新撰組のものがたり

琉莉派

文字の大きさ
上 下
28 / 73
第四章 絶望と栄光

第一話 さよ

しおりを挟む

「どうなさったのですか。先程からずっと暗いお顔」

 さよは心配そうに相手の顔を覗き込んだ。
 十日ぶりの逢瀬おうせだというのに、目の前の男は一向に楽しそうにない。彼が金閣寺を見たいと言うから父に休みをもらって連れてきてあげたのに、金色の舎利殿を目にしても感嘆の声一つ上げるでなく、ただ凝然と眺めた後、

「へえ、これが……」

 と言ったきり、黙り込んでしまった。これでは会話が弾みようがない。

 池田屋の一人娘として、両親の愛情を一身に受け、蝶よ花よと育てられたさよにとって、目の前の男は生まれて初めて恋に落ちた異性であり、ふたりきりで逢引きするのはこれで三度目となる。
 昨晩はほとんど一睡もできないほど胸の高まりを覚え、もう彼なしでは生きていけないほど、この恋に夢中になっているさよだが、相手の男は先ほどから笑顔ひとつ見せることなく、ずっと仏頂面のままなのだ。

 いったい、どうしたというのだろう。 

「今日の沖田様、少しおかしいですよ」

 非難するようにいった。
「全然、楽しくなさそうです」
「そんなことはないです」

 沖田総司は反駁するように顔を上げる。

「だって……先ほどからずっと暗いお顔をなさって……笑顔ひとつお見せになりません。私との逢瀬が、そんなにつまりませぬか?」すねたように高い声を発する。 
「違います。誤解です」

 慌てたように胸の前で手のひらを激しく振る。

「さよさんと会うのが、楽しくないわけないじゃありませんか。とっても楽しいです。本当です」

 言って、口角を思いきり引き上げ、ニカッと笑う。白く美しい歯がこぼれる。しかし瞳は笑っていない。

「嘘ばっかり」

 さよは見透かしたようにいった。

「……まいったなあ」

 沖田は困ったように頭の後ろを掻く。

「さよさんの目は誤魔化せませんね」観念したようにいった。
「当り前です。いつもの沖田様と全然違いますもの。すぐに分かりますわ」
「……そうかもしれません」
「いつものとぼけた明るさは、どこへいったのですか?」

 彼はいつも、さよの前では笑顔を絶やさず、こちらを楽しませようと江戸や多摩地方のよもやま話をしてくれる。京との文化の違いに、驚いたり笑ったり、会話が途切れることがない。
 さよは、そんな沖田のとぼけた明るさが大好きなのだ。

「今日は、とても明るく笑えるような気分ではないんです」どんよりした顔でいった。
「そのようですね」
「すいません。せっかくの逢瀬なのに……」
「なにかあったのですか?」

 沖田の顔をのぞきこむように訊ねた。

「ええ……まあ……。まだ心の整理がついていないのです」
「どんなことです?」

 沖田は口元をきゅっと結び、痛みをこらえるような表情を作ると、

「実は……おととい……人を斬りました」
「まあ」

 と、さよは口に手をやった。

「生まれて初めて、人を殺しました――。それも、よく知っている人をです」
「そう……だったんですか」
「……ええ」 
「お辛かったのね」心中を察するように言った。

 沖田は小さく首肯する。

「その人を斬り殺した時……何とも言えない心の痛みが胸の内を走りました。それが今もつづいているんです」
「……」
「一人殺すと、あとは何人でも殺せるようになるという人がいるでしょう。でも僕は……いつまで経っても慣れそうにない」

 その時の感触を思い出したように両手を握りしめ、寂寥を帯びた目で虚空をみつめる。

「殺しに慣れた人なんて嫌ですわ」

 さよが眉をひそめて言った。

「池田屋に来る志士の方々の中には、天誅を下した時のお話を嬉々としてされる方がいらっしゃいますけど、聞いていて嫌な気分になることがあります」
「でも、そうならなきゃいけないんですよね。日本を異国の手から守るためには、異人を斬って斬って斬りまくらなきゃいけない。でも同じ日本人を斬るのはもうたくさんです」

 さよは小さく頷く。

「喜んでください」

 沖田は気持ちを切り替えるように、高く弾んだ声を出した。

「我々新撰組は、市中見回りの仕事から解放されて、攘夷が実行できることになりました」
「まあ」
「大樹公がまた上洛されるのです。今度こそ攘夷が決行されます。これで胸を張って尽忠報国の士と名乗れます」
「それはおめでとうございます」
「今まで、さよさんの前でずっと肩身が狭かったんですよ」
「そんな……」
「長州は異国船に砲撃を行なったし、薩摩も今やエゲレス相手に堂々と一戦を挑んでいる。遅ればせながら、我々も参戦します」
「私に何かできることがあれば、仰ってくださいね」
「もう充分してもらっています」
「私はもっと沖田様のお役に立ちたいのです」
「ありがとう」

 言って、熱い眼差しでさよを見つめたのち、

「僕は何もしてあげられないのに」

 と視線を足元に落とした。

「充分していただいております」
「さよさんと夫婦めおとになることはできません」
「分かっております」さよは笑う。
「僕らはいつでもこの国のために死ねるよう、攘夷が成就するまで係累けいるいは持たないと決めているのです。土方さんはそのため許婚と別れたし、近藤先生は妻子の待つ江戸に帰りたい気持ちを押さえて、京に留まり続けておられる」

 さよは全てを呑みこんだ顔で頷く。

「私は沖田様とこうしているだけで幸せです。それに攘夷戦争が勝利を収めたあかつきには、晴れて夫婦になれるわけですもの。その日を心待ちに致しております」」

 上気した頬で、彼のつぶらな瞳を見つめながら言った。それから明るい口調で、

「せっかくここまで来たのですから、龍安寺りょうあんじにも寄って行きましょう。是非、方丈庭園ほうじょうていえんを見ていただきたいわ」
「いいですね。行きましょう」

 沖田は大きく頷いた。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

浅葱色の桜

初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。 近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。 「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。 時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。 小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。

黄金の檻の高貴な囚人

せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。 ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。 仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。 ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。 ※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129 ※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html ※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

黒の敵娼~あいかた

オボロ・ツキーヨ
歴史・時代
己の色を求めてさまよう旅路。 土方歳三と行く武州多摩。

処理中です...