上 下
55 / 71
聖女の矜持編

出発前夜・3

しおりを挟む
 夜も更けた頃、ブラッドは自分の部屋の中でずっと落ち着かない様子だ。

 椅子に座ったり立ったり、ベッドに腰かけてみたり、棚からワインとカップを二つ取り出してテーブルの上に置いた後、首を傾げてまた棚に戻したりしていた。

 その時、部屋の扉をノックする音がしてブラッドは慌てて立ちあがり、扉に向かった。就寝前なので彼はラフなシャツ一枚だ。シャツの襟を立て、髪を撫でて軽く整え、ふうっと息を吐くと覚悟を決めたように扉を開ける。



 扉を開けた先にいたのは、ワインを抱えたエリックだった。
「ブラッド、何だか眠れなくてさ。ちょっと一杯つきあってよ」

 ブラッドは大慌てでエリックを部屋に入れないよう、立ちふさがる。
「いや、俺は飲まないから別の奴を誘えよ」
「何でだよ。いいじゃない、一杯くらい」
 エリックは強引に部屋に入ろうとする。ブラッドは焦りながらエリックをなんとか引き止める。

「今日は気分じゃないんだ。ほら、他の奴の部屋に行け」
「どうしたんだよ。いつもならつきあってくれるのに……ん?」
 エリックは急に鼻をくんくんとさせた。

「あれ? ブラッド。ひょっとして香水つけてる?」
 ブラッドはますます動揺した。
「俺だって香水くらいつけるさ。いいからほら、もう帰れ……」

 エリックは必死に止めるブラッドをすり抜けて、部屋の中に強引に入ってしまった。
「……はあ。一杯だけだぞ? 飲んだらすぐに帰れよ?」
「分かってるって。なんでそんなに早く帰そうとするのさ」
 エリックはぼやきながら、棚からカップを二つ取り出してテーブルの上に置き、ワインを注いだ。

「今夜は僕につきあってよ。ちょっと飲みたい気分なんだ」
 エリックはしんみりとしながら、ワインをぐいっと飲んだ。ブラッドは渋々テーブルに着き、カップを口に運ぶ。
「何かあったのか?」
 尋ねるブラッドに、エリックはため息をついた。

「そりゃ、カレンが王都に行っちゃうんだからね。それにしても、いくら見送られたくないからって夜に出発するなんて、彼女らしいけどさ……」

「……出発ってどういうことだ?」
 ブラッドはカップをテーブルに置く。
「え? だからカレンだよ。本当は明日出発なのに、みんなに見送られると恥ずかしいからこっそり出発したいだなんてさ。僕とエマとオズウィン司教の三人で見送って来たんだよ」

 ブラッドはガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がり、慌ててカーテンを開けて外を覗いた。外は暗闇で、わずかにかがり火の灯りがあるのみだ。

「カレンが、もう出発した……!?」
「あれ? ブラッド。聞いてなかったの?」
 エリックはブラッドの異変に気づき、眉をひそめた。
「……聞いてない……」
「まさか。カレンはブラッドには先に挨拶してきたって言ってたけど……」

 その言葉に弾かれるように、ブラッドは部屋を飛び出した。
「あ! 待てよブラッド!」
 エリックは慌ててブラッドの後を追う。ブラッドはカレンの部屋まで走り、勢いよく部屋の扉を開けた。

 そこはもぬけの殻だった。主のいない、ひんやりとして静かな部屋だ。

「ブラッド……」
 後を追って走って来たエリックは、心配そうにブラッドの背中に声をかける。

 ブラッドは机の上に一冊の本が置いてあることに気づき、近寄った。そこに置いてあったのは聖女の本だ。カレンがここに来たばかりの頃、ブラッドがカレンにあげたものだった。

 本を手に取ったブラッドは、そのまま本を抱えて床に座り込んだ。

「ブラッドに言わずに出発したんだ、カレン……」
 エリックは床に座るブラッドの背中を見つめていた。

「……どうしてなんだ、カレン……」
 ブラッドは本を抱えたまま、小さな声で呟いた。


♢♢♢


 カレンは王都から迎えに来た馬車の中に一人でいた。急な出発だったが、王都にとっては少しでも出発は早い方がいい。使者はすぐに出発の用意を整えてくれた。

 カレンは馬車の中でぼんやりとしていた。セリーナの気持ちを知ってしまった今、自分がブラッドと会うわけにはいかない。

 ブラッドとセリーナとの間に、自分が入ってはいけない。カレンはそう悟ったのだ。

 カレンを乗せた豪華な馬車は、教会から静かに出発した。見送りなしで出発したいという彼女の希望を、オズウィン司教は汲んでくれた。エマとエリックはどうしてもカレンを見送りたいと言い張り、オズウィンとエマとエリックの三人だけが見送りの場にいた。

 馬車の前後には王都の騎士がついている。カレンが乗る馬車は彼らに守られながら、騎士団の館から遠ざかって行った。



──それから、半年が経った──
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

新しい人生を貴方と

緑谷めい
恋愛
 私は公爵家令嬢ジェンマ・アマート。17歳。  突然、マリウス王太子殿下との婚約が白紙になった。あちらから婚約解消の申し入れをされたのだ。理由は王太子殿下にリリアという想い人ができたこと。  2ヵ月後、父は私に縁談を持って来た。お相手は有能なイケメン財務大臣コルトー侯爵。ただし、私より13歳年上で婚姻歴があり8歳の息子もいるという。 * 主人公は寛容です。王太子殿下に仕返しを考えたりはしません。

ロザリーの新婚生活

緑谷めい
恋愛
 主人公はアンペール伯爵家長女ロザリー。17歳。   アンペール伯爵家は領地で自然災害が続き、多額の復興費用を必要としていた。ロザリーはその費用を得る為、財力に富むベルクール伯爵家の跡取り息子セストと結婚する。  このお話は、そんな政略結婚をしたロザリーとセストの新婚生活の物語。

夫で王子の彼には想い人がいるようですので、私は失礼します

四季
恋愛
十五の頃に特別な力を持っていると告げられた平凡な女性のロテ・フレールは、王子と結婚することとなったのだけれど……。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました

柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」  結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。 「……ああ、お前の好きにしろ」  婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。  ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。  いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。  そのはず、だったのだが……?  離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

処理中です...