王女キャスリーンの初恋

弥生紗和

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幼い王女と騎士の出会い

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 青い海に面した美しい国「アズールマーレ」王国の王女、キャスリーンは当時十二歳だった。

 幼いながらも聡明な彼女は、意見を堂々と父であるデクスター王に言う。大人を前にしても物怖じしない性格と、何でも吸収する頭の良さが彼女には備わっていた。デクスターは末娘である彼女をとても大事にしていて、彼女が幼い頃から色々な場所へ連れて行ったり、沢山の話を聞かせたりした。

 それでもさすがにデクスター王の趣味である剣技大会には、まだ可愛い末娘を連れて行こうとはしなかった。
 好奇心旺盛なキャスリーンが、それをいつまでも我慢しているはずはない。何度も何度も父に訴え、とうとう根負けしたデクスターは、初めて娘を伴って剣技大会に向かったのである。

 剣技大会は、王都のレーヴェンハーツ騎士団に所属する騎士達が剣を交える娯楽だ。国王が主催し、多くの観客が集められる。試合は模擬剣で行われるので、死人が出ることは滅多にない。気軽に楽しめる娯楽として、アズールマーレ王国では人気だった。
 幼いキャスリーンは、初めて見る騎士達の戦いに興味津々だった。ただの娯楽とは言え、国王の前で素晴らしい戦いを見せれば、沢山の褒美がもらえる。その為騎士達は皆真剣そのものだ。

 だが次の試合に出てきた男はどうにも様子がおかしかった。その男はまだ若く、体は痩せていた。
彼はオドオドした様子で試合場を見回している。円形に囲まれた観客席に座る者達はすっかり興奮状態で、唾を飛ばしながら痩せた若者をはやし立てている。

 そしていざ試合が始まると、痩せた男がろくに戦えないのは一目瞭然だった。一応武器を構える姿は様になっているものの、とても剣技大会に出場する腕を持っているようには見えない。

 対戦相手は痩せた男よりも体は大きく、まるで岩のような筋肉を持っていた。この二人の戦いが勝負にならないのは、幼いキャスリーンにもすぐに分かった。
 キャスリーンの隣に座るデクスター王は、へっぴり腰で戦う痩せた男を見て大笑いしている。王の周りにいる側近達も同様に笑っていた。

 キャスリーンは彼らの姿を見て、なんだか嫌な気分になった。観客達も皆、痩せた男の滑稽な姿に笑い転げているのだ。

 痩せた男はやがて防戦一方になり、とうとう兜が吹っ飛び、顔があらわになった。痩せた男はまだ幼さの残る少年だった。相手の男はそれでも容赦せずに剣で少年を叩き続け、地面に倒れこんだ所を頑丈なブーツで蹴り上げる。

「お父様、もうやめさせて。あの人はもう戦えないでしょ?」
たまらずにキャスリーンは隣の父に訴えた。
「どうしても勝てないとあの男が思うなら、降参すればいいだけのことだ。見ろ、あの男はまだやる気のようだぞ」
 デクスターの指さした先をキャスリーンが見ると、少年はふらふらになりながらも再び立ち上がり、剣を構えたのだ。
 相手の男はふてぶてしく笑みを漏らすと、盾で若者を軽々と突き飛ばした。再び少年は地面に倒れる。客席がどっと笑いに包まれた。

「もうやめなさい! この試合は終わりです!」
 キャスリーンは甲高い声を張り上げて立ち上がった。デクスター王の娘が思わぬ言葉を発したことに、周囲は驚き一斉に彼女に視線が集中する。

 海の色のような透き通った青い瞳を潤ませ、ふわふわと輝く金髪を揺らし、とても可愛らしい顔をした少女が、怒りに震えていた。
 キャスリーンは自分の白いハンカチを取り出すと、試合場に思い切り投げ込んだ。

