上 下
49 / 57
聖女の矜持編

騎士ヴァレック・1

しおりを挟む
 聖女セリーナは自室の机で手紙を書いていた。書き終えると便箋を丁寧に折りたたみ、封筒にそれを入れて封をする。
「これをお願い」
 振り返り、セリーナは侍女に手紙を預けた。
「かしこまりました」
 侍女は手紙を受け取り、部屋を出ていく。それと入れ替わりにブラッドが部屋に入って来た。

「セリーナ様」
「いらっしゃい、ブラッド」
 セリーナは微笑み、椅子から立ち上がった。

「ご用は何でしょうか?」
 扉の前で立ったままのブラッドに、セリーナはこちらへ来るよう手招きをした。ブラッドは素直に彼女のそばに行く。

「ねえブラッド。明日、教会で開かれる演奏会に着けていく髪飾りなんだけど、どちらがいいと思う?」
 セリーナは机の上に置いてあった二つの髪飾りを手に取り、ブラッドに見せた。二つとも色合いもデザインも似たようなもので、華やかで美しいものだ。

 ブラッドは二つの髪飾りを見せられ、困惑した顔をしている。
「……俺に聞かれても……こういうものは侍女が選ぶべきでは」
「コートニーがこの二つに絞ったの。私にはどちらにするか決められなくて……男性のあなたの意見を聞きたいわ」
「……うーん……」
 正直どちらでもいい、と彼の顔には書いてあったが、セリーナの頼みとあれば断るわけにはいかない。ブラッドは腕組みをして穴が開くほど髪飾りを見比べた後、ようやく片方を選んだ。

「……こちら、でしょうか……」
 セリーナの顔がぱあっと明るくなる。
「私もこちらがいいと思っていたのよ。やはり、ブラッドと私は好みが合うわね。それじゃ、明日はこれを着けていきましょう」
 嬉しそうなセリーナを、ブラッドはホッとした表情で見つめる。

 セリーナは毎日のように、ブラッドをこのようなつまらない用事で呼び出していた。部屋に飾る絵を選んで欲しい、オズウィン司教への誕生日プレゼントを一緒に考えて欲しい。どれも護衛騎士のブラッドにとっては、必要のない用事と言える。セリーナがブラッドを呼び出すのは珍しいことではないが、昔はここまで頻繁ではなかったのだ。

「セリーナ様。明日の演奏会ですが、用事がありますので俺はご一緒できません」
 セリーナはさっきまでの笑顔から急に表情を曇らせた。
「用事とは? 演奏会の日取りは以前から伝えていたでしょう?」
「申し訳ありません。実はカレンの護衛で、明日貴族街へ行くことになりまして」

 カレンの名を聞き、セリーナの眉間に皺が寄る。
「なぜカレンの護衛で、あなたが貴族街まで行くことになったの?」
「聖女エリセア様の日記に書かれていた『騎士ヴァレック』の生家を訪ねたい、と彼女が言うのです。カレンはヴァレックがどういう人物だったのか知りたいと。先方との約束が、明日なので」
「……でも、わざわざ演奏会の日だなんて……」

 あからさまにセリーナは機嫌が悪くなっていた。ブラッドは彼女の変化に戸惑う。これまでは別の用事でセリーナに付き添えない時があっても、彼女は笑顔で「構わないわ、騎士としての任務を優先してちょうだい」と微笑む女だった。

「すみません。演奏会は教会の中で行われる行事ですし、俺がいなくても危険はないはずです。サイラス団長も演奏会に来ますし、特に心配はないと思いまして……」
 ブラッドはセリーナに慌てて謝罪する。演奏会は定期的に開かれるもので、楽団のメンバーの顔も全員見知った者ばかりだ。護衛の優先度は低いと考えていたブラッドは、セリーナの態度に困惑している。

「だとしても、カレンの護衛ならば他にもいるでしょう? エリックに任せればいいわ」
「エリックだけでは不安です。それに、俺も騎士ヴァレックや聖女エリセアのことを知りたいと思っています」

 ブラッドは真っすぐにセリーナを見る。セリーナはそんな彼の目を見つめた後、取り繕うように笑顔を作った。

「……そうよね。聖女エリセアのことを知りたいと思う気持ちは私も同じよ。明日のカレンの護衛、よろしく頼むわね」
「はい。では失礼します、セリーナ様」

 一歩後ろに下がり、踵を返して帰っていくブラッドの後ろ姿を、セリーナは浮かない顔で見送った。


♢♢♢


 カレンは「騎士ヴァレック」の生まれた家を訪ねる為、馬車に乗っていた。
 彼女の向かい側に座るのはブラッド、そして彼女の隣にはエリックが座っている。

(……狭いなあ)

 大柄な男二人が一緒に馬車の中にいるので、どこか窮屈に感じるカレンである。

「カレン、ワインは届いたか?」
「あ、はい。アルドから受け取りました、ありがとうございます。後でエマと飲みますね」

 ブラッドはカレンに実家で作った最高級品のワインを贈っていた。以前野営地でブラッドとカレンが世間話をしていた時にワインの話になった。ブラッドはこういうちょっとしたこともよく覚えていて、しっかりと約束を守る男だ。

「またエマに飲まれ過ぎないようにな」
「気をつけます。今度はちゃんと味わって飲まないと」
 二人は顔を見合わせて笑い合う。

「ブラッド、カレンにワインを贈ったの?」
「心配するな、ちゃんとエリックの分も用意してある。後でローランから受け取ってくれ」
 笑いながら話すブラッドの顔を、憮然とした顔でエリックは見ている。

