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第六章 第二次長州征伐
第十話 さよの献身
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お琴が去ったのち、土方は郷里の佐藤彦五郎へ文をしたためた。土方にとって義兄にあたり、お琴やその家族とも親密な関係にある地域の有力地主である。
手紙の内容は、お琴を一刻も早く郷里に戻してほしいと強く嘆願するものだ。
このまま薩摩藩邸に留まれば、あの無鉄砲なお琴のこと、いつ何時、密偵行為がばれて処刑されるか分からない。薩摩藩邸に暇を出させ、彼女を郷里へ帰すには、両親や地域の有力者による働きかけが不可欠である。
土方がその緊急性を伝えるため、文章を吟味し練り直していると、庭の方からゴホゴホと激しく咳き込む音が聞こえてきた。
痰のからんだ、尾を引くように長く乾いた咳である。
また沖田が喀血しているのだろうか。
そう思って筆を置き、部屋を出て廊下を声のほうへ進んでいくと、庭でうずくまる沖田の姿が目に入った。
近づこうとした時、
「沖田様、沖田様」
ひとりの女性が沖田に駆け寄っていくのが目に入った。池田屋の一人娘・さよである。
土方は思わず柱の陰に身を隠した。
「だから言ったのです。外に出るなど無茶だと」
さよが真っ赤な顔で怒っている。沖田は顔を上げ、
「いつまでも寝ているわけにはいかんのだ。一番隊隊長がこのざまでは、隊士たちに示しがつかぬ」
言ったとたん、再び咳き込み、うずくまった。
「大丈夫ですか」
心配そうに背中をさする。
沖田は平静を取り戻すと、さよの手をぎゅっと握りしめた。
「すまんな……」
目尻をさげた弱々しい声で言う。
さよは笑って、
「何百回、同じことを言うんですか」
「俺は……さよの人生を狂わせてしまった」
さよの父・池田屋惣兵衛は、池田屋事件の際の傷がもとで亡くなっている。
「沖田様のせいではありません」
「俺が殺したのも同じだ。……なのに、さよは、こうして屯所に通ってきてくれる」
「当り前じゃありませんか。私たちは攘夷戦争に勝利したのち、夫婦になるのですよ」
お茶目な表情でいった。
「そんな日が……本当に来るのかどうか」
沖田は沈鬱な顔でうつむく。
さよはくすりとほほ笑むと、
「そんなに暗いお顔ばかりしていては、ますます病が悪化しますよ。本当にさよのことを思ってくださるなら、早く元気になって、またいろいろな場所へ連れていってください。それが何よりの、さよへの贈り物です」
「俺はもう駄目だ」
沖田は苦渋の顔でかぶりを振った。
「また、そのようなことを」
「本当だ。もう長くない」
「怒りますよ」
と口先を尖らせる。
「さよには、もうどこにも行くところがないのです。沖田様しかいないのです。生きて、私を幸せにしてください」
沖田は弱々しくほほ笑むだけで、答えようとしない。
その瞬間――、機をはかっていたかのように、土方が柱の陰からひょいと姿を現した。
「よお」
たまたま通りかかった風を装い、笑顔で語りかける。
「あ、土方さん」
二人は同時に気付き、ぺこりと一礼した。
土方は庭へ降り、ふたりに近づいていく。
「さよさん、いつも済まないね。沖田が世話になっています」
心から謝するようにいう。
「土方様。聞いてくださいよ」
さよは告げ口するように口を開いた。
「沖田さんたら、私の前だと甘えて、すぐに弱気なことばかり言うんですよ。俺はもう駄目だ。もうすぐ死ぬって」
土方はからからと笑う。
「お前が労咳くらいで死ぬタマか」
沖田は何かいおうとするが、すぐに胸を波打たせ、咳き込んでしまう。
「さ、お部屋へ戻りましょう」
さよが腕をとり連れて行こうとする。沖田はそれをふりほどいて、
「土方さんと話があるんだ。さよは先に戻っててくれ」
「でも……」
