55 / 78
第11話
キスだけして (4)
しおりを挟むまた日が変わる。
デスクに頬杖をついていた恭次郎の疲れ切った表情と「先に新宿のショールームに行っておいて良かったでしょう?」と澄ました顔でデスクの前に腕を組んで仁王立ちをしている櫻子がいた。
「お前、他の仕事やりながらいつもこんな事やってたのかよ」
「私はたまたま性に合ってただけ」
「あ゛ぁ~……目がいてえ」
会長席のデスク突っ伏して呻る恭次郎が座っていたのは肉厚な革張りのチェアではなく、体の大きな男性にも対応している海外製のビジネスチェア。櫻子と赴いたショールームで即決をしたのだがその金額に怖気づいた恭次郎は「必要経費だから」と言われた理由が今更ながらに分かった。
情報を共有しましょう、と持ちかけられた恭次郎は櫻子がいつも閲覧しているデータへのアクセス権限を遂に持たされた。
その内容について一通り目を通して欲しいとの事で言われた通りにしていて……今に至る。
「ちゃんと腰回りや背中を支えてくれるから腰痛にはなりにくいと思ったんだけど」
「ああ……それはな……助かってるが」
恭次郎がデスクに着いている時間が長くなると必然的に付き人の足立も同じ事になる為に彼には国内メーカーの質の良い物を与えており、座り心地は随分と向上したそう。
大崎の一件から暫く頻繁に恭次郎のもとを出入りしていた櫻子だったがここ数日は自宅のマンションや持っている店の事務所で仕事をしていた。今日は恭次郎が疲れてしおしおになっているのを足立からリークされたので面白半分で大崎と一緒に見に来ていたのだ。
「来る前に私のお店に寄って来てね。みんなにも差し入れあるから」
オーナーをしている風俗店の黒服に美味しい昼ご飯を奢る、と約束をしていた櫻子は先ほどそれを届けに行って、その足で本部へと赴いていた。大崎も抗生物質などの薬の服用も終わり、傷の経過は順調ではあったがまだドライバーとしては使わずに付き人としてそばにいて欲しいと櫻子から頼まれ、今日も一緒に付いて回っている。
「これは恭次郎さんがお疲れでしょうから、って会長から」
ちょこんと可愛らしい、明らかにケーキが入っていそうな紙袋が大崎の手によってデスクに置かれる。
「足立さん、他ンとこに配るの手伝って貰って良いですか」
「あ?ああ、分かった」
「経理部とかにも買ってきてあるんで」
二人だけにしたいのだと察した足立は席から立ち「お前、傷口はもう大丈夫なのか?」と親のような眼差しで大崎に問いながら「少し席を外します」と会長室から出て行ってしまった。
「二人とも行っちゃった……」
腕組みをしていた櫻子はその腕を解いて肩をすとんと落とす。
「これ、中身はコーヒーゼリーなんだけど、美味しいの。ちょっとパフェみたいになってて、甘すぎないから恭次郎でも好きかな、って……」
どうやら自分で言っていて恥ずかしくなってしまったらしい櫻子は休憩した方がいい、と恭次郎に来客用のソファーに座るよう促す。
今までは恭次郎の方から櫻子へプレゼント代わりに彼女好みのチョコレートや菓子を買って来たりしていたが、今日は櫻子が自分の為に選んで買ってきてくれたのだと知る。
とても嬉しい事なのだが心変わり、角が取れたようになった境目はやはりあの夜だったのだろうかと恭次郎は思う。
「それとね」
来客用のローテーブルにも紙袋が置いてあり、櫻子がその中身を取り出す。どうやらアイスドリンクらしくプラスチックのカップに紙製の蓋がされていた。
「こっちが鉄観音ミルクティーで、こっちがストレートの鉄観音烏龍茶なんだけどどっちにする?」
並んで座れば恋人同士。
体の大きな恭次郎の上腕に櫻子の細い肩が当たる距離感。
以前まで置いてあった会長席の椅子と同じような革張りのソファーは柔らかすぎ、体重のある恭次郎の方に少し櫻子の体が傾いてしまう。
根を詰めているだろうから、と櫻子が用意してくれた“おやつ”の時間。
櫻子はミルクティーが好きなのを分かっていたので恭次郎はストレートティーを手にして早速、ストローをさすと口にする。
「香りが良いな」
「でしょう?」
これも大崎君が見つけてくれたの、と嬉しそうに言う櫻子は「でもこっちは私が選んで来たから」とまるで恭次郎の心の中を読んだようにオシャレなカップ入りのコーヒーゼリーを箱から取り出して彼の前に置く。
「お前こういうカリカリ、好きだったろ」
口を付ける前に、と恭次郎は添え物のビスキュイを櫻子の前に差し出して口元に寄せる。
一瞬、ぎょっとした櫻子だったがニヤニヤしている恭次郎がしたいらしい事を受け入れる為に少しだけ唇を開く。
つぷ、と口に差し込まれた小ぶりのビスキュイ。
恭次郎が言ったようにカリカリとそれを咀嚼する櫻子の頬がみるみる内にチークの色を越えて赤くなっていく。
なんなら若干、涙目だ。
「真っ赤じゃねえか」
笑った恭次郎に頬の熱を冷ますようにアイスミルクティーを手に取る櫻子は自分の胸があまりにもどきどきしてしまい、これが本当の“胸のときめき”と言うやつなのでは、と自分自身に問いかける。今までだって一応、言葉にはしなかったが恭次郎の事は愛していた。
しかし立場と言うものが、自分たちの生い立ちが今も自由な恋愛を阻んでいる。
普通の恋人同士のなんでもない日の子供じみた触れ合いがこんなにも心を揺り動かすなど、櫻子は知らなかった。
「きょうじろ」
「ん?」
うめえなコレ、とコーヒーゼリーをスプーンで掬って食べた始めた恭次郎はまた櫻子の方を向いてやる。
「夜、時間あったら……来て良いから。マンションの方……」
櫻子にとって精一杯の言葉に息を飲んだ恭次郎の頬もみるみる内に赤く色づく。こんなことを言われたのは初めてで、いつも自分が勝手に上り込んで、それを櫻子は受け入れてくれていたが……こんなにストレートな言葉を掛けられたのは初めてだった。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

