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第四話

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 しばらく、ティアリーゼは答えなかった。
 そう言われることをどこかで予想していたのかもしれない。

「……私、あちらで聞きました。この国の別の歴史を」

 エドワードの言葉を承諾することも拒絶することもなく、別の話題に移す。

「人間がこの大陸を我が物にしていた時代はないそうですね。タルツも、彼らにとっては生まれて間もない幼い国だとか」
「そこまで奴らと話をしていたのか」

(お兄様もそれが偽りの歴史だと知っていた。……私にだけわざわざ別の歴史を教えたのね。ということはレレンもすべて知っている……)

「確かにお前の知っている歴史は学んできたものと違う。だが、レセントを人間の手に取り戻すことが悲願であることに変わりはない。人間は亜人と相いれないからな」
「それは違います」

 ティアリーゼは思わず椅子を蹴って立っていた。
 驚いた顔のエドワードに構うことなく、自分の思いを告げる。

「彼らは私たちが思ってきたような存在ではありません。同じように朝目覚め、夜には眠り、仲間と平穏を生きています。相いれない存在だと言うなら、それはわかり合えないと思っている人間のせいだわ……!」

 亜人たちも人間を恐ろしいものだと思っており、忌避している。同時に関わってさえこなければとてもどうでもいい存在だと思っている。
 なにせ、筆頭たる魔王がシュクルである。
 興奮して肩で息をするティアリーゼに、エドワードはかつての嫌悪をにじませた。

「ずいぶん奴らに毒されたんだな」
「毒されたんじゃない。知ったんです」

 ティアリーゼは手を握り締める。
 わからない――というのが口癖だったシュクルのことを思い出していた。
 触れられただけで求婚してくるような、変わり者の魔王。尻尾を撫でられるのが好きで、隙あらば膝枕を狙ってくる。勝手に部屋へ入り込んではティアリーゼを観察し、ときどき喉を鳴らして構ってもらいたがる。
 雛だから会話が不自由だと言っていたシュクルとですら、少し時間を共にしただけでわかり合えるようになった。
 ならば、普通に言葉を交わせる者同士でそれができないのは怠慢だろう。

「私が生きていることを利用するつもりなら、あの人を殺すことじゃなく、人間と亜人とが共存するためにどうするべきか、そちらの方向で考えるべきです。それならば、私も人間の味方である『勇者』として『魔王』と向き合いましょう」

 きっぱり言い切ると、ティアリーゼはその勢いのまま部屋を出ようとした。
 これ以上話す意味はないだろうと判断してのことだったが、エドワードがそれを止める。

「俺はお前が嫌いだよ、ティアリーゼ」

 近付いてきた兄の手が、ティアリーゼの髪に触れた。
 そんな風に触れられたのは初めてのことで、今の今まで感じていた怒りが消えていく。

「いくら供物と言えど、お前は幼い頃から重要な役目を与えられてきた。秘密を明かさないよう、あの瞬間まで必要とされ続けたお前が、本当に憎かったよ。だから俺は兄らしいことなどなにひとつしてやりたくなかった。剣の訓練でも勝てたためしがないしな」
「……それは私に与えられた役目のせいです。お兄様は剣を持たずとも民を守る未来がありました。でも、私は……魔王を殺すために育てられてきたから、負けるわけにはいかなかった」
「そういう真面目なところも本当に嫌いだ。勉強はできないくせに」
「な……! レレンは褒めてくれましたよ!」
「馬鹿だな。あいつも適当にお前と接していただけだ」
「っ……。……じゃあ」

 ティアリーゼは兄の目をまっすぐに見据える。
 そんな風に見つめ合ったのは、もしかしたら生まれて初めてのことかもしれなかった。

「お兄様だけが、偽ることなく本心から私と接してくれていたのですね」
「…………前向きだなぁ、お前は」

 エドワードが笑う。どこか寂しい、らしくない笑みだった。

「……嫌われていても、憎まれていても構いません。私はお兄様を尊敬しています」
「はっ、よく言う」
「いつかお兄様が治めるタルツのために、私も尽くしたい。もう王女でも妹でも勇者でもないかもしれないけれど、そのときは……どうか協力させてください」

 目を逸らしたのはエドワードの方が早かった。
 溜息がひとつ。諦めたように再びティアリーゼへと視線を戻し、その頭をそっと撫でる。

「っ、お兄様?」
「わかった。そのときは甘えさせてもらおう」

(お兄様……)

 ずっと距離のある兄妹だった。ティアリーゼの生まれや育ちの秘密がその距離を作ってきたからこそ、真実が明らかになった今、やっと理解し合えるようになった。
 それをティアリーゼは素直に嬉しいと感じる。
 覚悟していたとはいえ、信じたくない真実ばかり。自分の母だと思っていた人は本当の母ではなかったとまで言われてしまった。
 それでもここで取り乱さずにいられるのは、もちろんシュクルを思い出したからというのもひとつの理由だが、兄が偽ることなく向き合ってくれたからという事実が大きい。

(お兄様だけは私に対していつも正直だった)

「私は魔王を殺しません。……それだけはどうか覚えていてください」
「……ああ、わかったよ」

 それが別れの言葉になった。
 ティアリーゼは一礼し、その場を立ち去る。

(……誰かに撫でてもらうのって、確かに嬉しいことかもしれない)

 廊下を歩きながら、兄に撫でてもらった頭を触る。
 もうそこにはなんの重みも熱もなかったが、ティアリーゼの心は優しいぬくもりに包まれていた。

 外に出ると、ティアリーゼはここへ来る際に渡された笛を取り出した。
 吹き口を唇に挟み、す、と息を吸った後、勢いよく吹く。
 ぴぃ、と鳥の鳴き声に似た甲高い音が蒼空に響き渡った。
 白い雲がふたつ頭上を流れた頃、遠くから近付いてくる大きなカラスに気付く。

「すんません、姫さん! 遅くなりまして!」
「ううん、いいの。こんなところでごめんなさい。本当はもっと城から離れた場所の方がよかったんでしょうけど……」
「いいんですいいんです、姫さんに雑踏を歩かせられませんから」

 気のいいカラスは、来た時と同様、ティアリーゼに背を向ける。

「……街で嫌なことはなかった?」
「いんや! むしろいい思いならしましたよ。子供が魚の塩焼きを分けてくれたんです」
「……だったらよかったわ」

 この国の人間のどれほどが亜人を疎んでいるのか、ティアリーゼは知らない。気にしない人間もいるから、街で過ごす者もいるのだろう。しかし、確実に言えるのはゼロではないということだった。

(私が人間と亜人を繋ぐ架け橋になれたなら。……そうしたら、もう一度自分を『勇者』だと思ってもいいかしら)

 飛び上がったカラスの背に掴まり、ぬるい風を感じる。
 ――唯一魔王と対等に渡り合える者を勇者と呼ぶ。シュクルは変わった魔王ではあるが、そうであることに違いはない。
 今まではなんとなくで接し、過ごしてきた時間を、これからは見直す必要がありそうだった。
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