さよは躊躇し、土方のほうを見る。土方がうなずくのを見て、了解した顔で一礼し、その場を去っていった。
さよの姿が見えなくなるのを確認してから、沖田は土方に向き直る。
「伊東さんたちが、別組織を立ち上げたそうですね」
「ああ、孝明天皇の御陵衛士になるという名目でな。――どうせ薩摩か長州と裏でつるんでいるんだろう」
「放っておいて大丈夫ですか」
「朝廷から拝命を受けていて、切腹を申し渡すわけにもいかないんだ」
土方は苦笑しながらいった。
「すみません。こんな大事な時にお役に立てなくて」
「心配するな。伊東ごときにやられる俺じゃない」
「そうですよね」
と、土方を頼もしげに見つめる。
「実は……」
沖田は話題を変えるように言葉を発した。
「近藤先生にもお願いしたんですけど……土方さんにも、是非、お頼みしておこうと思いまして」
「何だい」
「はい」
少し言いにくそうに顔を曇らせたあと、
「もし……私が死んだら……」
と、深刻な表情で切り出す。
「おい」
土方は思わず声を尖らせた。
「めったなことを言うもんじゃない」
「ですから、もし……と申し上げました。もし、私が亡くなったら……」
「そんな話は聞きたくない」
「真剣なんです。どうか聞いてください」
沖田の強い訴えかけに、土方は言葉を呑み込む。
「私が死んだら……さよのことをお願いしたいのです。彼女は父親を殺され、池田屋も人手に渡ってしまいました。お袋さんは中気で寝たきりの状態で、彼女が頼れるのは私しかいないんです」
「……」
「親父さんを手にかけたのは私たちです。私には、彼女に人並みの幸せを与えてあげる責任がある。……だから……私が死んだら……さよのことを近藤先生と土方さんにお願いしたいのです。彼女の生活が立ちゆくように、どうか助けてやっていただけませんか」
目の縁が赤らみ、唇は小刻みにふるえている。沖田のさよに対する愛情が痛いほどに伝わってきた。
「こんなこと、おふたりにしか頼めません」
「分かった。約束する」
安心させるように、力強くうなずいた。
そんなことならお安い御用だ。
「ありがとうございます」
沖田は頬に涙をしたたらせながら、深々とこうべを垂れた。
手紙の内容は、お琴を一刻も早く郷里に戻してほしいと強く嘆願するものだ。
このまま薩摩藩邸に留まれば、あの無鉄砲なお琴のこと、いつ何時、密偵行為がばれて処刑されるか分からない。薩摩藩邸に暇を出させ、彼女を郷里へ帰すには、両親や地域の有力者による働きかけが不可欠である。
土方がその緊急性を伝えるため、文章を吟味し練り直していると、庭の方からゴホゴホと激しく咳き込む音が聞こえてきた。
痰のからんだ、尾を引くように長く乾いた咳である。
また沖田が喀血しているのだろうか。
そう思って筆を置き、部屋を出て廊下を声のほうへ進んでいくと、庭でうずくまる沖田の姿が目に入った。
近づこうとした時、
「沖田様、沖田様」
ひとりの女性が沖田に駆け寄っていくのが目に入った。池田屋の一人娘・さよである。
土方は思わず柱の陰に身を隠した。
「だから言ったのです。外に出るなど無茶だと」
さよが真っ赤な顔で怒っている。沖田は顔を上げ、
「いつまでも寝ているわけにはいかんのだ。一番隊隊長がこのざまでは、隊士たちに示しがつかぬ」
言ったとたん、再び咳き込み、うずくまった。
「大丈夫ですか」
心配そうに背中をさする。
沖田は平静を取り戻すと、さよの手をぎゅっと握りしめた。
「すまんな……」
目尻をさげた弱々しい声で言う。
さよは笑って、
「何百回、同じことを言うんですか」
「俺は……さよの人生を狂わせてしまった」
さよの父・池田屋惣兵衛は、池田屋事件の際の傷がもとで亡くなっている。
「沖田様のせいではありません」
「俺が殺したのも同じだ。……なのに、さよは、こうして屯所に通ってきてくれる」
「当り前じゃありませんか。私たちは攘夷戦争に勝利したのち、夫婦になるのですよ」
お茶目な表情でいった。
「そんな日が……本当に来るのかどうか」