虚弱なヤクザの駆け込み寺
菅井群青
恋愛
突然ドアが開いたとおもったらヤクザが抱えられてやってきた。
「今すぐ立てるようにしろ、さもなければ──」
「脅してる場合ですか?」
ギックリ腰ばかりを繰り返すヤクザの組長と、治療の相性が良かったために気に入られ、ヤクザ御用達の鍼灸院と化してしまった院に軟禁されてしまった女の話。
※なろう、カクヨムでも投稿
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

お隣さんはヤのつくご職業
古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。
残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。
元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。
……え、ちゃんとしたもん食え?
ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!!
ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ
建築基準法と物理法則なんて知りません
登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。
2020/5/26 完結

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
愛し愛され愛を知る。【完】
夏目萌(月嶋ゆのん)
恋愛
訳あって住む場所も仕事も無い神宮寺 真彩に救いの手を差し伸べたのは、国内で知らない者はいない程の大企業を経営しているインテリヤクザで鬼龍組組長でもある鬼龍 理仁。
住み込み家政婦として高額な月収で雇われた真彩には四歳になる息子の悠真がいる。
悠真と二人で鬼龍組の屋敷に身を置く事になった真彩は毎日懸命に家事をこなし、理仁は勿論、組員たちとの距離を縮めていく。
特に危険もなく、落ち着いた日々を過ごしていた真彩の前に一人の男が現れた事で、真彩は勿論、理仁の生活も一変する。
そして、その男の存在があくまでも雇い主と家政婦という二人の関係を大きく変えていく――。
これは、常に危険と隣り合わせで悲しませる相手を作りたくないと人を愛する事を避けてきた男と、大切なモノを守る為に自らの幸せを後回しにしてきた女が『生涯を共にしたい』と思える相手に出逢い、恋に落ちる物語。
※ あくまでもフィクションですので、その事を踏まえてお読みいただければと思います。設定等合わない場合はごめんなさい。また、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる