新撰組のものがたり

琉莉派

文字の大きさ
上 下
10 / 73
第一章  浪士組

第十話 家茂の苦悩

しおりを挟む
         

「横浜の様子はいかがでございます?」

 将軍後見職・一橋慶喜は、上洛した九歳年下の将軍家茂に対し、へりくだった物腰で話しかけた。
 この二人は、十四代将軍の座を巡って激しく争った間柄である。

 家茂を推す大老・井伊直弼いいなおすけに対し、水戸藩や薩摩藩は一橋慶喜を推薦。その時は井伊側(家茂側)が勝利し、反対派の弾圧(安政の大獄)が行われたが、井伊が桜田門外の変で殺害されると立場は逆転。今度は薩摩の島津久光が江戸へ乗り込み、一橋慶喜を将軍後見職につける幕政改革を行った。

 かように互いの後援者は争いに明け暮れたわけだが、慶喜と家茂は決して仲が悪いわけではない。親戚筋ということもあり、互いに協力しこの難局を切り抜けようと考えている。
 だがどちらかといえば、年上の慶喜に主導権が移りつつあるのは事実である。

「どうもこうもない。エゲレスは本気です。犯人引渡しと賠償を拒絶すれば、間違いなくいくさとなるでしょう」

 家茂は慶喜に対し、タメ口と丁寧語が入り混じった話し方をする。昨年突如後見役として江戸城に乗り込んできた年上の親戚に対し、どう対応すればいいか決めかねている様子だ。

 慶喜は腕組みをし、首を左に振って「どう思う」と同席している二人の老中に問いかけた。

「エゲレスと戦えば、我が国は破滅です」

 そう言ったのは板倉勝静である。

「天朝の前で攘夷の約束などとんでもありません」
「なんとか十日間返事を引き延ばし、うやむやにして立ち去るよりほかございませぬ」

 もうひとりの老中・小笠原長行も同意見だった。

「しかし、さような方便が通用しますかどうか……」

 この会議にはもう一人、京都守護職の会津藩主・松平容保が出席している。
 京の治安が悪化し、奉行所や京都所司代だけでは手に負えなくなったため、新たな治安組織として設けられた要職だ。

 就任に際しては、家臣団から「薪を背負うて火に飛び込む如し」と辞退を促す声が続出した。下手をすれば藩が傾きかねない危険な仕事なのだから当然だ。それでも容保は「義」のため、決死の覚悟で引き受けた。

 京の事情をよく知る容保が言う。

「長州とそれにくみする公卿たちは、もしも幕府が攘夷を実行しないならば、天朝を促して反幕……いえ倒幕にまで向かいかねぬ勢いなのでございます。みやこの状況は江戸の比ではありませぬ。小手先の誤魔化しが通用するとはとても思えませぬ」

 ふたりの老中と一橋慶喜は、ううむ、と唸り声を発した。

「では、どうせよと申すのじゃ」

 十八歳の将軍は、苛立ったように叫んだ。

「エゲレスとの講和を拒否すれば戦が起こり国は滅ぶ。かといって講和を結べば幕府は朝敵となってしまう。進むも地獄、退くも地獄じゃ」

 究極の二律背反を前に、家茂は今にも泣き出しそうな顔になった。

「かように馬鹿げたことがこの世にあろうか」

 混乱し、うろたえる家茂を見て、板倉勝静がおずおずと膝を進める。

「実は……」

 いかにも言いにくそうに言葉を発した。

「もう一つ、大変に厄介な事態が生じておりまして」
「何じゃ」
「大樹公の警護役として京に上った浪士組の者どもが、勝手に朝廷に上書を提出し、攘夷の勅命を受けてしまったのです」
「なんだと」

 家茂は思わず腰を浮かせた。

「彼らは十日のちに東帰し、横浜にて攘夷戦を開始する手筈」
「馬鹿な」

 若き将軍は大きく叫んで立ち上がると、血の気の失せた蒼い顔で言葉を継ぐ。

「なんとかせい。なんとかするのじゃ。攘夷など実行したら、本当に国が滅ぶぞ!」


 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

浅葱色の桜

初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。 近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。 「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。 時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。 小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。

黄金の檻の高貴な囚人

せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。 ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。 仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。 ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。 ※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129 ※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html ※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

黒の敵娼~あいかた

オボロ・ツキーヨ
歴史・時代
己の色を求めてさまよう旅路。 土方歳三と行く武州多摩。

処理中です...