沖田は沈鬱な顔でうつむく。
さよはくすりとほほ笑むと、
「そんなに暗いお顔ばかりしていては、ますます病が悪化しますよ。本当にさよのことを思ってくださるなら、早く元気になって、またいろいろな場所へ連れていってください。それが何よりの、さよへの贈り物です」
「俺はもう駄目だ」
沖田は苦渋の顔でかぶりを振った。
「また、そのようなことを」
「本当だ。もう長くない」
「怒りますよ」
と口先を尖らせる。
「さよには、もうどこにも行くところがないのです。沖田様しかいないのです。生きて、私を幸せにしてください」
沖田は弱々しくほほ笑むだけで、答えようとしない。
その瞬間――、機をはかっていたかのように、土方が柱の陰からひょいと姿を現した。
「よお」
たまたま通りかかった風を装い、笑顔で語りかける。
「あ、土方さん」
二人は同時に気付き、ぺこりと一礼した。
土方は庭へ降り、ふたりに近づいていく。
「さよさん、いつも済まないね。沖田が世話になっています」
心から謝するようにいう。
「土方様。聞いてくださいよ」
さよは告げ口するように口を開いた。
「沖田さんたら、私の前だと甘えて、すぐに弱気なことばかり言うんですよ。俺はもう駄目だ。もうすぐ死ぬって」
土方はからからと笑う。
「お前が労咳くらいで死ぬタマか」
沖田は何かいおうとするが、すぐに胸を波打たせ、咳き込んでしまう。
「さ、お部屋へ戻りましょう」
さよが腕をとり連れて行こうとする。沖田はそれをふりほどいて、
「土方さんと話があるんだ。さよは先に戻っててくれ」
「でも……」
さよは躊躇し、土方のほうを見る。土方がうなずくのを見て、了解した顔で一礼し、その場を去っていった。
さよの姿が見えなくなるのを確認してから、沖田は土方に向き直る。
「伊東さんたちが、別組織を立ち上げたそうですね」
「ああ、孝明天皇の御陵衛士になるという名目でな。――どうせ薩摩か長州と裏でつるんでいるんだろう」
「放っておいて大丈夫ですか」
「朝廷から拝命を受けていて、切腹を申し渡すわけにもいかないんだ」
土方は苦笑しながらいった。
「すみません。こんな大事な時にお役に立てなくて」
「心配するな。伊東ごときにやられる俺じゃない」
「そうですよね」
と、土方を頼もしげに見つめる。
「実は……」
沖田は話題を変えるように言葉を発した。
「近藤先生にもお願いしたんですけど……土方さんにも、是非、お頼みしておこうと思いまして」
「何だい」
「はい」
少し言いにくそうに顔を曇らせたあと、
「もし……私が死んだら……」
と、深刻な表情で切り出す。
「おい」
土方は思わず声を尖らせた。
「めったなことを言うもんじゃない」
「ですから、もし……と申し上げました。もし、私が亡くなったら……」
「そんな話は聞きたくない」
「真剣なんです。どうか聞いてください」
沖田の強い訴えかけに、土方は言葉を呑み込む。
「私が死んだら……さよのことをお願いしたいのです。彼女は父親を殺され、池田屋も人手に渡ってしまいました。お袋さんは中気で寝たきりの状態で、彼女が頼れるのは私しかいないんです」
「……」
「親父さんを手にかけたのは私たちです。私には、彼女に人並みの幸せを与えてあげる責任がある。……だから……私が死んだら……さよのことを近藤先生と土方さんにお願いしたいのです。彼女の生活が立ちゆくように、どうか助けてやっていただけませんか」
目の縁が赤らみ、唇は小刻みにふるえている。沖田のさよに対する愛情が痛いほどに伝わってきた。
「こんなこと、おふたりにしか頼めません」
「分かった。約束する」
安心させるように、力強くうなずいた。
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「ありがとうございます」
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