上 下
25 / 89
婚約破棄後の公爵令嬢

こんな所で会うなんて

しおりを挟む
 レイナードがエルシオン領に来てから数日が経った。
 相変わらずレイナードは帰る素振りを全く見せず、これまた何故かサルトレッティ領へ戻らずに滞在しているオブライエン騎士団長に稽古をつけてもらっていた。


「何なのかしらね…」


 二人の様子を眺めていたナディアだったが、その隣でオルガが楽しそうな笑みを浮かべている。


「それはしょうがないですよ。だってお嬢様がこちらにいらっしゃるのに、騎士団長様が向こうへ戻る訳ないです」

「いやいや、領都を守る方が大切でしょう?騎士団長が戻らなかったら向こうが大変じゃない」

「大丈夫じゃないですか?何も優秀なのは騎士団長様だけではないですし」

「それはそうでしょうけど」


 何だか釈然としないが、頑なに帰ろうとしないのだから仕方がない。
 それに騎士団長が戻らないからと、一緒に来た騎士達も全員ここに残っている。エルシオン領には騎士団はないが、一応護衛兵士は配備している。だから戻って大丈夫だと伝えたのだが、ナディアを残して帰れないと言ってきかなかった。


「愛されてますよね、お嬢様は」

「いやいや、違うでしょ。絶対お父様の指示に決まってるわ」

「それも公爵様の愛ですね」

「いやもう…否定するのも面倒になってきたわ…」


 護衛兵士達の訓練所を騎士団も使う形になっているが、どうやらエルシオン領の護衛兵士達もサルトレッティ領の騎士団に憧れているようで、嫌がるどころか喜びまくっているのだ。


「これを機に、エルシオン領にも騎士団を作るそうですよ」

「…もう好きにして」


 どうせ領の運営には口出しする権利はないのだ。父であるフィリップがそうすると決めているのなら、それに従うしかない。オブライエン騎士団長が帰らないのも、ここの騎士団の編成や訓練等があるからと言うのも理由の一つだろう。
 間違っても自分の為ではないと思いたい。


「…ちょっと外出しようかしら」

「いいですね!ではお仕度します」


 実は先日エルシオン領の養蜂園で蜂蜜を使った化粧品とハンドクリーム、それに女王蜂の蜜で作った若見えのサプリメントを見せてもらったのだが、それがとてもいい品物だったのでクエントが予想以上に食いついたのだ。

 特にサプリメントは一つの巣から少量しか採れない女王蜂のみが食す事ができる特別な蜜を使っていて、モニターした30代と40代の女性が信じられないくらい若々しかった事から、貴族女性に高く売りつけようと張り切っていたのが忘れられない。
 当面はナディアの母であるサルトレッティ公爵夫人に使用してもらい、社交界で広めてもらう算段だそうだ。

 そうこうしているうちに準備は整い、ナディアはオルガを伴って馬車に乗り込む。
 護衛を数人連れての外出だが、そこは公爵令嬢なので仕方ないだろう。

 馬車を走らせること数十分でエルシオン領の街に到着する。
 今日街に来た目的は、書店で植物図鑑を買う事だった。


「植物図鑑なんて何をするんですか?」


 オルガが不思議そうに尋ねる。それをナディアは悪戯っぽく笑って見せ、手に取った図鑑を眺めながら答えた。


「このエルシオン領って農作物の生産が多いでしょ?他領にも随分卸してるんだけど、他の物も生産したらもっと領地が潤うかなって思って」

「あ、だから蜂蜜の化粧品やサプリメントを?」

「うん。でもそれだけだと養蜂園の人達しか儲からないでしょ?今度は農家の人達にも作れる他の何かがないか探そうと思ったのよ。エルシオン領って遊ばせてる土地も結構あるからね」

