上 下
39 / 84
第3章 高校1年生 2学期

第35話 もてるもの、もたざるもの。

しおりを挟む
「……何のつもりですか」

 柴田先生に楽譜を預けた後、残暑厳しい帰り道で、私は不機嫌さ丸出しの声で誠に呼びかけた。

「何もこうもない。歌詞をつけたのはお前だろう」
「だから、なぜそれが私が歌うことに繋がるんですか」

 その役割は『チェンジ!』の主人公のものだ。
 彼女には作詞の才能があり、それを偶然目にした誠と懇意になる。
 そして、歌を一生懸命練習して、バンドのボーカルとして一緒に学園祭に出るのである。

 決して、悪役令嬢たる和泉の役割ではない。

「お前の声に惚れた」
「!?」

 まっすぐ見つてくる眼鏡越しの視線に思わずたじろぐ。
 言葉を選んで欲しい。
 勘違いしそうになるじゃないか。

「お前にはボーカルの才能がある。バンドに加わって欲しい」
「お断りします」
「なぜだ」
「注目を浴びたくないんです」

 私は静かに生きたいのだ。

「一条家の令嬢が目立ちたくないとは」
「一条の人間である前に、私は私ですから」

 元の和泉だって、冬馬関連では異様なほどの積極性を見せたけれど、それ以外は一方後ろに下がってしまうタイプだった。

「どうしてもダメか」
「こうして護衛をして頂いているのに申し訳ないとは思いますが」
「それは気にしなくていい。好きでやっていることだ」

 だから言葉に気をつけろと言うに。
 もしかして誠は天然たらしなのだろうか。
 寡黙武士だと思っていたのに。
 あぁ、ギャップに萌えるのかもしれない。

「どうしても嫌だというならボーカルは諦めるが、ナキの説得には協力してくれ。俺よりも和泉のほうが親しいだろう」
「そんな事実はどこにも無いのですが……」

 ナキとの距離は誠のナキに対するそれと同じくらいだと私は見積もっている。
 さすがに冬馬との距離は近いと言う他ないけれど。

「まだ時間はあるな。説得するなら早いほうがいいだろう」

 誠はスマホを取り出すとナキの番号にかけた。


◆◇◆◇◆


「せっかくデートの予定やってんのに、なんや大事な用って」

 言うほど不機嫌そうでもなく、ナキは食堂にやってきた。

「急に呼び出してすまん」
「ホンマや。和泉ちゃんがおらなんだら、絶対に来ぃへんわ」

 さり気なく私の隣の席に座るナキ。
 ナキは女性相手なら誰にでもこういう台詞を吐く。
 勘違いはしない。

 誠と私は一瞬目を見合わせる。
 誠が頷き、交渉の端緒を開いた。

「俺と一緒に学園祭に参加して欲しい」
「はぁ?」

 鳩が豆鉄砲をくらったようにきょとんとするナキ。

「誠くんのバンドが有志で学園祭のステージに上がるので、ナキくんも一緒にバイオリンで参加して欲しいんです」

 端的すぎる誠の申し出を補足するように、私は付け足した。

「なんや、藪から棒に。そないなこと、自分らで勝手にやったらええやん。何でわいが参加するいう話になるん?」
「柴田先生から持ちかけられた」

 誠の一言に、ナキは露骨に顔をしかめる。

「……そういうことかいな」
「ナキくん、あなたのバイオリンは素晴らしいものだと聞きました。私も聴いてみたいです」

 私からの言葉など大した後押しにならないとは思うけれど、これくらいは言っておかないとダメだろう。

「そらおおきに。でも、堪忍してや。バイオリンはもうええねん」

 そう言ったナキの口元には自嘲の笑みが浮かんでいた。

「先生の娘さんのことが、そんなに堪えたか」

 誠が直球どストレートをついた。
 この人はもうちょっとデリカシーのある言い方が出来ないのだろうか。

「関係あらへんよ。あれは柴田の奴が勝手に思い込んでるだけや。わいはただ単に飽きただけや」
「飽きるなどという程、その道を極めたとでも言うのか」

 誠の言葉にははっきりとトゲがあった。

「なんや。やけに絡むやん。別にそんなやあらへん。極めたとかどうとかかたっくるしいこと考えてないわ。飽きた。それだけやね」

 肩をすくめてみせるナキの表情に、嘘は見つけられなかった。

「バイオリンより女の子と遊んでる方が楽しいわ。和泉ちゃん、この後暇なん? 予定ないんやったら遊ばへん?」

 軟派にへらっと笑うナキ。
 いつものナキだ。
 軽薄でチャラくて女の子が大好きな、どうしようもない男。

「そうか。分かった。この話は聞かなかったことにしてくれていい」
「誠くん、でも――」
「音楽に飽きたなどという奴と、一緒にステージに上がりたくない。迷惑だ」

 誠はいつにもまして仏頂面である。
 彼は音楽に対してはどこまでも誠実な男だ。
 今のナキの態度は許せなかったのだろう。

「先生には悪いが、こんな男とセッションは出来ない」
「ハハ、嫌われたもんやな。真面目君は疲れんのかね」
「詩織……といったか。彼女も浮かばれんな」
「……なんやと」

 誠の無念そうなつぶやきに、ナキの表情が堅いものになった。

「すべてを彼女のせいにして逃げている。彼女はもう弾きたくても弾けないというのに。お前には、まだその両手があるというのに」
「せやから、詩織のことは関係ない言うたやろが!」
「ナキくん!」

