王女キャスリーンの初恋

弥生紗和

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クラウスの屋敷

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 クラウスが暮らす港町ブルーゲートの屋敷の門の前で、レーヴェンハーツ騎士団が隊列を組んで立っている。

「これはレズリー王太子殿下、並びにキャスリーン王女殿下の命令である。ゴルトウェーブ家の主人マシューの次男、クラウス・ゴルトウェーブ。今すぐにこの男を引き渡して頂きたい」

 レーヴェンハーツ騎士団の上級騎士で、今回の作戦の指揮官であるアリスターが良く通る声で宣言する。固く閉ざされた門の前には執事エーゲルが立ち、少しも怯まずにアリスターを睨んでいる。

「クラウス坊ちゃまを引き渡す? 一体何の権限があって、騎士団は坊ちゃまを連れて行こうとするのです? 旦那様が留守の間に!」
「クラウスはデクスター国王陛下殺害に関与した容疑がある」

 エーゲルはフンと鼻で笑う。
「国王陛下を殺害……? 坊ちゃまがそんな大それたことをするとお思いか? それは何かの間違いでしょう。どうぞお帰りを」
「間違いではない。クラウスから依頼され、殺害に協力した者達の証言は取れている。さあ、早く連れてきなさい。さもないと我々は、力づくでクラウスを連れて行くことになる」

 証言と聞き、エーゲルの瞳に動揺が現れた。
「そ……そんな証言、でたらめに決まっています! 坊ちゃまはキャスリーン様との婚約式の準備で日々お忙しい。お父上であるデクスター陛下を殺害するなど、あり得ません」
「ふむ。クラウスがキャスリーン殿下と婚約したなどと吹聴しているとの噂は、どうやら本当だったようだな」
「噂などではございません。クラウス坊ちゃまは、キャスリーン殿下と愛を確かめあったと、確かに申しているのです」
 一歩も引かないエーゲルに、指揮官アリスターは眉をひそめた。
「クラウスを引き渡すつもりがないと言うのなら、こちらも強引に行かせてもらおう」
 アリスターの合図と共に、後ろの騎士が一斉に剣を抜いた。



「あー、始まったか。俺達も急ぐぞ」
 ルディガーは小さな望遠鏡を覗き込んでいた。その時、既にルディガーは裏口から忍び込み、屋敷をよじ登って屋根の上にいた。彼はユーリアールと二人の部下を連れている。
 門の外では、騎士団とゴルトウェーブ家の衛兵との小競り合いが始まっていた。

 ルディガー達は屋敷の内部を頭に叩き込んでいる。騎士団はクラウスの屋敷の見取り図を手に入れていた。ルディガー達は無言のまま素早く、屋根窓から屋敷の中に侵入した。



 豪華な屋敷の廊下は全て赤いカーペットが敷かれているので、足音が響きにくいのは幸いだった。廊下の壁には外国から仕入れたと思われる、大きな布製のタペストリーがいくつも飾られている。そして彼らの鼻をくすぐる不思議な匂い。廊下のテーブルに置かれた香炉からは、お香の魅惑的な香りが漂う。
 屋敷の中を慎重に進んでいたルディガーは、足を止めると後ろの部下を制した。彼の先には大柄な衛兵が二人いて、武器を持ち、ゆっくりと歩いている。

「私達が」
 二人の部下が名乗り出る。ルディガーが「頼む」と頷くと、二人の部下は先に飛び出した。

「うおっ……何だ、お前ら!」
 驚きながら応戦する衛兵達をすり抜けるように、ルディガーとユーリアールは走った。長い廊下を駆け抜け、一番奥にあるクラウスの部屋を目指す。

 クラウスの部屋の前には、見張りの衛兵が立っていた。ルディガーとユーリアールは物陰で様子を伺う。
「隊長、ここは私にお任せください。早くクラウスを!」
「頼むぞ、ユーリアール」

 ユーリアールは勢いよく飛び出した。



 ユーリアールが足止めをしている隙に、ルディガーは剣を構え、クラウスの部屋の扉を静かに開けて中に入った。

 そこはクラウスの部屋だ。入ってすぐの部屋はテーブルやソファが置かれていて、誰もいなかった。昼なのに重苦しいカーテンを閉め切り、部屋の中は薄暗い。ルディガーは背中に背負っていた盾を構え、奥の部屋に向かう。簡素な扉を蹴って開けると、そこはクラウスの寝室だった。ここも全てカーテンを閉め切っている。
 クラウスは寝室にいた。テーブルに置かれた蝋燭の光が、ベッドの脇に立っているクラウスの顔を怪しく照らしていた。

 クラウスは一人ではなかった。彼の前には怯えた表情の若いメイドの女がいた。クラウスはメイドの首にナイフを突き立て、女を盾にしていた。

 メイドの女のエプロンは下に落ち、黒のワンピースの袖は破れ、片腕があらわになっている。メイドの細い腕には赤黒いあざが出来ているのが見えた。
 震えるメイドの顔を見たルディガーは、頭に血が上った。
「クラウス! お前この期に及んでまだそんなことやってるのか!」

「おや、誰かと思えばキャスリーンの下級騎士か。一人で来るとは勇ましいねえ」
「そうだ、俺は一人で来た。お前と二人で話したい。だからそのメイドを今すぐ離してやれ」
 ルディガーはゆっくりと、剣を構えながらクラウスに近寄る。

「だったらその剣と盾をこっちに寄越せ。そうしたらこの女を離してもいい」
「……分かった。こうだな?」
 ルディガーはゆっくりと剣と盾を床に置き、足で蹴った。

「はははは! お前は本当に愚かな男だな!」
 クラウスは笑いながら、メイドの首に当てたナイフをますます押し付けた。
「俺は約束を守ったぞ。早く離してやれ!」
 思わずルディガーがクラウスに怒鳴ると、クラウスは目を吊り上げた。

「俺に、指図をする気か!? お前は何様なんだ!」
「落ち着け、クラウス。キャスリーン様はお前を王宮に連行しろと命じた。何故こうなったのか、理由は自分で分かってるな? 変なことを考えずに、大人しく俺と一緒に来い」

「キャスリーン様、か。キャスリーン様、キャスリーン様!」
 クラウスの瞳には狂気が宿っていた。ルディガーは思わず息を飲む。

「キャスリーンが命じたから、お前はここに来たと言うのか。キャスリーンの命令ならば、お前は何でも言うことを聞くんだなあ? キャスリーンが脱げと言ったらお前は脱ぐのか?」
 クラウスはルディガーに下品な笑みを向け、彼を挑発している。ルディガーはぐっと拳に力を込め、クラウスを睨む。

「そうだ。俺はキャスリーン様が脱げと言ったら脱ぐし、踊れと言ったら一晩中でも踊ってやる。でもキャスリーン様は絶対にそんなことは命じない。あの方を侮辱するな」
 ルディガーの迫力に、一瞬クラウスは怯む様子を見せた。

「キャスリーン様は俺の汚れた包帯を交換し、傷口を綺麗に拭いてくれた。キャスリーン様はそういう人なんだ。お前が汚していい存在じゃない」



──初めてキャスリーンとルディガーが出会った、十年前のあの剣技大会。
 大怪我を負ったルディガーを、キャスリーンは毎日見舞っていた。

「今日は私が包帯を変えます。腕を出しなさい」
 精一杯大人ぶり、すました顔でキャスリーンはルディガーに手を差し出した。
「はあ……でも……」
 困った顔で、ルディガーは後ろに立つ看護師を見上げた。
「キャスリーン様は、覚えたことを試してみたくて仕方がないのですよ」
 看護師はやれやれ、と言いたげな顔で笑っている。
「それじゃあ……お願いします」
 ルディガーがおずおずと腕を差し出すと、キャスリーンは包帯を外し始めた。痛々しい傷痕を見てもひるむことなく、彼女は真剣だった。水で濡らした布で、傷の周りを丁寧に拭いた。
「次は……」
 真剣な表情で、今度は薬を傷口に塗布する。痛みに思わずルディガーが「いっ……」と顔を歪める。

「我慢しなさい」
「すいません」

 その次は包帯を巻く番だ。キャスリーンの巻き方は不慣れで、ものすごく時間がかかった。
「……これで良し。終わりました」
 キャスリーンはふう、とため息をつき、顔を上げた。
「ありがとうございます、キャスリーン様。包帯を巻くのもお上手ですね」

 ルディガーはキャスリーンに微笑んで見せた。するとキャスリーンの顔が急に真っ赤になった。キャスリーンが動揺している顔をみたルディガーもなんだか恥ずかしくなり、思わず目を逸らした。

「で……では、私は戻ります。明日もまた来ます!」
 キャスリーンはそそくさと病室を出て行ってしまった。

 ルディガーはキャスリーンの巻いた包帯を見つめた。包帯は緩く、とても綺麗とは言い難い出来だった。それでも、ルディガーは嬉しそうに包帯を見ていた。
 それからも毎日、キャスリーンはルディガーを見舞い、包帯を変え続けた。傷の具合が良くなる頃には、キャスリーンの手当てはすっかり上手になったのだった──



「なるほど、お前とキャスリーンの絆はそれほど深い、と俺に言いたいわけだな?」
 クラウスは口を横に大きく開き、目をらんらんとさせている。
「キャスリーン様はそれほど素晴らしい方だと言いたいだけだ。お前の夫には相応しくない」

「だがお前には止められないぞ! お前が何と言おうとも、俺の妻はキャスリーンだ。お前がキャスリーンにどんなに恋焦がれようと、下級騎士のお前はキャスリーンと結婚できない。お前がキャスリーンを想いながら他の女で孤独を癒している時、この俺はキャスリーンを四つん這いにさせてやるのさ。何故なら俺がキャスリーンの夫だからだ!」

「それはできないぞ。お前は俺に捕らえられ、王宮に引き渡される。お前の処刑の日に、見物に行くくらいはしてやるよ」
 ルディガーの声が低くなる。もうルディガーの怒りは抑えられない。丸腰のまま、ルディガーはクラウスに近づいた。

 その時、突然クラウスはそばにあった蝋燭を持ち、カーテンに火をつけた。
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