王女キャスリーンの初恋

弥生紗和

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魔法使い

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 王女キャスリーンの朝は早い。
 早朝から騎士団の訓練場へ行き、弓の訓練をする。キャスリーンは弓が得意だ。父のデクスターも弓の名手として知られる。父譲りの弓の腕を磨いた後、愛馬の手入れに行く。艶のある黒毛に丁寧にブラシをかけ、時には軽く乗馬を楽しむ。
 それが終わった後、風呂に入って着替えだ。着替えが済んだら簡単な朝食を済ませ、昼食まではチェロやダンスの稽古をしたり、語学や歴史を学んだりする。
 そしてようやく昼食の時間だ。今日は週に一度、王太子夫妻も一緒に家族で昼食を取る日だ。キャスリーンはこの後の退屈な時間を想像し、ため息をつきながら向かった。



「キャスリーン、明日は剣技大会だが、忘れてはいないだろうな?」
「もちろんです。行くのは私とお父様だけでしたね?」
「そうだ。レズリーもカリーナも、剣技大会にはまるで興味を持たんからな。たまには一緒に行こうと言っているんだが」

 レズリーはデクスターの長男で、キャスリーンの兄だ。次の国王となる彼は王太子という立場だが、気が弱くどうにも頼りない。王太子妃のカリーナは夫と真逆の派手好きで気が強い性格だ。二人が剣技大会を嫌がるのは、恐らくカリーナの意見だろう。ちなみに王妃エレノアも、他国に嫁いだキャスリーンの二人の姉も、野蛮なのは嫌だと言ってやはり剣技大会には一度も行ったことがない。

「申し訳ありません、父上。カリーナは少し体調が良くないようで……」
 気まずそうに謝るレズリーの隣に座るカリーナは、涼しい顔だ。
「ええ、そうなんですの。申し訳ありません、陛下」
「私の風邪がうつったのかもしれませんね。お大事に、カリーナ」
 王妃エレノアがカリーナに微笑むと、カリーナは少し気まずそうに「お心遣い、感謝しますわ」と答えた。

「風邪ならば仕方ないな」
 デクスターは苦笑いをしながら、キャスリーンにちらりと視線を送った。二人が断るのはいつものことなので、デクスターの表情はやや諦め気味である。その後はカリーナが最近お気に入りの音楽家の話や、デクスターの自慢話を聞きながら、キャスリーンは退屈そうに食事を進めていた。

「先に戻ります」
 話を一通り聞き終わった後、キャスリーンはすっと席を立った。
「もう戻るのか、キャスリーン。もう少しゆっくり食事をしたらどうだ? まだデザートも来ていないのだぞ」
「ジャーロー国の言葉をもう少し勉強しておきたいのです。あの国の言葉はどうにも難しくて。では、失礼」
 せっかちな娘を、やれやれと言いたげな顔でデクスターが見送った。


♢♢♢


 デクスター王の眼下では屈強な男が二人向かい合い、お互いに剣と盾を構えて睨み合っている。

 ここは王都の城下町にある試合場である。円形の試合場を取り囲むようにぐるりと客席が階段状に置かれ、最も見晴らしのいい場所にこの大会の主催者であるデクスター王と、その娘キャスリーン王女が座っている。

 デクスターは剣技大会が大好きだ。いつも思いついたように大会を開いては、まるで子供のように目を輝かせ男達の戦いを楽しんでいる。

「今日は誰が優勝するとお考えですか? やはりお父様お気に入りの『ジョナス』でしょうか?」
「勿論だ、彼が勝つに決まっている。キャスリーン、お前は誰が勝つと思う?」
「私もジョナスだと思います。彼の強さは、他の騎士と比べても抜きんでています」

 試合場では男達の剣と剣がぶつかり合う音が響き、その度にどよめきと歓声が沸き起こる。ジョナスは下馬評通り勝ち上がり、場内は大盛り上がりだ。



「ほう、ほう……あの若者、なかなか見込みがありそうですな」

 不意に声がしてデクスターは横を見た。そこには黒いローブを着た老人の男が笑顔で立っている。
「何だ、お前。なぜここへ? おい、こいつをなぜここへ通した」
 デクスターは驚いて後ろの騎士に怒鳴った。
「は……陛下がお呼びになったのでは」
 護衛の騎士は不思議そうな顔をしている。

「何だと、私はそんなこと一言も……」
「まあ、まあ、良いではありませんか。今日は剣技大会の日。大勢の観客達と共に楽しむ日なのですから。陛下はジョナスと言う騎士がお気に入りだとか」
 老人はニヤリと笑った。

「なぜそれを知っている」
 デクスターは困惑し、隣のキャスリーンと目を合わせた。キャスリーンは無言で首を振る。

「申し遅れました。私の名はバルタと申します。各地を放浪しているしがない占い師でしてね。試合場で私の占いを欲しがる者は後を絶ちません。理由はご存知でしょう?」
 老人はバルタと名乗った。皺だらけの顔に震える手元は、いかにも弱々しい。

「……ふん、誰が勝者か賭けているということだろう? 民衆にはほんのささいな娯楽だよ」
「おっしゃる通りでございます。彼らの一番人気は陛下のお気に入りのジョナスという若者……。しかし、勝者は彼ではないでしょう。今試合をしている『カイル』という若者が勝つでしょうね」

