新撰組のものがたり

琉莉派

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第四章 絶望と栄光

第六話 新撰組を解散したい

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 暮れも押し迫った十二月二十八日。 

 将軍家茂は、勝海舟が艦長を務める翔鶴丸しょうかくまるで一路大坂を目指した。八隻に及ぶ幕府諸藩の連合艦隊を編成しての堂々たる上洛である。

 新撰組は正月二日に大坂入りし、八日到着の将軍一行を「誠」と書かれた隊旗を掲げて出迎え、宇治川右岸で護衛の任に就いた。

 将軍一行はしばらく大坂城に滞在した後、十五日に入京、二条城に入った。
 天皇と将軍が対面し、いよいよ攘夷戦争の幕が上がる。

 ところがこの時、京の都にはまったく逆の思惑を抱く雄藩連合が集結していた。
 薩摩の島津久光、越前の松平春嶽、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城らである。

 彼らは、強大な軍事力を有する薩摩藩が英国の砲撃の前に手も足も出なかった事実を目の当たりにし、攘夷の危険性を感じ取っていた。

 攘夷を断行すれば、国が滅びるかもしれない。

 そこで天皇に攘夷を諦めさせ、国家を存亡の危機から救うため駆けつけたのだ。

 彼らは朝議(朝廷の会議)に参与して、幕府よりも上位の政策決定会議を形成しようとしていた。ようするに、幕府にとって代わる政権主体を確立しようと試みたのである。

 これに対し、幕府側の最高実力者である一橋慶喜は危機感を覚え、雄藩連合の策謀を阻止すべく秘策に打って出た。

 攘夷を断行すべし、と天皇に上奏したのだ。

 慶喜は本来開国派であり、本気で攘夷がやりたいわけではない。だが、もし雄藩主導で天皇が翻意する事態になれば、その後の政局は雄藩連合に握られ、幕府の権威は失墜する。それを阻止するため、天皇の叡慮である攘夷を再約束し、今まで通り政冶の一切を幕府に託してもらう策に出たのだ。

 異人嫌いの孝明天皇は当然、一橋慶喜の案を受け入れた。

 これに怒った島津久光、松平春嶽らは「勝手にしろ」と捨て台詞を吐いて、本国へ舞い戻ってしまった。

 またしても政治はねじれ、本音と建前が複雑に交錯する異常事態が訪れる。

                   ☆
      
 しかし、土方・近藤ら新撰組の面々に、そんな政権中枢の内情が分かるはずもない。
 彼らは天皇と将軍が攘夷を決行してくれるものと信じ、悲壮な思いで出陣命令が下るのを今や遅しと待っていた。

 しかし、待てど暮らせど号令がかからない。

 四ヶ月が経過した頃、

「前回とまったく同じだぞ、これは」

 土方が不安を滲ませた顔で言った。

「いや、今度こそ絶対に命令は下る」

 近藤は強張った顔で主張した。

「下ってくれなくては困る」

 近藤はこの間ずっと、必ず攘夷戦争はある、と言い続けて隊士たちの気持ちを引き締め、鼓舞してきた。
 七十名近くに膨れ上がった隊士たちは、近藤の言葉を信じ、市中見回りと長州激派取締りの仕事に甘んじてきたのだ。金が入り、島原や祇園で遊べる身分になっても、本来の志士としての情熱が薄らぐことは決してなかった。

「だから、攘夷戦争がないなどということは、断じてあってはならない」

 それが近藤の真情である。

 だから、五月二日――、
 将軍家茂が、横浜鎖港を誓うだけで摂海での攘夷を実行することなく、天皇に帰府の挨拶をすると知った時、近藤の怒りはついに頂点に達した。我を忘れるほどに憤慨した。
 

 翌日、怒りに任せて抗議の上書を書き上げると、それを手に老中・酒井雅楽守のもとへ乗り込み、直談判に及ぶ。土方も同行したが、近藤の勢いは止められなかった。

「新撰組は今日を限りに解散させていただく」

 頭から湯気を発しながら近藤は宣言した。
 慌てて理由を問う酒井に対し、

「理由はその上書に書いてござる」

 と、けんもほろろに言い放つ。

「まあ、落ち着かれよ。大樹公は攘夷をお約束されたのだぞ」
「ではなぜ出陣の命令を下されぬ。なぜ江戸へ帰られる」
「雄藩の代表者たちが勝手に帰国してしまったのじゃ。国論が統一できておらぬ」
「ならば幕府だけで攘夷を断行すべきでしょうが」
「その前に雄藩を説得して、国を挙げて事に当たるべきとは思わぬか」
「左様な言い訳はもう聞き飽きました!」

 目を真っ赤にして叫んだ。

「我々がどんな思いで故郷くにを出てきたか、分かりますか。どんな思いで浪士組に参加したか、分かっていますか」
「もちろん……分かっているつもりだ」
「いいや、分かっていない。あなたたちは何一つ分かっていない!」

 双眸そうぼうから涙を噴き出しながらつづける。

「我々をたかが草莽そうもうだと思って馬鹿にするのもいい加減にしていただきたい」
「申し訳ございません」

 土方が近藤の前に進み出て頭を下げた。

「近藤は疲れております。隊を纏めることに加え、守護織や奉行所との折衝に追われ疲れ切っているのでございます」
「分かっておる」

 酒井は目を細めて頷いた。

「しかし」

 と土方は言葉を継ぐ。

「その上書に書いてあることは、近藤のみならず新撰組の総意でございます。どうかお汲み取りいただきますようよろしくお願いいたします」
「相分かった。この上書は老中各位に必ず目を通させる」

 土方はこの時、初めて近藤の深い苦悩を知った思いがした。局長と副長は、単に階級が一つ異なるだけでなく、のしかかる重圧や責任感において雲泥の差があるのだ。

「酒でも飲んでいこう」

 酒井邸からの帰り道、土方が誘い、二人は近くの居酒屋に寄った。

 先程より幾分落ち着いた様子の近藤は、すでに涙も乾き、平静に戻っている。しかし口数は少なく、黙々と飲み続けている。土方も特に話しかけるでもなく、焼き魚をつまんでは、盃を口へと運ぶ。

 沈黙の時間が延々と流れる。
 二人はそれを気にする様子もない。長い付き合いである。
 
 やがて、近藤がぽつりと言った。

「多摩へ……帰りたいな」
「ああ」魚をつまみながら答える。 
「大樹公が江戸へ帰るというのなら、俺たちも帰ろう」

 土方は小さく頷いた。

「近藤さんの好きにしたらいい。俺はそれに従うよ」

 それからまた、二人は無言で酒を飲み、魚を食した。

          ☆
          
 翌日、土方と近藤は松平容保に呼ばれ、京都守護職屋敷に行った。

 前日、酒井から上書を見せられている容保は、蒼い顔でおろおろしながら二人を出迎えた。
 上書には、もし将軍が江戸へ戻るというなら、我々に解散を命じるか、あるいはそれぞれを帰郷させてほしいと記されている。

「あなたたちまで京を見捨てるというのか」

 容保は必死に二人を慰留した。
 すでに越前の松平春嶽も、薩摩の島津久光も、土佐の山内容堂も、国許くにもとへ帰ってしまった。将軍さえも帰府するという。しかし、京都守護職である容保は、京の地を離れるわけにはいかない。

「どうかもうしばらくの間、我々と共に京の地にとどまり、この危機に力を貸してほしい」

 容保は座っていた座布団を外すと、畳にじかに正座し、土下座をするように二人に深々と頭をさげた。

 土方と近藤は返事を保留して屯所へ戻った。
 近藤の決意は固く、本気で新撰組を解散し、多摩へ帰るつもりだった。 

 それを翻意させようと、翌日から幕府側の要人が次々近藤に面会を求めて訪れた。入れ代わり立ち代わり説得に当たる。

 当時の記録によると、老中水野和泉守忠精と稲葉美濃守正邦からは、近藤を「与力上席よりきじょうせき」に推挙するとの申し出が屯所に伝えられている。
 金と地位を餌に、京に留まらせようとの思惑である。

 新撰組内部では試衛館一門による会議が連日開かれた。
 意見は割れ、東帰派と残留派とで議論が白熱し、結論は常に先送りされた。全てを捨てて江戸に戻る決心がどうしてもつかない者が複数いたのだ。
 具体的には、永倉、原田、斎藤、井上の四名が、将軍の真意を見極めるまでは、京に留まるべきではないかと主張した。
 
「一度、解散してしまえば、二度とこのような攘夷集団を形成することは不可能です。近藤さんのお気持ちも分かるが、もう少しだけ様子を見てもよいのではないでしょうか」

 土方がこの意見に半ばくみしたことで、近藤の心にも迷いが生じ始める。
 解散の最終決定を下せないまま、いたずらに月日だけが流れていった。

 しかしその間にも、目的意識を失った集団の常として、脱退者が相次いだ。
 七十名以上いた隊士は一気に五十名近くにまでその数を減らし、組内には澱んだ空気が漂うようになる。

 近藤は郷里の中島次郎兵衛に宛てた五月二十日付の書状の中で、次のように記している。

「最近は女性と遊ぶこともなくなり、新撰組内ではしきりに男色が流行っています」

 新撰組は岐路に立たされていた。
 いや、袋小路に追い詰められたといった方が正確かもしれない。

 解散すべきか否か。

 答えが出ぬままずるずると京に留まり続ける彼らの前に、運命の六月五日が訪れる。




  
 
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