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第11話
キスだけして (1)
しおりを挟む恭次郎に促されて下階のビジネスホテルにある仕事部屋へ戻った櫻子は濃いメイクを落とし、シャワーを浴びるとすぐにベッドに横になる。ここ数日の……大崎が刺された事件のあとから頭の中ではぐるぐると様々な考えが渦を巻き、心にも体にも大きなストレスになっていた。
こんな時は眠ってしまった方が良い。とろとろとした眠気の中で枕元に置いてあったスマートフォンに一つ、メッセージが届く。とても手短な一文に「寝てるかも」とだけ送って櫻子は起き上がる事もしなかった。
オートロックのドアが開き、また閉じられる微かな音。
薄暗い室内を抜けて寝室にやって来た恭次郎は眠そうにしている櫻子のベッドサイドに腰を下ろすと「俺の寝かしつけが無くても眠れそうだな」と冗談交じりに言う。けれどその声音は優しく、労わるようだった。
「きょうじろ、キスだけして」
「は……?」
半分だけ背を向けていた恭次郎は眠そうな櫻子の声に体ごと振り向く。
「お前あんまりそう言うのは」
「しないなら、する」
のそのそと上半身を起こして大きな体を強引に自分のもとに引きずり込もうとする櫻子に寝ぼけているんじゃないか、と恭次郎は思ってしまう。
「ま、て。待て」
今までただの一度もねだらなかったキス。
前回の深く、貪り合うように体を重ねた時から彼女の様子がどこか変わった。事態が事態、恭次郎も自身の今まで思っていた事を櫻子に伝えはしたがよくよく考えてみればあれはとんでもない告白だ。
守り、愛したいなどと本人にシラフの状態で伝えてしまった。
ベッドの中での甘い言葉では無く、本当にずっと……少年の頃から思っていた事をついに櫻子へ伝えてしまった。
なし崩し、崩れていく体勢。
ついには櫻子と向き合うように、普段なら身長差のある自分たちは目線がどうしても合わなかったが今は、櫻子のとろけた顔が目の前にあって――。
シャツに縋る細い手が顔を落として欲しい、と引き寄せる。
櫻子がそれを望むのなら、と恭次郎は顔を寄せたが櫻子の言うキスはすり、と唇が擦れ合うだけ。
すり、すり、と滑らせるような、いつしか心地よさそうに頬ずりをして……ひとしきりすりすりとした後、満足したのかシャツを掴んでいた手を緩めて「寝よ」と呟く。
「あ、ああ」
なんて、可愛かったのだろうか。
正直、少し欲を持ってしまったが安心したように眠ろうとしている櫻子の表情に恭次郎の体は……特に下半身あたりが少々切ないが今夜はもう自分もさっさと寝た方が良い。
気高い櫻子が見せてくれるギャップ。
日頃の彼女の事を知っているからこそ得られるこの特別感を独り占めにした恭次郎。シャツとスラックスは後で脱げば良いか、と掛布団を捲って開けてくれた櫻子の隣に身を寄せ、体を横向きにして向かい合っていた体に太い腕を回す。
櫻子の背中を撫でれば甘えるように自分の胸元に頭をぐりぐりと寄せて……眠ってしまった。
苦しくないのか、と思った恭次郎だったがなんとなくそうしたい時の気持ちを思い出す。三島邸に住むようになってから、安全な場所だと言うのに心にしみついてしまっていた恐怖に度々、うなされていた。
きっと誠一はしばしば様子を見に来てくれていたのだろう。うなされていたり、眠れずにいた幼かった頃の自分を筋肉質な腕はしっかりと抱き寄せ、一緒の布団で眠ってくれた。そんな時の誠一は何も言わず、決してからかったり邪険になどしなかった。
「お疲れさん」
本格的に眠るなら、と肌着と下着姿になろうとした離れ際、恭次郎の小さな呼びかけに櫻子の頭が僅かに頷く。
まだ起きてたのか、と少し驚いた恭次郎だったが身支度を整えてまたベッドに上がると櫻子を胸元に抱き寄せるように囲い込み、次第に訪れる眠気に瞼は自然と閉じて……二人は朝まで眠る。
カーテンを引いていなかった寝室。
差し込む朝の日差しの眩しさに眉根を寄せてとんでもなく渋い顔をして起きるぼさぼさ髪の櫻子。それを見上げて笑い出しそうになるのを恭次郎は必死に堪える。
そんな恭次郎にじとーっとした視線を送るすっぴんの櫻子は「朝の女なんてみんなこんなモノよ」と少し唇の先を尖らせてベッドにぺたんと座ったまま手櫛で髪を撫でつける。
自宅では無いのでホテルのローブを纏っていたがそれも寝乱れに着崩れ、艶めかしい胸元になっていた。
「正直、すごく疲れてる」
「ンなこたァ知ってる」
これは彼女の本心。
寝る前の甘えも、キスも、一人の女性として……恋人同士の戯れとして欲した事であって欲しい、と恭次郎は思う。
櫻子は父親、誠一がしてしまった事についてずっと罪悪感を抱いていた。
恭次郎が発見された当時、施設に預けてしまえば今ごろはカタギの人間として生きていけた筈の身を極道の道に引き入れてしまった事を悔やみ――その事について問おうとした矢先に誠一は殺されてしまった。
「実はまだ眠いの」
「あー……今日はここで横になってるか?」
それでも緩く首を横に振る櫻子は「大丈夫」と呟く。
共に寝起きだったが恭次郎は「しんどかったら俺でも、稔にでもちゃんと言えよ」と少し前に一度、飲み込んでしまった彼女を気遣う言葉を伝える。
恭次郎の優しさに素直に頷く櫻子は「状況にもよるけど、とりあえず最初のうちは部屋からリモートで良いかしら」と起きてはいるが会長室には向かわず、この仕事部屋にいたいと意思を示す。無理を押すような事も時には必要だが今日は昨夜の、櫻子が大崎と外に出て得て来たであろう情報を共有すべき日だった。
昨日は大井組長だけが召集されていたが今日は櫻子を知る三島の縁者である本部付きの上級幹部が呼ばれている。
「とりあえず私はモニター越しになるけれど代わりに大崎君を先に会議室に上げておくからよろしくね」
「おう」
襲われて怪我をした大崎は元、恭次郎の付き人でもある為に今回の会議に出入りする事に不自然さは無い。
「目が覚めないから……シャワー浴びてくる」
のそり、とベッドから降りた櫻子は「すっきりしたいからアイスティーの気分」と子供っぽく笑う。つまりは朝のシャワーの後に飲みたい、と言う事なのだが「会長様の仰せのままに」と恭しい言葉とは裏腹に恭次郎は笑う。
櫻子が大丈夫なのだと言うなら、きっと。
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