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第四章 絶望と栄光
第二話 長州激派の取り締まり
しおりを挟む「それでは話が違うではありませんか!」
近藤は腰を浮かせると、荒ぶる声で叫んだ。声には悲愴の響きが込められている。
「芹沢を討てば攘夷に専念させていただけるお約束のはず」土方も紅潮した顔で続いた。
再び薩摩藩邸に呼ばれ、容保、大久保と対面した二人は、容保から切り出された話の内容に驚き、憤慨していた。
「まあ落ち着かれよ」
「落ち着いてなどいられませぬ」
近藤にしては珍しく激昂した。「長州は我々と同じ尊攘の志を持つ者たち。それを草の根分けて探し出し片っ端から斬って捨てよとは、いかなるご所存であらせられますか!」
市中見回りならまだ分かる。治安維持は誰が考えても必要な仕事である。だが特定の藩のみを対象とした、あるいは目の敵にした取締りには、納得できないものがあった。長州は現在攘夷を実行中であり、全国の尊攘派からの尊崇を一身に集めている。
「おいから説明しもんそう」
そう言って発言を引き取ったのは大久保である。
「確かに長州は我々と同じ尊攘の藩でごわす。じゃっどん、やり方が汚か。幕府をないがしろにして天朝中心の政治を強引に実現しようとした。おいには関が原以来の徳川への恨みを、尊攘を口実に晴らそうとしとるとしか思えん。天朝と大樹公が仲良く協力して異国と戦うのが本当の尊皇攘夷でごわす。近藤さんもそういうお考えと聞いておりもすが」
「その点には異存ございません。ですが……」
「じゃっで!」
近藤の発言を遮り、大久保は続けた。
「我々薩摩と会津の連合軍は、長州とそれに与する公家どもを京都から追放したんでごわす。ところが、それに恨みを抱く長州の一部過激派が、最近になって京都奪還を狙い、容保様とおいを血祭りに上げると息巻いておりもす」
「それは分かりますが……我々のそもそもの役目は……」
「新撰組に長州激派の取り締まりをやっていただきたか!」
有無を言わせぬ迫力で大久保は言い放った。
「長州に限らず、治安を乱す恐れのある浪士は、どこの人間だろうとどんどん取り締まっていただきたか。ただし、薩摩藩の人間には一切手出しは無用」
「そりゃあ、差別じゃ、大久保どん」
それまで黙って四人のやりとりを聞いていた坂本龍馬が、突然声を発した。
龍馬は現在、勝の命を受け、来年開設される神戸海軍操練所に併設予定の私塾への支援を求め、西国雄藩の間を飛び回っている。操練所は幕府から資金が出るが、私塾は勝の身銭で運営しなければならぬため、雄藩からの援助が欠かせない。すでに越前の松平春嶽からは千両の資金提供を受け、今は連日薩摩藩邸に通い詰めて交渉を行なっている。
先ほどから部屋の隅に座って、黙って話を聞いていたが、近藤・土方が可哀想に思えたのか、会話に割り込んできた。
「大久保どん。おまんのところにも幕府を倒そうとする過激派はぎょうさんおるろうが。理屈に合わんぜよ」
龍馬の発言に我が意を得た近藤は、大久保へ膝を進める。
「新撰組隊士の中には長州藩出身の者や、長州の攘夷実行に共感を覚える者が大勢おりまする。大樹公ご上洛も決まったことではありますし、でき得れば攘夷の準備に専念させていただきとうございます。藩と藩との権力闘争には関わりとうございません」
「権力闘争とはどういうこつでごわす!」
大久保がぶち切れたように、憤激して立ち上がった。
「我々は幕府と朝廷を結んで天下国家の一大事に立ち向かうとの志で動いておりもす。それを権力闘争とは聞き捨てならん!」
「大久保どん、言葉のあやじゃ。そうムキになるがやないぜよ」
近藤はさらに膝を進めて訴える。
「先程大久保様は、日本は仲間割れをしている場合ではないと申されました。薩摩と長州も、いうなれば仲間割れではございませぬか」
「なに!」
「言い過ぎだ、近藤さん」土方が小声でたしなめた。
大久保の怒りは頂点に達する。
「もともとは長州が始めたこつじゃろが! 何を言うとるんじゃ、貴様は!!」
今にも殴りかからんばかりの勢いに、土方が慌てて割って入った。
「誤解でございます、大久保様。近藤が申したのは、隊には尊攘派が多いため、攘夷実行中の長州の弾圧などと聞いたら、とても隊を纏める自信がないと、かように申したまででございます」
「それをまとめるんが、おはんらの仕事じゃろうが」
大久保は頭に血が上ったまま、「そげなこつもできんなら、局長などやめてしまえ!」
大声で叫ぶや、席を蹴って部屋を飛び出していく。
「お待ちください、大久保様」
土方が必死に呼びとめるが、大久保は一顧だにせず、廊下へと消えた。
「近藤さん」
土方が蒼い顔で近藤を見る。近藤は額や首に大量の脂汗を滴らせている。
その様子を見て、松平容保が穏やかな物腰で二人に語りかける。
