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第九話

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「私……学習しないわね……」
「喋るな」

 シュクルがしっかりとティアリーゼを抱き締める。
 いつもはすぐに温かいと感じる腕の中が、今はいつまで経っても温かくならない。
 否、ティアリーゼの身体が急速に冷えていっている。

「なぜ……なぜ、ティアリーゼを」

 激しく戸惑うシュクルの声がぼんやりと聞こえる。

「なぜ? そいつもお前も憎らしいからだ」

 はははと笑う声は本当に兄のものなのか、意識が朦朧としてよくわからない。

「本当に逃がしてもらえると思ったのか? 魔王を殺して――勇者になれる瞬間をどうして諦める必要がある?」
「お前は、勇者になりたかったのか」
「さぁ、どうだろうな。……どちらにせよ、魔王の絶望した顔を見られてなによりだよ」

 再び狂ったように笑う声が響いたかと思うと、突如、大地を揺るがすような咆哮が空を割った。

「しゅく、る」

 鼓膜が破れそうな、怒りと哀しみに満ちた咆哮をあげたのはシュクル。
 ――人の出せる声ではない。

「シュクル、だめ」

 思わずティアリーゼはそう言っていた。
 だが、言ったときにはもう、シュクルの腕の中から放り出されている。

(だめ――)

 目の前にいたシュクルの身体が――溶けた。
 ティアリーゼは以前にもこれを見ている。
 一人は金鷹の魔王、キッカ。
 もう一人はティアリーゼを運んでくれたカラスの亜人。
 彼らが人の形から鳥の形へ変わるときと同じことが、今、目の前で起きていた。

(シュクル、あなた……)

 シュクルが人ならざるものに成り果てる。
 月光を弾く白銀の鱗。ティアリーゼの胴体よりも太い腕の先には、人間の身体などやすやすと引き裂けそうな鋭い爪があった。
 ご機嫌に揺れていた尾も今は長く太く変わっている。それもまた鱗に覆われていた。
 再度、シュクルは咆哮を上げる。
 天を轟かせるその声を発したのは、物語でしか聞いたことのない伝説上の生き物。

「りゅ……竜……?」

 誰かが震える声で呟いた。
 白い鱗と紫の角を持つ竜の姿がそこにある。

(トカゲじゃ……なかったの……)

 地に伏したままそう思ったティアリーゼは、巻き上がった熱風にひくりと喉を鳴らした。
 先ほどまで咆哮を上げていた喉から吐き出されているのは、燃え盛る炎。シュクルを囲んでいた兵の一部が、悲鳴を上げる間もなく消し炭になった。

(待って……)

 完全に獣と化したシュクルはそのまま殺戮を始める。
 身動きを取れないティアリーゼの耳に、人々の悲鳴が届いた。
 うっすらと視界に入ってくるのは、喜々として人間を狩る獣の姿。
 その爪に切り裂かれた兵の断片が目の前にぼたりと落ちる。

「み……見掛け倒しだ! 奴は弱い! 自分でそう言っていたんだからな!」

 エドワードの声が悲鳴に混じる。
 虚勢を張っているように聞こえるのも無理はない。
 そう言っている間にも、シュクルは人間を食い殺している。
 ばり、と不穏に聞こえたのは骨が砕ける音。横たわったティアリーゼの手を、流れてきた血が汚していった。
 周囲の建物ごと燃やし尽くす炎と、雨のように降り注ぐ人間の体液。鉄に似た生臭い香りが鼻孔を刺激した。
 ティアリーゼが凄惨な光景を見ても嘔吐せずにいられたのは、背中の痛みのせいだろう。
 意識を失いたくとも、痛みがそうさせてくれない。だが、同時にすべての感覚を麻痺させる。

(シュクル、だめ)

 ティアリーゼは心の中でそう訴える。
 シュクルは止まらない。タルツの繁栄を表してきた広場は、今や地獄以外のなにものでもなかった。
 しかし、兵たちもただの人間ではない。
 最初こそ恐怖し、逃げまどっていたが、やがて反撃に転じ始めた。
 投げられた槍の先端がシュクルの胴体に突き刺さる。遠くから放たれた矢が、コウモリの羽に似た翼に穴を開けていく。
 傷付けられるたび、シュクルは身悶えした。
 攻撃こそ激しくとも呆気なく傷付くその姿を見て、生き残った兵たちが勢いを増していく。
 自分の鱗を柔らかいと言っていたシュクルの言葉を思い出し、ティアリーゼはかすれた声で叫んだ。

「やめて……傷付けないで……!」
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