「じゃあ未管理の土地を領主として買い取るって事ですか?」

「そうよ。それと手付かずの土地は新しく開拓して、人を雇って何かを作ろうかなって」


 オルガに説明しながらも何冊かの植物の図鑑やら本やらを手に取り、どんどんと乗せていく。それをオルガが慌てて何冊か受け取り、一緒に店主のカウンターまで運んだ。

 会計を済ませて書店から出ると、侍従が購入した本を受け取って馬車に丁寧に積み込む。それを眺めながら周囲を見渡し、目についた屋台に向かってナディアが歩き出した。


「お嬢様?」

「ね、オルガ。喉乾かない?あの屋台で果実水が売ってるから買いましょうよ」

「それなら私が買ってきますよ。お嬢様はこちらのベンチでお待ちください」

「そう?じゃあお願いね」


 ここであまり意地を張って自分が買いに行くと言っても、オルガが絶対譲らないだろう。それが分かっていたナディアは素直にオルガの申し出を受け、ベンチに腰を下ろした。

 そして何となく視線を上げて空を眺めるように上を向いていると、フッと視界が急に陰る。驚く暇もなく、背後から覗き込むように見知った顔が視界に入ってきた。


「うわ、びっくりしたぜ。まさか本当に会えるとは」

「…っ!?え、ザ、ザクセン王弟殿下…!?」


 ベンチの後ろに立っていたエラディオが、ナディアを頭上から覗き込んでいる。それに驚いたナディアは思わず椅子からずり落ちそうになった。
 が、エラディオがすぐにナディアの前に回り込み、ニカッと笑顔を向ける。


「ようやく見つけたぜ、ナディア嬢。ジョバンニの予想は外れたな」

「え…?」


 何がどうなっているのか分からないナディアは、訝し気に首を傾げる。するとエラディオは全く躊躇する事なくナディアの隣に腰を下ろし、ベンチの背もたれに腕を回して近付いてきた。
 それを回避するようにナディアは反対側に仰け反る。チラリと周囲を見ると、一応エラディオの従者らしき人物が数人待機していたので、少しだけ安心したのだが。だがそれにしてもこの距離は近すぎると警戒しても仕方ないだろう。


「な、何ですか?突然現れて不躾ではありませんか」

「そりゃ悪かったな。けど随分探したんだ。ようやく見つけたんだからちょっとくらい許せ」

「意味が分かりません。というか、まさかジョバンニ殿下と一緒じゃないですよね?」

「ジョバンニ?ああ、アイツはエンストレーム領に向かったぜ。ナディア嬢は絶対そこに居るって言ってたが、俺はザクセンに帰るとアイツに言って別れてきた」

「そう…ですか」


 やはりジョバンニはエンストレーム領へ向かったのかとナディアは思った。
 エンストレーム領は母であるルディアがハンメルト侯爵から下賜された領地だ。商業施設も多く、旅人や商人が沢山訪れるにぎやかな領地だ。
 ジョバンニなら間違いなくナディアがそこに向かったと考えるだろうと思っていた。

 それなのに目の前のこの男は何故かエルシオン領に現れたのだ。


「…どうしてこちらにいらしたんですか?たいして面白い物もない田舎の領地ですのに」

「その前にナディア嬢、サルトレッティ領ですれ違っただろ?」

「え」

「あの目立たない馬車、ナディア嬢が乗っていたと予想したんだが」


 やはり気付かれていたようだ。
 あの時、一瞬だけ目が合ったのだ。もしかしたらとは思ったが気付かれていたのだろう。
 ナディアはフードを目深に被っていたので大丈夫だと思い込んでいたのだが、それは間違いだったようだ。


「あんな一瞬でよく分かりましたね」

「ん?そりゃあ…」


 そう言いかけてナディアをじっと見つめる。その視線にナディアが少々たじろぐと、エラディオはフッと目元を緩めた。


「あんたみたいな綺麗な瞳は滅多にねぇからな」

「え…」


 一瞬何を言われたのか理解できずにナディアが固まる。
 そして次の瞬間一気に照れがナディアを襲い、ブワッと顔が真っ赤に染まった。


「え」


 慌てて顔をそらすナディアを見つめていたエラディオが驚いたように目を丸くする。
 そして片手で口元を押さえると、こちらも少しだけ視線をそらしてポソリと小さくつぶやいた。