「長州藩士の取り締まりは、そのほうらにとって不本意な役目だということはわしも大久保さんも重々承知しておる。嫌な役回りを担わせることに、誠に申し訳ない気持ちで一杯だ。だがな――、天朝と大樹公がお心をひとつにして攘夷に当たっていただくためには、長州に京を奪還させるわけにはいかんのだ。長州が再び京を牛耳ることになれば、公武分裂は避けがたい。なんとしてもそれだけは防がねばならん。分かってくれ、近藤さん」
松平容保は深く一礼した。顔を上げると、
「もちろん、長州相手に戦ってもらうのだから、ただでとは言わん。もしこの役目を引き受けてくれるなら、禄位の給付を検討したいと思っておる」
「禄位?」
土方は思わず容保を見た。禄位給付とは、正式に幕臣として雇い入れ、それなりの給金を支払うという意味である。
「近藤さんには大御番頭取の地位を用意するつもりじゃ」
「お、大御番頭取!?」
近藤が目を瞠った。旗本格の役職で、百姓あがりの彼にとって、ありえないほど破格の待遇といえる。
「土方さんは、大御番頭でいかがかな」
土方は絶句し、思わず近藤と顔を見合わせる。
「平隊士の面々にも大御番並を与えるつもりじゃ」
二人の驚く顔を見て、容保は満足そうに頷くと、
「大久保さんはわしが今から宥めてくる。心配するな」と立ち上がり、「その間、茶菓子でも食して待っていてくれ」と足早に部屋を出ていった。
容保が去った途端、土方と近藤は、全身から力が抜け落ちたように背を弓なりにした。
「いやあ、まいった、まいった」
明るく笑いながら口を開いたのは龍馬である。「まっこと、ややこしいのぉ」
土方もつられて薄い微笑を浮かべる。近藤だけはひとり、思いつめた顔のまま畳の目を凝視している。龍馬と土方が心配そうに彼の顔を覗き込む。
「歳さん……」
近藤が苦しげな表情で声を発した。
「この話は断ろう。とても隊をまとめる自信がないよ」
「しかし」
と土方。
「一概に悪い話とも言えんぞ。大御番頭取になりゃ、金の心配もなくなる」
「たしか頭取は月に五十両じゃったはず」龍馬が言った。
「五十両!?」
現在の貨幣価値に換算すると百五十万円に相当する。
「平隊士でも十両(三十万円)はもらえる計算やき」
「確かに金はありがたいが……」
近藤は言って口元を曲げた。
「幕臣になるって条件が気になる」
「たしかにそうだな」と土方。
「それに長州を正面から敵に回すってのも……」
「それは考え方次第だよ。大樹公が上洛して今度こそ攘夷が決行されるんだ。そのためには天朝と大樹公の結束が何より大事。それを乱し容保様や大久保様の命を狙う長州は排除する必要がある。つまり国を挙げて攘夷を行うための、やむを得ざる措置だ」
「ううむ」
近藤は思案するように目を閉じた。
その時、するすると襖が開いて、お琴が茶菓子の載った盆を手に入ってくる。
「やあ、お琴さん」
龍馬が相好を崩した。「お琴さんは藩邸内で、こじゃんと評判がええぜよ」と自慢げに言う。
土方はむすっとした表情になり、視線を合わせようとしない。
お琴は華麗な所作で三人に茶と茶菓子を振る舞い、去り際にすっと土方に身を寄せると、紙片を畳に滑らせる。彼の反応を確かめることなく、何事もなかったように姿を消した。
土方は紙片を手に取るとそのまま懐にしまい、一つ咳払いをしてから茶を口に含む。
龍馬がくすっと俯くようにして笑った。
その時、龍馬の背後の襖が開き、若い武士が姿を現す。
「坂本さん、そろそろ参りましょう」
「おう、そうじゃのお」
そう応じてから、土方・近藤を見て、
「土佐の望月亀弥太君じゃ」
と若者を紹介した。
「望月亀弥太です」
澄み切った瞳の純朴そうな青年である。
「この望月君は見所があるき、勝先生の下で航海術を学ばせようと思いゆうがじゃ」
「海軍操練所は来年春に開設と聞いていますが」土方が言った。
「そうなんじゃ。けんど攘夷戦争が起こりそうな雲行きやき、この先どうなるか分からん」
ここ最近、外国との関係は再び緊迫の度を増している。
孝明天皇の攘夷の決意は固く、その実行を再三に亘って将軍に迫った。幕府としても攘夷の旗を降ろすわけにはいかず、家茂の再上洛が決まったのだ。
「ほいなら、わしらぁいぬるき」
言って、すっくと立ちあがる。龍馬は右手をかざし、望月とともに去っていった。
しばらくして容保と大久保が戻ってくる。大久保の機嫌はすっかり直っており、
「先ほどは取り乱してすまんやった。ゆっしてくれ」
と、頭をさげた。
「返事は今度でよか。お仲間とよう相談して、決めてもんせ」
「ありがとうございます。持ち帰って、検討させていただきます」
近藤と土方は、深々と一礼し、藩邸をあとにした。
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