 テーブル越しに掴みかかろうとするナキを、私は慌ててなだめた。
 
 誠はナキの軽薄さに怒っているのではなかったようだ。
 かつてともに音楽の高みを目指していたという詩織さんの無念を思って憤りを覚えたのだ。
 でも――。

「誠くん、言葉が過ぎます。ナキくんと詩織さんのことは、第3者が軽々しく触れていいことではないでしょう」
「知ったことか。才能のある者には義務がある。才能のない者や道半ばにして立ち止まらざるを得なかった者たちの思いを背負う義務が。才能とは尊いものだ。それを無駄にするような奴を、俺は許せない」

 誠はまるで虫を見るような感情のない目でナキを見た。

「なんや偉そうに。気分わる。帰らせてもらうわ」

 不機嫌さを隠そうともせず、ナキは席を立つ。
 そのまま食堂を出ていこうとするナキの背中に、誠は言葉を放った。

「ナキ。お前の両手は、バイオリンは、そんなに簡単に捨てられるものなのか」

 ナキは一瞬立ち止まり肩越しにちらりとこちらを見たが、そのまま食堂を出て行った。
 2人の迫力にたじろいでいた私は、呆然としながらその背中を見送るしかなかった。

「……いいんですか?」
「ナキが真の音楽家なら必ず立ち直る。あれだけ言ってダメなら、ナキはそこまでの男だったということだ」

 悟ったようなことを言う誠に、私は正直反感を覚えていた。

 音楽を志すということがどういうことなのか、私には分からない。
 才能ある者の義務という誠の言い分もある程度は頷ける。

 でも、想い人への情念というものは、理屈ではないのではないだろうか。
 簡単に捨てられるものなのかという誠の問いかけに対して、ちらりと振り返ったナキの表情に私は確かに見た気がしたのだ。

(簡単に、な訳がないだろうって)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結済】監視される悪役令嬢、自滅するヒロイン

curosu
恋愛
【書きたい場面だけシリーズ】 タイトル通り

モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します

みゅー
恋愛
乙女ゲームに、転生してしまった瑛子は自分の前世を思い出し、前世で培った処世術をフル活用しながら過ごしているうちに何故か、全く興味のない攻略対象に好かれてしまい、全力で逃げようとするが…… 余談ですが、小説家になろうの方で題名が既に国語力無さすぎて読むきにもなれない、教師相手だと淫行と言う意見あり。 皆さんも、作者の国語力のなさや教師と生徒カップル無理な人はプラウザバック宜しくです。 作者に国語力ないのは周知の事実ですので、指摘なくても大丈夫です✨ あと『追われてしまった』と言う言葉がおかしいとの指摘も既にいただいております。 やらかしちゃったと言うニュアンスで使用していますので、ご了承下さいませ。 この説明書いていて、海外の商品は訴えられるから、説明書が長くなるって話を思いだしました。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~

こひな
恋愛
市川みのり 31歳。 成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。 彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。 貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。 ※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

悪役令嬢の生産ライフ

星宮歌
恋愛
コツコツとレベルを上げて、生産していくゲームが好きなしがない女子大生、田中雪は、その日、妹に頼まれて手に入れたゲームを片手に通り魔に刺される。 女神『はい、あなた、転生ね』 雪『へっ?』 これは、生産ゲームの世界に転生したかった雪が、別のゲーム世界に転生して、コツコツと生産するお話である。 雪『世界観が壊れる? 知ったこっちゃないわっ!』 無事に完結しました! 続編は『悪役令嬢の神様ライフ』です。 よければ、そちらもよろしくお願いしますm(_ _)m

俺が悪役令嬢になって汚名を返上するまで (旧タイトル・男版 乙女ゲーの悪役令嬢になったよくある話)

南野海風
ファンタジー
気がついたら、俺は乙女ゲーの悪役令嬢になってました。 こいつは悪役令嬢らしく皆に嫌われ、周囲に味方はほぼいません。 完全没落まで一年という短い期間しか残っていません。 この無理ゲーの攻略方法を、誰か教えてください。 ライトオタクを自認する高校生男子・弓原陽が辿る、悪役令嬢としての一年間。 彼は令嬢の身体を得て、この世界で何を考え、何を為すのか……彼の乙女ゲーム攻略が始まる。 ※書籍化に伴いダイジェスト化しております。ご了承ください。(旧タイトル・男版 乙女ゲーの悪役令嬢になったよくある話)

【完結】名前もない悪役令嬢の従姉妹は、愛されエキストラでした

犬野きらり
恋愛
アーシャ・ドミルトンは、引越してきた屋敷の中で、初めて紹介された従姉妹の言動に思わず呟く『悪役令嬢みたい』と。 思い出したこの世界は、最終回まで私自身がアシスタントの1人として仕事をしていた漫画だった。自分自身の名前には全く覚えが無い。でも悪役令嬢の周りの人間は消えていく…はず。日に日に忘れる記憶を暗記して、物語のストーリー通りに進むのかと思いきや何故かちょこちょこと私、運良く!?偶然!?現場に居合わす。 何故、私いるのかしら?従姉妹ってだけなんだけど!悪役令嬢の取り巻きには絶対になりません。出来れば関わりたくはないけど、未来を知っているとついつい手を出して、余計なお喋りもしてしまう。気づけば私の周りは、主要キャラばかりになっているかも。何か変?は、私が変えてしまったストーリーだけど…

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

処理中です...