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第一章 浪士組
第九話 斎藤一
しおりを挟むそれから連日、土方と近藤は暇を見つけては連れ立って京の町を散策した。
剣呑に支配された町の空気を肌で感じ取ろうとの思いからだ。
どこへ行っても長州の志士たちが我が物顔でのし歩いている。将軍の上京を前にして、それぞれが過激さを競うように、昨日より今日、今日より明日と行動をエスカレートさせている。天誅事件も連日のように発生し、皆それに慣れ切って感覚が麻痺してしまっている。死体が路に転がっていても知らん振りで通り過ぎるのだ。
「まずいな」
土方は直感的にそう感じていた。
「日に日に状況が悪くなっている」近藤も同意見だった。
その日の視察を終えて八木邸に戻ると、門の前に沖田総司がニタニタ笑いながら立っていた。
「何だ、総司。気持ち悪いな」
土方が顔をしかめて言う。
「へへへへ」
沖田は白い歯を見せてニタニタ笑った。
「どうした」と近藤も気味悪がる。
「おかえりをお待ちしていました。おふたりに嬉しいお報せが二つあります」
満面の笑みで言った後、「いや、三つかな」と訂正した。
「嬉しい報せ?」
「まず一つは土方さんに。へへへ。お手紙がきています。フフフ」
「手紙?」
沖田から受け取り、裏返して差出人を確かめた土方は、ハッとした表情になり、慌てて懐に仕舞い込んだ。
「誰からだ?」と近藤。
「決まってるじゃないですか。フフフ……あの人ですよ」
「あの人? ……お琴さんか?」
近藤がピンときた様子でいった。
お琴とは、多摩郡の豪農の娘で、江戸薩摩藩邸で奉公していた土方の幼馴染である。ふたりは一時期、許婚の関係にあったが、浪士組参加を機に土方の方から婚約破棄を申し入れた。
お琴は容易に納得しようとせず、出立前には相当な修羅場があったのだ。
若く可愛らしい外見に似合わず、いちずで情熱的な女性である。
「あの人のことだがら、きっと毎日手紙が届きますよ」
「ひょっとすると京まで押しかけてくるかもしれんぞ」
「あり得る。あり得る」
「やはり別れるのは無理じゃないか、歳さん」
近藤と沖田は、顔を見合わせて、ククク、と笑い合った。
「うるさい!」
土方は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「それより他の嬉しい報せとは何だ。あとふたつ、あるといっただろう」
強引に話題を変えようと沖田を睨む。
沖田は顔を引き締め、姿勢を正すと、
「もう一つは、お二人両方に関係することです」
「ふたりに?」
「是非、会っていただきたい人がいるんです。すでに試衛館部屋に入っていただいています」
「女か?」
「いいえ、男です」
「男?」
土方と近藤は顔を見合わせる。
「誰だ?」
「ふふ。びっくりすると思いますよ」
そう言うと我先にと屋敷内に入っていく。
土方と近藤は、沖田の後を追った。
試衛館部屋に入ると、一人の若い浪士が永倉や藤堂、山南らと親しげに談笑している。
その顔を見たとたん、土方と近藤の顔が思わず綻んだ。
「斉藤」
「斉藤じゃないか」
元試衛館門下生で、尊攘の志士に憧れて先にひとりで上京していた斎藤一である。弱冠二十歳の若者だ。
「お久しぶりです。近藤さん、土方さん」
斎藤は二人を見るや、慌てて居住まいを正し、深々と一礼する。
「元気だったか?」
「はい。お陰さまで」
三人は肩を叩きあって再会を喜び合った。
「近藤さん。斉藤が浪士組に入りたいと言っているんです」
永倉新八が立ち上がり、嬉しそうに言った。
「同じ攘夷戦争を戦うなら、気心の知れた仲間と一緒がいいと思いまして。今からでも、加入できるものでしょうか」
「もちろんだ。大歓迎だよ。なあ」
近藤が皆に賛同を求める。全員が大きく首肯した。
「数は力だからな。試衛館一門が一人でも増えるのは有難いよ」原田左之助が言った。
「俺たち、浪士組の中じゃ、結構冷遇されてるからさ」と永倉。
「そうなんですか?」
「二十数人の子分を引き連れてきたヤクザの親分が小頭で、俺らは近藤さんも含めて全員平隊士だったんだ。ようするにヤクザ以下ってことよ」
「え? 浪士組にはヤクザの親分までいるんですか」
斉藤が驚いたように目を丸くした。
「すげえだろ。それが幕府の募集した正規の兵隊だっていうんだからよぉ」
「そんなんで幕府は大丈夫なんですか?」
「それを言っちゃあ、おしめえよ」
永倉が節をつけて滑稽な調子で歌うように言ったものだから、全員がどっと笑った。
「ところで、斉藤」
近藤が改まった調子で語りかける。
「京都は一体どうなってるんだ。ここ数日、歳さんと市中を見回っているんだが、街の様子が明らかに異様だ」
斉藤は苦笑いして、ええ、と首肯した後、
「とにかく凄いことになってますよ」
と言った。
「完全に長州の天下です。朝廷を思うがままに操っていて、誰も逆らえません。まるで長州国ですよ、京都は。でもまあ、そのお陰で攘夷が実現できるわけですから、感謝しなくちゃいけないんですけどね」
「まあな」
と近藤が頷いた。
「斉藤、お前はずっと長州の連中と一緒に行動していたのか」
井上源三郎が訊いた。
「知り合いは大勢いますよ。でも本当の仲間になるのはなかなか難しいです。ここでは関東出身の浪士は差別されますからね。あ、そうそう。あまり大っぴらにお国訛りで話さない方がいいですよ」
「どういうことだ」
「馬鹿にされますから、田舎者だと。できるだけ、西国の言葉に合わせた方がいいです」
「そんなこと言ったって……」
と藤堂。
「俺は嫌だぜ。おいどんとか、そうじゃけんとか、なにをしゆうがぜよとか言うのは」
「お、うまいじゃねえか」
永倉のボケに原田が突っ込んだ。
「京都弁を覚えればいいんですよ。はんなりしていい言葉ですよ。私が教えて差し上げます」
斎藤が言った、その時だった。
「いえ。その必要はありません」
沖田総司がすっくと立ち上がった。
「どうした、総司」
近藤が言った。他の者たちも沖田に視線をやる。
「近藤先生と土方さんにはすでに申し上げたんですが、実は皆様に大変嬉しいお報せがあるのです」
そういえば、たしか朗報は三件あると言っていたな……と、土方は玄関先での会話を思い出していた。
お琴からの手紙と、斉藤の来訪、そしてもう一つは――、
「我々はすぐに江戸に戻ることになりました。横浜でエゲレス相手に戦をするのです」
「どういうことだ?」
近藤が驚いた顔で問いかける。
「さきほど近藤先生を出迎えるために門の外で待っていた時、清河さんの使者の方がいらして報告を受けたんです。現在、エゲレスの艦隊が横浜港に続々と集結しており、それを撃退すべく攘夷を実行せよとの勅命が下ったそうです。大樹公が到着次第、横浜へ向かって進軍することになります」
うおおぉぉぉぉ、とうねるような気勢が室内に上がった。
「ついに、攘夷決行か!」
「はい。だから京都弁は覚えなくていいんです」
すると永倉が不満そうに立ち上がった。
「まぁ、そないなこと言うて、いけずやわぁ、沖田はん」
身体をくねらせ、女性のような仕草で情感たっぷりに言ったものだから、どっと笑いが湧き起こった。
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