 デクスターはちらりと視線をバルタに向けた。
「ほう? お前の占いはそう出たと申すか。だが私は占いなど信じぬ。この国で信じられるのは私と、私の家族だけだ」
「左様ですか。それでしたら私の出番はないようです。試合を楽しんでいる中、陛下の邪魔をして申し訳ありませんでした。それでは……」
 バルタはうやうやしくお辞儀をすると、踵を返して去って行った。



 剣技大会は最後の決勝戦を迎えていた。一方は一番人気のジョナス、そして対戦相手はカイルである。
 場内の興奮は最高潮だった。ジョナスが優勝するのに賭けている者達は余裕の表情だ。

 試合が始まり、激しく男達は剣を振るい、盾で弾く。
 カイルの健闘に、余裕の表情だった観客達が焦りだす。カイルは次々と有効な攻撃を浴びせ、次第にジョナスは後ずさりしだした。カイルの目はらんらんと輝き、ジョナスはその姿に怯む様子を見せる。

 とうとうジョナスは膝をつき、立ち上がれなくなった。カイルはその段階になってもまだ、ジョナスに攻撃を加えようとする。審判は慌てて試合を止め、勝者を高らかに宣言した。

「優勝は、カイル!」
 場内はものすごい興奮と、怒号に包まれて大混乱だった。

「……お父様、カイルが勝ちましたね」
 キャスリーンは驚いた顔でデクスターの顔を見た。
「……ああ」
 デクスターは呆然と呟き、チラリとバルタが去って行った方角に目をやった。


♢♢♢


 剣技大会が終わりしばらく経ったある日のこと。王宮の中を我が物顔で歩き回る、バルタの姿を見たキャスリーンは眉をひそめた。

「どういうことなの? あの占い師が王宮に入っているわ」
 キャスリーンはバルタの後ろ姿を見ながら、隣の侍女に小声で尋ねた。

「キャスリーン様。あの者は陛下が王宮に入れたのです」
 侍女も小声でキャスリーンに返す。
「お父様が? 今まで占いなど気にも留めなかったのに、どうして……」
 キャスリーンは立ち止まり、しばらく考え込んでいた。
「キャスリーン様?」
 侍女が尋ねると、キャスリーンは突然歩いていた方向と逆に向かって歩き出した。

「キャスリーン様、どちらへ?」
「人に会う用を思い出しました。ここから先は一人で向かいます」
 足早に去っていくキャスリーンを、侍女はため息交じりに見送った。


♢♢♢


 王宮の中には魔法使い達が仕事をしている場所がある。
 外れにある北の塔には、デクスターが仕事を与えた魔法使いが暮らしている。住むところを追われた魔法使いをデクスターは王宮に住まわせた。魔法使い達はレーヴェンハーツ家の為に働くことを誓い、様々な薬や「使い鳥」と言う遠方と連絡が取れる魔法具を開発したりしていた。

「……キャスリーン様!」

 北の塔に突然訪ねてきたキャスリーンを、驚いた魔法使い達は慌てて出迎えた。
「手を止めなくて結構。グレンを訪ねました。彼はいますか?」
「は……上の部屋にいるはずです」
「ありがとう。作業を続けてください」
 キャスリーンは塔の螺旋階段を早足で上り、グレンの部屋を目指した。

 魔法使いグレンの部屋はそれほど広くないが、作業用の机にテーブルに仮眠用のベッドと、一通り揃っていた。彼はまだ若いものの、魔法の才能は北の塔で一番と言われている。キャスリーンはグレンの才能を買い、ルディガーと同じように自分の手伝いをさせているのだ。

 グレンは作業の手を止めると、キャスリーンに椅子を勧めた。キャスリーンは「結構です」と断ると、早速話を始めた。
「グレン、知っていますか? 最近王宮にやってきた占い師バルタのことです」
「ええ、噂になっているようですね。なんでも陛下のお気に入りだとか」
 キャスリーンの表情が曇る。
「お父様は占いを信じません。なのに簡単にあの占い師を王宮に入れることになったのは、剣技大会で試合の結果を予言したからでしょう。私はどうも胸騒ぎがします」
「ルディガーは何と言っていますか?」
「それが……ルディガーは再びブルーゲートへ行っていて、ここにはいません。使い鳥をいくつか取りにきました。これから使う頻度が増えそうなので」
「かしこまりました。すぐにお持ちします」

 すぐにグレンは机の引き出しから「使い鳥」をいくつか持ってきた。それは一見してただの紙であるが、これには秘密がある。

「助かります。それでグレン、あなたにもう一つお願いがあるのですが」
「はい、何でしょう?」
「占い師バルタについて、何か分かったら教えて欲しいのです」
「かしこまりました。それでは古い友人に尋ねてみましょう」
 グレンは胸に片手を当て、敬礼のポーズを取った。グレンはルディガーと年が近いが、若い頃から落ち着いていて、しっかりした若者だ。キャスリーンは「頼みます」とグレンに告げ、部屋を出た。

 北の塔を出たキャスリーンはその後すぐに自分の部屋に戻り、机の上で使い鳥の紙を開く。
 慣れた様子ですらすらと手紙を書き終わると、それをくるくると筒状にして、紐で縛る。すると紙がぱあっと光り、形を変えて白い海鳥のような生き物になった。

 これが「使い鳥」である。使い鳥は宛先の人物しか開くことができず、読み終わったら消えてしまう。秘密のやり取りにはぴったりの連絡手段で、北の塔の魔法使い達が開発したものである。

 バルコニーに立ち、キャスリーンはそうっと使い鳥を放した。白い海鳥は空高く舞い上がり、港町ブルーゲートがある、ブラックシー地方へと真っすぐに飛んで行った。
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