「キャスリーン! 何をする!」
 デクスターは慌てて娘を叱った。

 彼女のハンカチはひらひらと、試合場の中に舞い落ちる。それはまるで一羽の美しい蝶が舞い降りる姿のようだった。

「ハンカチを投げ入れたら、試合は終わるのでしょう? なら今すぐに終わらせて!」
 キャスリーンの張りのある声が試合場に響きわたった。試合のルールとして、勝負がつかない場合、デクスター王が胸元に飾っているスカーフを投げ入れるというものがある。そのことを幼いキャスリーンはちゃんと知っていたのだ。
 少年は倒れたまま動かない。試合がもう続行不能なのは誰が見ても明らかだった。

「……仕方あるまい。試合は終了だ」
 デクスターは苦々しい顔で告げた。


♢♢♢


 キャスリーンは侍女と共に、王宮にある騎士団の診療所を訪れた。ここは普段王族が出入りするような場所ではない。
 思わぬ来客に診療所の医師や看護師達は驚き、困惑するまま彼女をある病室へと案内した。
 その部屋にはベッドが六つあった。奥にあるベッドに寝かされていたのはあの少年だった。あちこち包帯だらけで血が滲んでいる。かなりの大怪我をしているようだった。

「怪我の具合はどうですか?」
 キャスリーンは少年に声をかけた。目を閉じていた少年はその声に気づき、声の主に気づくと驚いて起き上がろうとした。
「……キャスリーン王女! な、なんでこんな所に……あいててて」
 少年は痛みに悶絶していた。
「動かないで。あなたは大変な怪我をしたのでしょう?」
「は、はあ……申し訳……ありません」
 少年は痛みをこらえながら再び横になった。

「あなたの名前を聞きに来ました」
 キャスリーンの質問に、少年は目を丸くした。
「俺の名を聞きに……? なぜ知りたいのか分かりませんが、俺の名前はルディガーと言います。レーヴェンハーツ騎士団に入って三年になります」
「ルディガー。なぜあなたはあの剣技大会に出たのですか? あなたは下手で、戦いに向いていると思えません」
 キャスリーンはずけずけと物を言う。ルディガーは困惑気味に渋々語った。

「それは……王女様にこんなことを言っていいのか。俺は下級騎士だし、剣の腕はいまいちだし、生意気だと上官には睨まれるし、つまり鼻つまみ者だってことです。今日だって剣技大会の手伝いだと言われてあの試合場に行ったら、いつの間にか鎧を着させられて……」
「それは、無理矢理出場させられたということですか?」
 キャスリーンは眉をひそめる。

「まあ、そうですね。俺が馬鹿でした。でもいいんですよ、もう試合は終わりましたし、こうしてまだ生きてます」
 ルディガーはとぼけた口調で言い、大きく腫れあがった顔で無理に笑顔を作って見せた。
「どうして怒らないのですか? あなたは騙されたのです」

「俺みたいな他に行くあてのない男は、たとえどんな扱いを受けようと、騎士団を出るつもりはないってことですよ」
 ルディガーは痛みに顔を歪めながら言った。

 キャスリーンは改めてルディガーをまじまじと見つめた。痩せていて剣の腕はからきしだが、王女である自分を前にしても動じないそのふてぶてしさに、彼女は興味を持ったのだ。顔中傷だらけで瞼は大きく腫れあがり、元の顔立ちが分からないほどだったが、緑がかった薄い瞳の色は、思わず見入ってしまいそうなほど美しかった。
 ルディガーは痛みをこらえながら少し起き上がると、キャスリーンに向き直った。

「キャスリーン様。あなたがハンカチを投げ入れてくれたおかげで、俺は助かりました。俺はきっとあの場で殺される所だったんです。審判は少しも止めようとしなかった。あなたは……命の恩人です」
 言い終わるとルディガーは胸に手を当て、キャスリーンの顔を見つめた。

「助けてくれたお礼は必ずします。今度はあなたのことを必ず守ると、約束します」

 キャスリーンはぼんやりとルディガーを見つめていた。彼女の周りにいる男達とはまるで違う雰囲気を持つルディガーに、キャスリーンは目を離すことができなかった。

 まだ幼い彼女には、それがルディガーの男性としての魅力だということに気づくはずもなかった。
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