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第三章 新撰組誕生
第四話 芹沢とお梅
しおりを挟む豪雨であった。叩きつけるような風雨が八木邸の屋根や雨戸を直撃している。
芹沢一派は天狗党部屋で飲んでいた。
芹沢鴨、平山五郎、平間重助の三名である。もう一人の天狗・野口健司はこの時たまたま居合わせなかった。
他の隊士たちは、近藤に誘われて島原の角屋で酒宴に興じている。芹沢ら三名も先ほどまで一緒に飲んでいたのだが、酒が進むほどに近藤が死んだ新見錦の悪口を言い始め、その悪行を事細かに列挙するに及んで、席を蹴って帰ってきたのだ。
三名にはそれぞれ女が侍っている。
芹沢の相手はお梅である。
楽しい酒とは言えなかった。外の天気と同じように、室内もどんよりと陰鬱な雰囲気が垂れ込めている。平山と平間は先程から近藤の悪口を言い続けている。
「あの野郎、新見さんをはめたくせしやがって」
「新見さんは罪を認めて自ら進んで切腹したなんて言ってるが、どうせよってたかって殺したに決まってる」
五日前、新見錦は祇園新地の料亭「山緒」において、土方・山南・井上の三名から、隊費と称して大店から金品を強請りとった咎を糾弾され、その場で腹を切って果てたのだ。
「芹沢先生には手出しできないもんだから、代わりに新見さんを血祭りにしたんだ」
「もうやめろ」芹沢が怒声を発した。「酒がまずくなる」
彼は二人の会話には加わらず、先ほどから黙って飲み続けている。
空になった盃をお梅に差し出す。お梅は小さく頷き、徳利を傾け酒を注いだ。
芹沢はそのままお梅を見つめた。盃を手元に引くのも忘れて見入っている。
「どうしたのでございます」
お梅が上目遣いに問う。
芹沢は何も言わない。
「嫌ですよ、そんな悲しいお顔でご覧になっちゃ」
芹沢は視線を落とし、盃を引き寄せると一気に中身を空ける。お梅が徳利を近づけるのを手で制し、静かに口を開いた。
「戻りたければ、戻ってもいいのだぞ」
お梅は身を引き、首を傾げる。
「菱屋の元へ」
「え?」
「俺といたって、いいことなど何もない」
自嘲するようにいって、虚空を見据えた。
お梅はかぶりを振って、
「何をおっしゃいます。梅は幸せにございます」
「幸せなものか」
「本当です」
掬い上げるように芹沢を見た。
「芹沢様がお優しいから」
その途端、芹沢が、はっ、と噴き出すように笑った。
「俺が優しいだと」
「はい」
「馬鹿を抜かせ。この芹沢鴨、人から恐れられることはあっても、優しいなどと言われる覚えはない」
「でも私にはお優しい」
「今までよほど男運が悪かったとみえるな」
平山と平間の方を向いて笑った。二人も小さく笑声を立てる。
お梅は真剣な眼差しで、
「芹沢様と居たいのです。お側に置いてください」
「あらぬ噂を立てられるぞ」
「噂?」
「壬生の狼に手込めにされて、その狼に惚れてしまったとな」
「本当ですから、仕方ありませぬ」哀しく微笑して言った。
外の風雨が一段と激しさを増し、雨戸がガタガタと大きな音を立てて揺れている。
お梅はふとそちらに視線を走らせるが、すぐに振り返って、
「昔から噂には慣れておりまする」
か細い、哀愁を帯んだ声で言った。
「菱屋の妾……金で身体を売る売女……遊女あがり……。どれも真実ですから、仕方ありませぬ」
「……」
「十二で遊郭に身を沈めてから、私が自らの意思で殿方を選んだことはただの一度もありませぬ。お金が、私の人生を決めてきたのでございます。――初めてです。初めて、自ら殿方を選んだのでございます」
お梅は救いを求めるような視線を投げかけた。瞳が濡れて光っている。
「どうか、菱屋の元へは帰さないでくださいませ。お側にいさせてくださいませ」
雷鳴が轟き、先ほどより激しく室内の空気を揺るがせた。
芹沢は、お梅の憂いに沈んだ顔をしげしげと眺めながら、今にも泣き出しそうな声で言葉を発する。
「お前は……俺と同じ目をしているな」
「え?」
芹沢は視線を逸らした。その横顔が、淋しげに歪んでいく。
「どういう意味でございますか」
「うん?」
お梅の問いに直接答えることなく、芹沢は紅潮した顔で口を開いた。
「俺は許せんのだ。薩摩と長州が――」
強い怒気がその眼に表れる。
「本来ならば同じ尊攘派として一致団結せねばならぬものを、権力闘争を繰り返し、全国の尊攘派を分裂させた」
お梅は静かに聞いている。
「俺は許せんのだ、幕府が――。本音は開国のくせに、尊皇攘夷のふりをして朝廷を抱き込み、薩摩を取り込み、尊攘派を骨抜きにした」
平山と平間が、会話を中断して首領の声に耳を傾けている。
「だが、一番許せんのは……」
芹沢は言葉を区切ると、一段と激しい口調で続けた。
「この俺自身だ」
「……」
「攘夷などやる気のない会津藩に雇われ、幕府の犬に成り下がり、ゆすりたかりを繰り返している。……薄汚い……最低の……クズだ」
腹底の澱を吐き出すように言うと、空になった盃をお梅にまっすぐ突き出した。
だがお梅は酒を注ごうとしない。
芹沢はお梅を見る。
彼女は目に一杯の涙を湛え、
「いいえ」
と小さくかぶりを振った。
「あなたは立派な方です」
「立派な人間がゆすりたかりなどするものか」
「立派だからご自分を責めるのです。立派だから苦しんでいるのです」
「……」
「あなたは悪くありません。悪いのは世の中の方です。その証拠に……」
お梅は芹沢ににじり寄り、その頬に優しく右手を添えた。
「あなたの目は――、こんなにも澄んでいる」
瞳から涙が一筋、頬へと流れ落ちた。
芹沢は盃を投げ捨て、彼女の華奢な身体を抱き寄せると、そのままむしゃぶりつく。
雷鳴が上空で炸裂し、凄まじい風雨が八木邸を震わせた。
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