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第三話
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昼まであと少し、というところでティアリーゼはセランへの指導を終えた。
動き続けていたセランは、額から汗を流してその場にひっくり返る。
「すっごく疲れた……」
「それだけ元気ならまだ大丈夫よ」
「う……」
(優しいと思ってたけど……思ってたより厳しかった……)
ティアリーゼは一切手を抜かなかった。
セランが少しでも甘えようとすると容赦なく叱られ、性根ごと叩き直される。おかげで足はがくがく震えているし、手にも力が入らない。
そんなセランの相手をしていたのに、ティアリーゼ自身はまったく疲れを見せていなかった。涼しい顔をして、倒れ込んだセランの隣に座り込む。
「短剣の扱いは上手だと思うわ。それに素早くて身のこなしが軽いし。手数で相手を翻弄するような戦い方が向いていそうね」
「本当? ティアリーゼのおかげで強くなれた気がするよ」
「あくまで気持ちの問題だから、危険な真似はしないように」
「はーい、先生」
「ふふ、いい返事ね」
(うーん、ずるい)
落ち着いた笑みを見せたティアリーゼにそんな感想を抱いてしまう。
稽古をつけてもらっている間に、セランはティアリーゼの年齢を聞いてしまった。とても大人びた女性――という印象を抱いていたために、五つくらいは離れているのだろうと思ったのだが。
(一個しか違わないなんて……)
十七のセランに対し、ティアリーゼは十八歳だった。
いったいどんな生き方をすれば、それほどの落ち着きと気品を手に入れられるのか、セランには皆目見当もつかない。
「……ねえ、ティアリーゼは人間なんだよね?」
「どうしたの、急に」
「さっきの……シュクルは亜人でしょ?」
「そうね」
「でも、結婚したんだよね?」
「ええ」
ふ、とティアリーゼが微笑んだ。
恋をしている女の顔だと気付き、なぜかセランの方がどぎまぎしてしまう。
「答えにくかったらいいんだけど……どうして? ティアリーゼだったら、どんな人間の男だって結婚したがったと思うんだけど」
「いろいろあったの。もともと……あの人とは敵の関係でね」
「えっ」
「殺さなきゃいけなかったはずなんだけど……。……気が付いたら、好きになってたのよ」
「おとぎ話みたい。そんなにシュクルのことが好きなの?」
「……ええ、とても」
(いいなあ)
再度、セランはそう思った。
自分の知る結婚とはもっとつまらなくて苦いものである。
ティアリーゼのそれは、そんなものとは遠く離れた位置にあるようだった。
「セランは? 恋人とか……」
「んー……。婚約者はいたんだけど、私の親友と関係を持ってたみたい」
「え……」
「別にね、好きじゃなかったの。だけど、なんというか……恋とか愛とか、そういうものを信じられなくなったかな。男の人は、妻になる相手を簡単に裏切れる生き物なのかなーって。……私、父もそういう人だから」
「セラン……。なんて言ったらいいか……」
「あ、でもね。シュクルがそうかもって言ってるわけじゃないよ。ティアリーゼのことが大好きなんだなって、あの人を見ていたらよくわかるの」
「そう?」
「うまく言えないけど、憧れる。私もどうせ結婚するなら、そういう夫婦になりたいな」
「なれるわ。あなたは素敵な女性だもの」
「本当? そうだったらいいな」
セランは空を見上げたまま、流れる雲を目で追いかける。
部族の集落で見ていたのと同じ空だったが、今の方が晴れやかに見えた。
「……でも、夫はいいかな。素敵な人に出会えても、本当に全部が素敵だと限らないし」
「……そうかしら」
「自分一人で生きていく力を手に入れられる方がずっといいよ。だって、裏切られてもへこたれずにいられるもの」
「あなたは強いのね。私も……家族に裏切られたことがあるのよ」
「ティアリーゼみたいな人を裏切るなんて、!」
「いいの、もうシュクルが怒ってくれたから」
また、ティアリーゼが笑う。
穏やかでいて、寂しげな笑みだった。
「代わりに怒ってくれるなんて、本当に愛されてるんだね」
「ええと……うん、そうね」
「あのね、もうひとつ聞いてもいい?」
「構わないわ。どうぞ?」
「子供ってもういるの?」
「えっ!」
その質問はセランが思っていた以上の反応を引き起こした。
あんなに落ち着いていたティアリーゼが、真っ赤になっている。
「それは、ええと、その」
「ふふふ。二人の赤ちゃんだったら、男の子でも女の子でも美人さんだね」
「もう、セランってば」
にんまりするセランを、ティアリーゼが弱弱しくたしなめる。
かと思ったら、いつまでも緩んでいた頬をきゅっとつままれてしまった。
「あなた、そういうところキッカさんにそっくりよ」
「え? キッカに? そうかな?」
「お喋りで遠慮がないところ。……でも、嫌いじゃないわ」
(キッカほどお喋りでも、遠慮がないわけでもないと思うけどなぁ)
