50 / 57
第九話
3
しおりを挟む「私……学習しないわね……」
「喋るな」
シュクルがしっかりとティアリーゼを抱き締める。
いつもはすぐに温かいと感じる腕の中が、今はいつまで経っても温かくならない。
否、ティアリーゼの身体が急速に冷えていっている。
「なぜ……なぜ、ティアリーゼを」
激しく戸惑うシュクルの声がぼんやりと聞こえる。
「なぜ? そいつもお前も憎らしいからだ」
はははと笑う声は本当に兄のものなのか、意識が朦朧としてよくわからない。
「本当に逃がしてもらえると思ったのか? 魔王を殺して――勇者になれる瞬間をどうして諦める必要がある?」
「お前は、勇者になりたかったのか」
「さぁ、どうだろうな。……どちらにせよ、魔王の絶望した顔を見られてなによりだよ」
再び狂ったように笑う声が響いたかと思うと、突如、大地を揺るがすような咆哮が空を割った。
「しゅく、る」
鼓膜が破れそうな、怒りと哀しみに満ちた咆哮をあげたのはシュクル。
――人の出せる声ではない。
「シュクル、だめ」
思わずティアリーゼはそう言っていた。
だが、言ったときにはもう、シュクルの腕の中から放り出されている。
(だめ――)
目の前にいたシュクルの身体が――溶けた。
ティアリーゼは以前にもこれを見ている。
一人は金鷹の魔王、キッカ。
もう一人はティアリーゼを運んでくれたカラスの亜人。
彼らが人の形から鳥の形へ変わるときと同じことが、今、目の前で起きていた。
(シュクル、あなた……)
シュクルが人ならざるものに成り果てる。
月光を弾く白銀の鱗。ティアリーゼの胴体よりも太い腕の先には、人間の身体などやすやすと引き裂けそうな鋭い爪があった。
ご機嫌に揺れていた尾も今は長く太く変わっている。それもまた鱗に覆われていた。
再度、シュクルは咆哮を上げる。
天を轟かせるその声を発したのは、物語でしか聞いたことのない伝説上の生き物。
「りゅ……竜……?」
誰かが震える声で呟いた。
白い鱗と紫の角を持つ竜の姿がそこにある。
(トカゲじゃ……なかったの……)
地に伏したままそう思ったティアリーゼは、巻き上がった熱風にひくりと喉を鳴らした。
先ほどまで咆哮を上げていた喉から吐き出されているのは、燃え盛る炎。シュクルを囲んでいた兵の一部が、悲鳴を上げる間もなく消し炭になった。
(待って……)
完全に獣と化したシュクルはそのまま殺戮を始める。
身動きを取れないティアリーゼの耳に、人々の悲鳴が届いた。
うっすらと視界に入ってくるのは、喜々として人間を狩る獣の姿。
その爪に切り裂かれた兵の断片が目の前にぼたりと落ちる。
「み……見掛け倒しだ! 奴は弱い! 自分でそう言っていたんだからな!」
エドワードの声が悲鳴に混じる。
虚勢を張っているように聞こえるのも無理はない。
そう言っている間にも、シュクルは人間を食い殺している。
ばり、と不穏に聞こえたのは骨が砕ける音。横たわったティアリーゼの手を、流れてきた血が汚していった。
周囲の建物ごと燃やし尽くす炎と、雨のように降り注ぐ人間の体液。鉄に似た生臭い香りが鼻孔を刺激した。
ティアリーゼが凄惨な光景を見ても嘔吐せずにいられたのは、背中の痛みのせいだろう。
意識を失いたくとも、痛みがそうさせてくれない。だが、同時にすべての感覚を麻痺させる。
(シュクル、だめ)
ティアリーゼは心の中でそう訴える。
シュクルは止まらない。タルツの繁栄を表してきた広場は、今や地獄以外のなにものでもなかった。
しかし、兵たちもただの人間ではない。
最初こそ恐怖し、逃げまどっていたが、やがて反撃に転じ始めた。
投げられた槍の先端がシュクルの胴体に突き刺さる。遠くから放たれた矢が、コウモリの羽に似た翼に穴を開けていく。
傷付けられるたび、シュクルは身悶えした。
攻撃こそ激しくとも呆気なく傷付くその姿を見て、生き残った兵たちが勢いを増していく。
自分の鱗を柔らかいと言っていたシュクルの言葉を思い出し、ティアリーゼはかすれた声で叫んだ。
「やめて……傷付けないで……!」
0
お気に入りに追加
538
あなたにおすすめの小説
【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!
りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。
食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。
だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。
食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。
パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。
そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。
王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。
そんなの自分でしろ!!!!!
旦那様は大変忙しいお方なのです
あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。
しかし、その当人が結婚式に現れません。
侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」
呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。
相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。
我慢の限界が――来ました。
そちらがその気ならこちらにも考えがあります。
さあ。腕が鳴りますよ!
※視点がころころ変わります。
※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。
【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》
【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!
【短編】悪役令嬢と蔑まれた私は史上最高の遺書を書く
とによ
恋愛
婚約破棄され、悪役令嬢と呼ばれ、いじめを受け。
まさに不幸の役満を食らった私――ハンナ・オスカリウスは、自殺することを決意する。
しかし、このままただで死ぬのは嫌だ。なにか私が生きていたという爪痕を残したい。
なら、史上最高に素晴らしい出来の遺書を書いて、自殺してやろう!
そう思った私は全身全霊で遺書を書いて、私の通っている魔法学園へと自殺しに向かった。
しかし、そこで謎の美男子に見つかってしまい、しまいには遺書すら読まれてしまう。
すると彼に
「こんな遺書じゃダメだね」
「こんなものじゃ、誰の記憶にも残らないよ」
と思いっきりダメ出しをされてしまった。
それにショックを受けていると、彼はこう提案してくる。
「君の遺書を最高のものにしてみせる。その代わり、僕の研究を手伝ってほしいんだ」
これは頭のネジが飛んでいる彼について行った結果、彼と共に歴史に名を残してしまう。
そんなお話。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
小説主人公の悪役令嬢の姉に転生しました
みかん桜(蜜柑桜)
恋愛
第一王子と妹が並んでいる姿を見て前世を思い出したリリーナ。
ここは小説の世界だ。
乙女ゲームの悪役令嬢が主役で、悪役にならず幸せを掴む、そんな内容の話で私はその主人公の姉。しかもゲーム内で妹が悪役令嬢になってしまう原因の1つが姉である私だったはず。
とはいえ私は所謂モブ。
この世界のルールから逸脱しないように無難に生きていこうと決意するも、なぜか第一王子に執着されている。
そういえば、元々姉の婚約者を奪っていたとか設定されていたような…?
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる