王女キャスリーンの初恋

弥生紗和

文字の大きさ
上 下
13 / 25

狩猟

しおりを挟む
 キャスリーンの今日の服装は、いつもと違っている。
 長い金色の髪は一つにまとめられ、すっきりとしている。真っ白なブラウスに黒のベスト、同じ色のパンツに膝まであるブーツを身に着けている。

 今日は父の誘いで王宮から離れ、森で狩猟を行う。弓の名手である父デクスターは、たまにこうして狩りに出かける。キャスリーンも弓は得意なので、時々父のお供をするのだ。

 だが今日の狩りはいつもと違う。今日はクラウスも狩りに同行するとのことなのだ。父とクラウスは狩りの趣味が同じということもあり、二人はとても気が合っているようだった。

 半年ほど前、外国の賓客を招いた晩餐会で一度キャスリーンはクラウスと会っている。航海が長引き晩餐会に間に合わない父と兄の名代で、晩餐会に初めて出席したと聞いていた。その時は挨拶だけで、言葉の違う賓客の通訳をしていたキャスリーンは、その後クラウスと接触することはなかった。

 その後クラウスがキャスリーンを妻にしたいと言っているという噂を聞いたデクスターは、クラウスが結婚相手の候補に上ることすらないときっぱり言っていた。我が娘にクラウスは相応しくないと、鼻で笑ってさえいたのである。

 それが今や、二人はまるで長い付き合いの友人のように仲がいい。クラウスが王都に滞在している間、二人は毎日のように会っているようだ。

 今日は狩りの後、近くの別荘に泊まる予定だ。侍女達は朝から荷造りで大騒ぎである。

(ルディガーがいない時に、あまり遠出はしたくないのだけど)

 キャスリーンは窓の外を見つめながらため息をついた。


♢♢♢


「陛下! お見事です!」
 デクスターは上機嫌だ。見事野鳥をしとめたデクスターの腕を、側近達が一斉に称賛している。

 ここは王都から北にある森林。近くにはデクスター王の別荘があり、王族が狩りを楽しむ場所となっている。

「お父様、今日は調子がいいですね」
「今日も、だろう? キャスリーンはさっぱりだな! このままだと今日は小さな肉一切れしか食べられんぞ! しっかりせんか」

 実際、キャスリーンは調子が悪かった。弓で狙いを定める度に、クラウスがじっとりと嫌な視線をキャスリーンに送ってくる。その度にキャスリーンは嫌な気持ちになるのだ。

「疲れているのかもしれません。私はちょっと休憩してきます」
 キャスリーンは抱えている弓を下げ、弓矢を弓筒に戻した。
「待て、休憩すると言うのなら、クラウスと散歩でもしてきたらどうだ? 近くの湖でも見てくるといい。綺麗な風景を見れば疲れも取れるだろう」
 思わず顔を歪めそうになるのを必死で抑えつつ「いえ、散歩は結構です。休みたいので」と告げて歩き出そうとするキャスリーンの前に、クラウスがにやけた顔で立ちはだかった。

「よろしかったら、私と一緒に歩きませんか?」
 キャスリーンの顔を無遠慮に覗き込むクラウス。
「キャスリーン、行ってきなさい。クラウスが誘っているのだぞ」
「お父様!」
 怒りの表情をデクスターに向けるが、デクスターは笑いながらも目は真剣だ。仕方ない、とため息をつき、キャスリーンはクラウスと散歩に出かけることになった。



 森の中にある小さな湖は、静かでとても美しい。まるで絵画のような風景でとてもロマンチックな場所だが、彼女の隣に立っているのは、あのクラウスである。

「いやあ、驚きました。まさかこんな素晴らしい場所があったなんて!」
 まるで子供のように目を輝かせているクラウスを、キャスリーンは意外な気持ちで見ていた。

(この人にもこういう一面があるんだわ)

「湖に木々が映りこんでいるのが美しい! 私は海しか知らないものですから、こんな鏡のような静かな湖があるなんて知りませんでしたよ!」
 クラウスは湖に手を入れて広がる波紋を楽しんでいた。その姿は幼い少年のようで、女性に暴力を振るう恐ろしい男の噂とは正反対である。

「私は海というものが恐ろしく感じます。昔、海には恐ろしい人魚がいると聞いたことがあります……足を引っ張って海に引きずり込むとか……」
 キャスリーンは幼い頃、乳母に聞いたおとぎ話を口にした。するとクラウスは大声で笑う。
「それはただの伝説ですよ! 海は素晴らしいですよ。私は幼い頃から海を怖がらなかったそうです。そうだ、キャスリーン様。今度港町ブルーゲートに遊びに来ませんか? 町を案内しますし、あなたに美しい海を見せたいんだ」
 濡れた手をハンカチで拭いながら、クラウスはキャスリーンに近寄る。
「……ええ、いずれ是非」