本気でそう思い、首を傾げる。
ティアリーゼはそんなセランの頬を、今度は優しく撫でたのだった。
動き続けていたセランは、額から汗を流してその場にひっくり返る。
「すっごく疲れた……」
「それだけ元気ならまだ大丈夫よ」
「う……」
(優しいと思ってたけど……思ってたより厳しかった……)
ティアリーゼは一切手を抜かなかった。
セランが少しでも甘えようとすると容赦なく叱られ、性根ごと叩き直される。おかげで足はがくがく震えているし、手にも力が入らない。
そんなセランの相手をしていたのに、ティアリーゼ自身はまったく疲れを見せていなかった。涼しい顔をして、倒れ込んだセランの隣に座り込む。
「短剣の扱いは上手だと思うわ。それに素早くて身のこなしが軽いし。手数で相手を翻弄するような戦い方が向いていそうね」
「本当? ティアリーゼのおかげで強くなれた気がするよ」
「あくまで気持ちの問題だから、危険な真似はしないように」
「はーい、先生」
「ふふ、いい返事ね」
(うーん、ずるい)
落ち着いた笑みを見せたティアリーゼにそんな感想を抱いてしまう。
稽古をつけてもらっている間に、セランはティアリーゼの年齢を聞いてしまった。とても大人びた女性――という印象を抱いていたために、五つくらいは離れているのだろうと思ったのだが。
(一個しか違わないなんて……)
十七のセランに対し、ティアリーゼは十八歳だった。
いったいどんな生き方をすれば、それほどの落ち着きと気品を手に入れられるのか、セランには皆目見当もつかない。
「……ねえ、ティアリーゼは人間なんだよね?」
「どうしたの、急に」
「さっきの……シュクルは亜人でしょ?」
「そうね」
「でも、結婚したんだよね?」
「ええ」
ふ、とティアリーゼが微笑んだ。
恋をしている女の顔だと気付き、なぜかセランの方がどぎまぎしてしまう。
「答えにくかったらいいんだけど……どうして? ティアリーゼだったら、どんな人間の男だって結婚したがったと思うんだけど」
「いろいろあったの。もともと……あの人とは敵の関係でね」
「えっ」
「殺さなきゃいけなかったはずなんだけど……。……気が付いたら、好きになってたのよ」
「おとぎ話みたい。そんなにシュクルのことが好きなの?」
「……ええ、とても」
(いいなあ)
再度、セランはそう思った。
自分の知る結婚とはもっとつまらなくて苦いものである。
ティアリーゼのそれは、そんなものとは遠く離れた位置にあるようだった。
「セランは? 恋人とか……」
「んー……。婚約者はいたんだけど、私の親友と関係を持ってたみたい」
「え……」
「別にね、好きじゃなかったの。だけど、なんというか……恋とか愛とか、そういうものを信じられなくなったかな。男の人は、妻になる相手を簡単に裏切れる生き物なのかなーって。……私、父もそういう人だから」
「セラン……。なんて言ったらいいか……」
「あ、でもね。シュクルがそうかもって言ってるわけじゃないよ。ティアリーゼのことが大好きなんだなって、あの人を見ていたらよくわかるの」
「そう?」
「うまく言えないけど、憧れる。私もどうせ結婚するなら、そういう夫婦になりたいな」
「なれるわ。あなたは素敵な女性だもの」
「本当? そうだったらいいな」
セランは空を見上げたまま、流れる雲を目で追いかける。
部族の集落で見ていたのと同じ空だったが、今の方が晴れやかに見えた。
「……でも、夫はいいかな。素敵な人に出会えても、本当に全部が素敵だと限らないし」
「……そうかしら」
「自分一人で生きていく力を手に入れられる方がずっといいよ。だって、裏切られてもへこたれずにいられるもの」
「あなたは強いのね。私も……家族に裏切られたことがあるのよ」
「ティアリーゼみたいな人を裏切るなんて、!」
「いいの、もうシュクルが怒ってくれたから」
また、ティアリーゼが笑う。
穏やかでいて、寂しげな笑みだった。
「代わりに怒ってくれるなんて、本当に愛されてるんだね」
「ええと……うん、そうね」
「あのね、もうひとつ聞いてもいい?」
「構わないわ。どうぞ?」
「子供ってもういるの?」
「えっ!」
その質問はセランが思っていた以上の反応を引き起こした。
あんなに落ち着いていたティアリーゼが、真っ赤になっている。
「それは、ええと、その」
「ふふふ。二人の赤ちゃんだったら、男の子でも女の子でも美人さんだね」
「もう、セランってば」
にんまりするセランを、ティアリーゼが弱弱しくたしなめる。
かと思ったら、いつまでも緩んでいた頬をきゅっとつままれてしまった。
「あなた、そういうところキッカさんにそっくりよ」
「え? キッカに? そうかな?」
「お喋りで遠慮がないところ。……でも、嫌いじゃないわ」
(キッカほどお喋りでも、遠慮がないわけでもないと思うけどなぁ)
本気でそう思い、首を傾げる。
ティアリーゼはそんなセランの頬を、今度は優しく撫でたのだった。
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