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36 牙 side 陸

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渡は浴槽の縁に手をかけ、全身を大きく揺らし、乱れた呼吸をなんとか整えていた。
何もしてやれず、見ているだけの俺と目が合うと、濡れた顔をくしゃりと歪ませ「こ、こわかった・・・」と掠れた声を振り絞った。
振り絞った直後に、膝から力が抜けたのか、身体がよろける。
手を伸ばして支えてやると、「ごめんなぁ、陸も溺れさせてしもたぁ」と力の無い目で侘びてくる。

俺の心配なんざ、いらねぇよ。
こんな切羽詰まってるときにまで、気を回すな。
伸ばした指が、強張った頬に触れる。
上気していた渡の頬からはすっかり色が抜け、その分鼻頭と目の縁の赤みが際立つ。
渡は自分で身体を支え直して立ち上がると、溢れて止まらない涙を拳で拭い、深く息を吸って吐いてを数度、ゆっくりと繰り返した。
徐々に渡の目に光が戻っていく。

あの日の、こんなふうに水を怖がらせることになってしまった記憶が鮮明に蘇る。

海や空にも教えていなった秘密の場所で、渡に木の実を与えた帰り道。
夕日に照らされ煌めく川を眺めながら下っていたら、突然の豪雨に見舞われた。
視界が悪い中、夏着のままずぶ濡れになった身体を冷やしてしまい、少しでも早く帰らないと焦って急ぎ足になっていた。
あの頃、俺なりに渡のことを大切にしていたんだが、あの状況では心を配る余裕が殆どなかったんだよな。
不安そうに渡が「大丈夫かな?」「ちゃんと帰れるかな?」と話し掛けてきても、俺は無言。
次第に、渡も何も話さなくなっていた。

雨脚は一向に弱まらず、歩くうちにどんどん泥濘んでいく土に足元がおぼつかない。
途中から手を繋ぐようにしていたけど、所詮子ども同士だ。
頼りねぇ。

途中、渡が濡れた草に足元を取られ、増水した川へ落下。
引き戻す力なんざ、俺には無かった。
緩んだ手を咄嗟に掴み直し、一緒に川へドボン。
濁った激流に呑まれ、どれくらい流されたのか。
川面につきでていた木の枝に二人の身体が引っかかり、軽い渡を先に枝に押し上げ、岸に辿り着くまで流れに負けじと枝にしがみついて耐えた。
俺もその後よじ登って、二人でその大木のうろに身を寄せ雨が止むのを待っていた。

ここなら木の葉に助けられ、雨が自分達の上には届かない。
安心できる場所を確保出来て、やっと顔を見て話せるようになった。
「怖かった」「死ぬかと思った」とお互いに言い合っていたとき、まだ渡は水への恐怖心はここまで無かったんじゃねぇかな。

なかなか降り止まない雨。
一度川に落ちた恐怖もあって、自然とここで待つのが得策と察していた。
日が暮れるに従い、雨が若干弱まる。
話すことも途切れてんのに二人とも立ち上がらず、地面に出ていた根の一部に腰を下ろしたままだ。
濡れた身体で身を寄せ合い、森の中へ闇が広がっていくのをただ見ていた。

外灯もねぇ、森の中。
完全に陽が落ちると、雨雲が薄っすら残った星空の光はあんまり届かねぇ
俺は、流石にこんな時間まで森にいたことは無かったからな。
何がどこから出てくるかわからねぇ緊張と不安、それに誰か迎えに来てくれと切実に願う気持ちでパンパンだ。
けどなぁ。
隣に座っていた渡は、あの頃から渡だったな。
「凄いね。さっきまで真っ赤だった森の中が、もう真っ黒だよ」と、不安よりも好奇心が勝っていた。
まぁ、お陰様でと言って良いんだろう。
αの俺が日和ってる場合じゃねぇなと、奮起出来たんだからな。
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