「ブラッド。今日の外出のこと、セリーナ様に何か言われなかった?」
 不意にエリックに聞かれたブラッドは、少し目を泳がせた。
「……別に平気だ。演奏会は俺がいなくても問題ないさ」
「まあ、確かにそうだね。あんな退屈な演奏会、僕もお断りだよ。演奏会の後の食事会がまた退屈なんだよね……」
 エリックは上を向いてため息をついた。

「演奏会は、騎士が聖女様にアピールする大事な場だろ? お前はアピールされる側だろうが」
「あんな気取った場で彼女達の何が分かるのさ。聖女様なんてみんな大体同じだよ……あ! カレンは別だからね」
 エリックは慌てて隣のカレンに微笑んだ。

「演奏会って婚活パーティみたいなものかな……」
「?」
 不思議そうな顔をしたブラッドとエリックに「何でもないです」とカレンは笑ってごまかした。

「演奏会は、普段祈りを捧げる聖女様の為に定期的に開かれてるんだが、目的はもう一つあるんだ。演奏会の後は聖女と騎士が出席する食事会が開かれる。この食事会で知り合って結ばれる騎士と聖女も多いんだ」
「へえ、考えてみれば騎士と聖女が話す機会ってあまりないですもんね」

 やっぱり婚活パーティか、と思いながらカレンは頷いた。カレンもブラッドとエリック以外の騎士と関わることは殆どない。そもそも騎士と聖女が普段気さくに話している姿を見ることもあまりないのだ。

「カレンは食事会のことは聞いてなかったの?」
 エリックはカレンに尋ねる。
「演奏会のことは聞いてたんですけど、ヴァレック様の家に行く約束の日と重なってたんで断ったんですよ。その後に食事会があることは知らなかったです」
「そうか。まあ、カレンが食事会に出る必要はないもんね」
「どういうことだ?」
 ブラッドは眉をひそめてエリックを見る。

「いや、カレンの結婚相手は教会が直々に世話をするって意味だよ。カレンほどの聖女様が、変な男に取られたら大変だろ?」
「うちの騎士団に変な男は一人もいないぞ」
 ブラッドの顔がますます険しくなる。
「例えばの話だよ。カレンは貴重な聖女様なんだからさ……」

「あの、本人を前にして勝手に話を進めないで欲しいんですけど……私、結婚は考えてませんよ」

 エリックとブラッドは同時に「考えてない?」と声を上げた。

「えっと……何か、おかしいですか? 私はここに来てまだ間もないですし、結婚とかまだまだ先の話で……」
「でもカレン、もういい加減こっちの暮らしにも慣れたでしょ?」
 エリックはぐいっとカレンに身を乗り出す。
「そうですけど、そもそも私、結婚願望とかないんで……」
 カレンは(近い!)と思いながら体を引いた。

「願望がない……? そうか、それは想定してなかったな……」
 エリックは二人に聞こえないほどの小声で呟いた。

「エリック、カレンはこの国で育った人間じゃないんだ。結婚に対する考え方も違うんだろう」
「……うーん、まあ考え方って変わるものだからなあ」
「お前も結婚なんてどうせ考えてないだろう? 今までのらりくらりと結婚話から逃げてきたんだから」
 エリックはニヤリと笑みを浮かべ、ブラッドを見た。
「そうだね、でも考え方って変わるものだからね」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

何を間違った?【完結済】

maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。 彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。 今真実を聞いて⋯⋯。 愚かな私の後悔の話 ※作者の妄想の産物です 他サイトでも投稿しております

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

ハイパー王太子殿下の隣はツライよ! ~突然の婚約解消~

緑谷めい
恋愛
 私は公爵令嬢ナタリー・ランシス。17歳。  4歳年上の婚約者アルベルト王太子殿下は、超優秀で超絶イケメン!  一応美人の私だけれど、ハイパー王太子殿下の隣はツライものがある。  あれれ、おかしいぞ? ついに自分がゴミに思えてきましたわ!?  王太子殿下の弟、第2王子のロベルト殿下と私は、仲の良い幼馴染。  そのロベルト様の婚約者である隣国のエリーゼ王女と、私の婚約者のアルベルト王太子殿下が、結婚することになった!? よって、私と王太子殿下は、婚約解消してお別れ!? えっ!? 決定ですか? はっ? 一体どういうこと!?  * ハッピーエンドです。

むしゃくしゃしてやりましたの。後悔はしておりませんわ。

緑谷めい
恋愛
「むしゃくしゃしてやりましたの。後悔はしておりませんわ」  そう、むしゃくしゃしてやった。後悔はしていない。    私は、カトリーヌ・ナルセー。17歳。  ナルセー公爵家の長女であり、第2王子ハロルド殿下の婚約者である。父のナルセー公爵は、この国の宰相だ。  その父は、今、私の目の前で、顔面蒼白になっている。 「カトリーヌ、もう一度言ってくれ。私の聞き間違いかもしれぬから」  お父様、お気の毒ですけれど、お聞き間違いではございませんわ。では、もう一度言いますわよ。 「今日、王宮で、ハロルド様に往復ビンタを浴びせ、更に足で蹴りつけましたの」  

婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい

矢口愛留
恋愛
【全11話】 学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。 しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。 クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。 スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。 ※一話あたり短めです。 ※ベリーズカフェにも投稿しております。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

新しい人生を貴方と

緑谷めい
恋愛
 私は公爵家令嬢ジェンマ・アマート。17歳。  突然、マリウス王太子殿下との婚約が白紙になった。あちらから婚約解消の申し入れをされたのだ。理由は王太子殿下にリリアという想い人ができたこと。  2ヵ月後、父は私に縁談を持って来た。お相手は有能なイケメン財務大臣コルトー侯爵。ただし、私より13歳年上で婚姻歴があり8歳の息子もいるという。 * 主人公は寛容です。王太子殿下に仕返しを考えたりはしません。

処理中です...