、後藤の主張に一理あることだけは理解できる。
「ただ……幕府は……なくなるわけですよね」
そこが、やはり引っかかった。
「私は頭が古いのかもしれませんが、天朝を頂点に戴き、幕府が政冶の大権を預かるという今の体制が、この国には一番ふさわしい気がするのです」
「私もそう思います」
後藤は同意した。
「しかし、それが立ちゆかなくなっているのも事実。国内には現在、様々な意見が噴出し、もはや幕府にはそれを独裁的に押さえつける力はありません。諸侯会議を開き、広く意見を募って話し合いで物事の解決をはかる。これが新しい時代の、新しい政冶の姿です」
近藤は最後まで後藤の考えに賛意を示すことはできなかった。
「持ち帰って、考えさせていただきたい」
そう言うのが精一杯だった。
幕臣になった途端に幕府が消滅するというあまりに皮肉な展開に、近藤は内心で戸惑っていた。
☆
大政奉還へ向けた動きは、その後、一気に加速する。
十月三日に山内容堂が建白書を将軍に提出し、受け入れを決意した徳川慶喜は、十三日に諸藩を集めて諮問を行ない、十四日に上表、十五日には勅許が下り、ここに政冶の大権は幕府から朝廷に戻された。
電光石火の早業に薩長は機先を制され、討幕計画は頓挫を余儀なくされることになる。
実際には十三日に薩摩、十四日に長州に対し、中山忠能、正親町三条実愛らの名の下に、ひそかに討幕の密勅が下賜されていた。
しかし大政奉還によって、その大義名分は失われてしまった。
西郷や大久保、桂らが歯軋りして悔しがったのは言うまでもない。
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