「何だよ、可愛いじゃねぇか…」


 エラディオの声はナディアに聞こえなかったようだが、予想外に初心な反応をするナディアにエラディオもどう対応すればいいのか戸惑っているようで。
 二人の間に妙な空気が流れて来たその時、果実水を買いに行っていたオルガが戻ってきた。


「お嬢様、そちらのお方はもしや…」

「オ、オルガ、お帰りなさい。あ、その…ザクセン王弟殿下と偶然会ったの…」

「ん?ああ、ナディア嬢の専属侍女か」


 オルガをサルトレッティ領で見た事があったエラディオは平然としていたが、まさかのエラディオとナディアが並んで座っている所を見たオルガはちょっとパニックになっているようだ。
 そこへナディアの付き添いで一緒に来ていた侍従が、「ここでは何ですから」とエラディオを屋敷に招待するよう助言してきた。

 ナディアにすれば余計な事をと言いたいが、実際は隣国の王族だ。こんなベンチで喋ってはいさようならと言う訳にはいかない。


「あの、よろしければうちで夕食でもご一緒しますか?」

「勿論喜んで行かせてもらうぜ」

「…ですよね」

「ん?何か言ったか?」

「いえ、何も」


 ニッと笑みを浮かべたエラディオを見てナディアも観念したように溜息をつく。
 よく考えたらレイナードに何と説明すればいいのだろう、なんて事を考えながら、エラディオを屋敷へ連れて行く事になったのだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

どうやら断罪対象はわたくしのようです 〜わたくしを下級貴族と勘違いされているようですが、お覚悟はよろしくて?〜

水都 ミナト
恋愛
「ヴァネッサ・ユータカリア! お前をこの学園から追放する! そして数々の罪を償うため、牢に入ってもらう!」  わたくしが通うヒンスリー王国の王立学園の創立パーティにて、第一王子のオーマン様が高らかに宣言されました。  ヴァネッサとは、どうやらわたくしのことのようです。  なんということでしょう。  このおバカな王子様はわたくしが誰なのかご存知ないのですね。  せっかくなので何の証拠も確証もない彼のお話を聞いてみようと思います。 ◇8000字程度の短編です ◇小説家になろうでも公開予定です

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

「婚約を破棄したい」と私に何度も言うのなら、皆にも知ってもらいましょう

天宮有
恋愛
「お前との婚約を破棄したい」それが伯爵令嬢ルナの婚約者モグルド王子の口癖だ。 侯爵令嬢ヒリスが好きなモグルドは、ルナを蔑み暴言を吐いていた。 その暴言によって、モグルドはルナとの婚約を破棄することとなる。 ヒリスを新しい婚約者にした後にモグルドはルナの力を知るも、全てが遅かった。

私が死んだあとの世界で

もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。 初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。 だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。

殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。 真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。 そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが… 7万文字くらいのお話です。 よろしくお願いいたしますm(__)m

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

【完結】小悪魔笑顔の令嬢は断罪した令息たちの奇妙な行動のわけを知りたい

宇水涼麻
恋愛
ポーリィナは卒業パーティーで断罪され王子との婚約を破棄された。 その翌日、王子と一緒になってポーリィナを断罪していた高位貴族の子息たちがポーリィナに面会を求める手紙が早馬にて届けられた。 あのようなことをして面会を求めてくるとは?? 断罪をした者たちと会いたくないけど、面会に来る理由が気になる。だって普通じゃありえない。 ポーリィナは興味に勝てず、彼らと会うことにしてみた。 一万文字程度の短め予定。編集改編手直しのため、連載にしました。 リクエストをいただき、男性視点も入れたので思いの外長くなりました。 毎日更新いたします。

処理中です...