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第11話

キスだけして (4)

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 また日が変わる。
 デスクに頬杖をついていた恭次郎の疲れ切った表情と「先に新宿のショールームに行っておいて良かったでしょう?」と澄ました顔でデスクの前に腕を組んで仁王立ちをしている櫻子がいた。

「お前、他の仕事やりながらいつもこんな事やってたのかよ」
「私はたまたま性に合ってただけ」
「あ゛ぁ~……目がいてえ」

 会長席のデスク突っ伏して呻る恭次郎が座っていたのは肉厚な革張りのチェアではなく、体の大きな男性にも対応している海外製のビジネスチェア。櫻子と赴いたショールームで即決をしたのだがその金額に怖気づいた恭次郎は「必要経費だから」と言われた理由が今更ながらに分かった。

 情報を共有しましょう、と持ちかけられた恭次郎は櫻子がいつも閲覧しているデータへのアクセス権限を遂に持たされた。
 その内容について一通り目を通して欲しいとの事で言われた通りにしていて……今に至る。

「ちゃんと腰回りや背中を支えてくれるから腰痛にはなりにくいと思ったんだけど」
「ああ……それはな……助かってるが」

 恭次郎がデスクに着いている時間が長くなると必然的に付き人の足立も同じ事になる為に彼には国内メーカーの質の良い物を与えており、座り心地は随分と向上したそう。

 大崎の一件から暫く頻繁に恭次郎のもとを出入りしていた櫻子だったがここ数日は自宅のマンションや持っている店の事務所で仕事をしていた。今日は恭次郎が疲れてしおしおになっているのを足立からリークされたので面白半分で大崎と一緒に見に来ていたのだ。

「来る前に私のお店に寄って来てね。みんなにも差し入れあるから」

 オーナーをしている風俗店の黒服に美味しい昼ご飯を奢る、と約束をしていた櫻子は先ほどそれを届けに行って、その足で本部へと赴いていた。大崎も抗生物質などの薬の服用も終わり、傷の経過は順調ではあったがまだドライバーとしては使わずに付き人としてそばにいて欲しいと櫻子から頼まれ、今日も一緒に付いて回っている。

「これは恭次郎さんがお疲れでしょうから、って会長から」

 ちょこんと可愛らしい、明らかにケーキが入っていそうな紙袋が大崎の手によってデスクに置かれる。

「足立さん、他ンとこに配るの手伝って貰って良いですか」
「あ?ああ、分かった」
「経理部とかにも買ってきてあるんで」

 二人だけにしたいのだと察した足立は席から立ち「お前、傷口はもう大丈夫なのか?」と親のような眼差しで大崎に問いながら「少し席を外します」と会長室から出て行ってしまった。

「二人とも行っちゃった……」

 腕組みをしていた櫻子はその腕を解いて肩をすとんと落とす。

「これ、中身はコーヒーゼリーなんだけど、美味しいの。ちょっとパフェみたいになってて、甘すぎないから恭次郎でも好きかな、って……」

 どうやら自分で言っていて恥ずかしくなってしまったらしい櫻子は休憩した方がいい、と恭次郎に来客用のソファーに座るよう促す。
 今までは恭次郎の方から櫻子へプレゼント代わりに彼女好みのチョコレートや菓子を買って来たりしていたが、今日は櫻子が自分の為に選んで買ってきてくれたのだと知る。

 とても嬉しい事なのだが心変わり、角が取れたようになった境目はやはりあの夜だったのだろうかと恭次郎は思う。

「それとね」

 来客用のローテーブルにも紙袋が置いてあり、櫻子がその中身を取り出す。どうやらアイスドリンクらしくプラスチックのカップに紙製の蓋がされていた。

「こっちが鉄観音ミルクティーで、こっちがストレートの鉄観音烏龍茶なんだけどどっちにする?」

 並んで座れば恋人同士。
 体の大きな恭次郎の上腕に櫻子の細い肩が当たる距離感。
 以前まで置いてあった会長席の椅子と同じような革張りのソファーは柔らかすぎ、体重のある恭次郎の方に少し櫻子の体が傾いてしまう。

 根を詰めているだろうから、と櫻子が用意してくれた“おやつ”の時間。
 櫻子はミルクティーが好きなのを分かっていたので恭次郎はストレートティーを手にして早速、ストローをさすと口にする。

「香りが良いな」
「でしょう?」

 これも大崎君が見つけてくれたの、と嬉しそうに言う櫻子は「でもこっちは私が選んで来たから」とまるで恭次郎の心の中を読んだようにオシャレなカップ入りのコーヒーゼリーを箱から取り出して彼の前に置く。

「お前こういうカリカリ、好きだったろ」

 口を付ける前に、と恭次郎は添え物のビスキュイを櫻子の前に差し出して口元に寄せる。
 一瞬、ぎょっとした櫻子だったがニヤニヤしている恭次郎がしたいらしい事を受け入れる為に少しだけ唇を開く。

 つぷ、と口に差し込まれた小ぶりのビスキュイ。
 恭次郎が言ったようにカリカリとそれを咀嚼する櫻子の頬がみるみる内にチークの色を越えて赤くなっていく。
 なんなら若干、涙目だ。

「真っ赤じゃねえか」

 笑った恭次郎に頬の熱を冷ますようにアイスミルクティーを手に取る櫻子は自分の胸があまりにもどきどきしてしまい、これが本当の“胸のときめき”と言うやつなのでは、と自分自身に問いかける。今までだって一応、言葉にはしなかったが恭次郎の事は愛していた。

 しかし立場と言うものが、自分たちの生い立ちが今も自由な恋愛を阻んでいる。
 普通の恋人同士のなんでもない日の子供じみた触れ合いがこんなにも心を揺り動かすなど、櫻子は知らなかった。

「きょうじろ」
「ん?」

 うめえなコレ、とコーヒーゼリーをスプーンで掬って食べた始めた恭次郎はまた櫻子の方を向いてやる。

「夜、時間あったら……来て良いから。マンションの方……」

 櫻子にとって精一杯の言葉に息を飲んだ恭次郎の頬もみるみる内に赤く色づく。こんなことを言われたのは初めてで、いつも自分が勝手に上り込んで、それを櫻子は受け入れてくれていたが……こんなにストレートな言葉を掛けられたのは初めてだった。

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