 社交辞令で答えながら、ちらりとキャスリーンは後ろに目をやる。少し離れた場所に侍女のマージェリーと護衛の上級騎士が立っているから、とりあえず二人きりの状況は避けれらている。だがクラウスが必要以上に近づいてくるので、キャスリーンの不安な気持ちは消えなかった。

「そう言えば、今日はあの騎士は来ていないのですね?」
「あの騎士、とは?」
 クラウスは意味ありげに微笑み、更にキャスリーンに近づいてきた。思わずキャスリーンは一歩後ろに下がる。
「先日夜会にいたでしょう。あなたのそばに立っていましたね。女性達の視線を集めていて、目立っていたあの彼ですよ」

「……ああ、彼は私の護衛ではありませんので、王宮にいるはずです」
 キャスリーンは咄嗟に嘘をつく。ルディガーの動きを探られたくないと思ったのだ。
「そうですか。てっきりあなたの護衛だと思っていましたよ。夜会で見たあの制服は下級騎士のもの。不思議ですね、あなたのような方が下級騎士などをそばに置くとは」

「彼は確かに下級騎士ですが、立派に任務を果たす騎士です。階級は関係ありません」
 少しむっとして、キャスリーンは言い返した。
「素晴らしい! どんな立場の人間にも等しく接する……それでこそ王家の姫君。さすが、私が恋した女性です」
 クラウスはやけに大げさにキャスリーンを褒めたたえた。その言い方が嫌味に感じたキャスリーンは眉をひそめる。

「ですが……あのような者をそばに置くのは、心配ではありませんか? キャスリーン様にいつか迷惑をかけるかもしれませんよ」
「どういう意味でしょう? 彼は真面目な男です。ご心配なく」
「真面目な男ですか!」
 突然クラウスは吹き出した。キャスリーンはその態度に首を傾げる。

「実は、彼のことを少し調べさせました。とても魅力のある男のようですねえ……女性との噂は絶えないようで」
「私の騎士を勝手に調べたのですか?」
 キャスリーンの表情が厳しくなった。
「どんな男か気になったのですよ。未来の妻の横に、得体のしれない男がウロウロしているんですから、そりゃ気になるでしょう」
 クラウスはククッと喉を鳴らした。

「聞けば王宮の使用人の若い女とは殆ど関係を持っているとか。いやあ、もてる男は羨ましいですね」
「その噂はどこから聞いたんです?」
「アハハ! 怖い顔をしないでくださいよ、キャスリーン様。みんな彼の噂してます」

 キャスリーンの脳裏に、ルディガーの部屋にあった地味な髪飾りが浮かんだ。そして調理場にいた地味な顔立ちの女のことも。

「彼の任務以外でのことは、私は関知しません」
 動揺を悟られないよう、キャスリーンは両手を身体の前で組んだ。
「しかし、女にだらしのない男は、いつか問題を起こしますよ? 私は彼を、あなたから遠ざけるべきだと思いますけどね」

 これを言う為に、この男は私を散歩に誘ったのだとキャスリーンは思った。組んだ両手に力が入る。

「彼の主人は私です。彼をどうするか、決めるのは私です。ご忠告には感謝します」

 目を逸らさずにきっぱりと言い切るキャスリーンの姿に、クラウスはますます目を細め、にいっと口を大きく横に開いた。
「あなたは本当に素晴らしい方だ、あなたのことをもっと知りたくなりましたよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

人質同然だったのに何故か普通の私が一目惚れされて溺愛されてしまいました

ツヅミツヅ
恋愛
異国の王国に人質として連れて行かれた王女・レイティア。 彼女は政治的な駆け引きの道具として送り込まれたはずだったが、なぜかその国の王であるアナバスから異常なまでに執着される。 冷徹で非情な王と噂されるアナバスは、なぜレイティアに強く惹かれるのか? そして、王国間の陰謀が渦巻く中、レイティアはどのように運命を切り開いていくのか? 強き王と穏やかな王女の交錯する思いが描かれる、「策略と愛が交錯する異国ロマンス」。 18Rには※がついております

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

あなたが残した世界で

天海月
恋愛
「ロザリア様、あなたは俺が生涯をかけてお守りすると誓いましょう」王女であるロザリアに、そう約束した初恋の騎士アーロンは、ある事件の後、彼女との誓いを破り突然その姿を消してしまう。 八年後、生贄に選ばれてしまったロザリアは、最期に彼に一目会いたいとアーロンを探し、彼と再会を果たすが・・・。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

処理中です...