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第9話
音もなく広がる暗雲 (5)
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ぐ、と言いたい事を堪える櫻子は諜報部からも届く情報と映像に目をやれば現場は騒然としていて、多数の警察官たちに混じった救急隊員の姿も見受けられる。
モニターを見ていた櫻子の両手はぎゅっと強く、何かを堪えるように、祈るように組まれていた。
するとまた、着信が入る。
「恭次郎……大崎君が刺されて、怪我を」
足立との会話とは違う櫻子の不安が混じった声。
風呂に入った恭次郎は少し食事を摘まんでいた所だったのだが突如飛び込んできた“事件”は櫻子の柔らかな胸をきつく締め付けてしまっているのを声だけで感じ取る。
「ナイフで刺された、と言っても刃先が掠って……酷い怪我じゃないみたい。路上や店内の監視カメラや店員、一般人の証言も取れてるみたいだから、余程じゃ無きゃ桜東は不利にならない。だから私は明日、昼あたりに本部に行くから」
三島の名字を持つ本部執行役員と言っても外貨を稼ぐフロント企業のオーナーである櫻子は自分が今すぐに行動をしてしまう事は外の組織から見れば異常な事なのだと考えた。
いくら恭次郎の情婦だと思われていてもそんな女が構成員の“刃傷沙汰”で本部にすぐ乗り込むのはおかしい。あくまでも表向きの櫻子には武力行使などの権限は無いとされている。
しかし普通の揉め事じゃない、と言うのが問題だった。
切り付けてきたのは千玉の構成員との情報、そして大崎は多分……相手に直接、所属を明らかにしていない。彼は元から自分が大崎一家の息子であるとみだりに言いふらしたりなどせず、立場ある者になってからはそれを徹底している。
「なあ櫻子……ああ、いや……明日の昼、だな。軽いメシを用意させておく」
電話口の向こうの恭次郎は「大丈夫か」と言う言葉を飲み込んでしまった。
今、軽はずみな優しさを言葉にしてしまったら彼女はさらに落ち込むことなど恭次郎には分かり切っていた。
「もう一度問題を精査しましょう。幹部全員を招集すれば私が本部へ頻繁に赴いても不自然じゃない。まあ、私はあなたのオンナなのだから話の筋は多少、通らなくもないんだけど」
「お前なあ……」
恭次郎の声を聞いてどこか安心したように櫻子は通話終了のボタンを押してからふ、と息をついてモニターを見る。
――大崎稔が刺された。
正確には仲間たちと飲んでいた先で半グレに襲われそうになった見ず知らずの客を守ろうとして、ではあったが隠し持っていたナイフを振り上げた犯人の所属が悪かったのだ。
大崎を切りつけたのは千玉会直系、岸川組の長男。いわば大崎と似たような生まれの男。
半グレのケツモチをしていることで周囲では有名だったらしく、他の客とトラブルが起きて割って入った大崎の肩にナイフの先が掠めたようで……その大崎は到着した警察に対し、正直に身分を明らかにした。
そのせいで暴力団組織を取り締まる暴力団対策課、旧来の名称で言えば組対四課が現場に呼ばれた。
櫻子は大崎のメッセージアプリに全て上層部で対処するからまずは怪我の治療を優先して欲しい、と短いメッセージを送る。今、手当てと聴取などでそれどころではないだろうがこの事件はすぐに報道規制が入ると櫻子は踏んでいた。
たまたま、夜の繁華街に出ていた所属のカメラマンがスマートフォンで撮ったリアルタイムでのスクープ映像ではあるが桜東に非はない。
偶然、居合わせた大崎がかばっただけ。
何があったのだろか、憶測だけで議論するのは良くないのだがいくつもの可能性を立てておくことに意義はある。
諜報部から現場に人をやったと連絡が入る。
それと同時に胸元につけているボディカメラの映像が櫻子の目に映り、騒然としている現場には規制線が敷かれて見物人などで溢れていた。
しかし有能な桜東の諜報部員は現場だけでなくその場から少し身を引いて周囲を伺うように辺りを撮影する。それは以前、半グレやそれ以下の若い者たちの諍いの現場を千玉の構成員が撮影をしていた、と言う情報を元にした行動。
今回も必ず誰かが記録をしているに違いない、と諜報部は踏んだようだった。
まるで千玉の内部で相互監視をさせ、派閥の分裂を起こさせようとしている風にも櫻子は勘繰ってしまう。
現に、龍神と頻繁に交流を持っている者まで出て来ており、千玉の上層部はそれを黙認している節がある。
(何か大きな利権が絡んで……)
そして櫻子の仕事用のスマートフォンに直接送られてくるメッセージにまた厳しく顔を顰め、映像とメッセージを交互に見やる。
あくまでも、櫻子たちは白い組織では無い。
どんなに清楚な年相応のキャリアウーマンを装っていても、裏では利権の甘い汁を啜る。何十人もの自分と同性の女性たちの体を毎日売り物にし、大きなカネを得ている。
櫻子の商売はそれだけでは無い。主となっているのが風俗店であって他にも土地や不動産の売買から法律すれすれの高利貸、両手では足りない桜東の事業を管理していた。
櫻子はすぐにメッセージを送り返すと相手は立場的に返答について困っているようだった。だが、彼女が咄嗟に思い付いた案は相手にとってデメリットになる部分は少ない。
付けっぱなしのモニターでは未だ現場にいるカメラマンが「どうやら他の客同士のトラブルに男性が巻き込まれ」と話を始める。そうだ、一般人にはそれくらいしか分からない。
そこへ自分たちを“管理する刑事”が紛れ込んでいるなど、見る者が見なければ分からない状況。
情報戦を得意とする桜東は――櫻子は、抜け目なく状況の整理を始めると方々に連絡を取り始める。
モニターを見ていた櫻子の両手はぎゅっと強く、何かを堪えるように、祈るように組まれていた。
するとまた、着信が入る。
「恭次郎……大崎君が刺されて、怪我を」
足立との会話とは違う櫻子の不安が混じった声。
風呂に入った恭次郎は少し食事を摘まんでいた所だったのだが突如飛び込んできた“事件”は櫻子の柔らかな胸をきつく締め付けてしまっているのを声だけで感じ取る。
「ナイフで刺された、と言っても刃先が掠って……酷い怪我じゃないみたい。路上や店内の監視カメラや店員、一般人の証言も取れてるみたいだから、余程じゃ無きゃ桜東は不利にならない。だから私は明日、昼あたりに本部に行くから」
三島の名字を持つ本部執行役員と言っても外貨を稼ぐフロント企業のオーナーである櫻子は自分が今すぐに行動をしてしまう事は外の組織から見れば異常な事なのだと考えた。
いくら恭次郎の情婦だと思われていてもそんな女が構成員の“刃傷沙汰”で本部にすぐ乗り込むのはおかしい。あくまでも表向きの櫻子には武力行使などの権限は無いとされている。
しかし普通の揉め事じゃない、と言うのが問題だった。
切り付けてきたのは千玉の構成員との情報、そして大崎は多分……相手に直接、所属を明らかにしていない。彼は元から自分が大崎一家の息子であるとみだりに言いふらしたりなどせず、立場ある者になってからはそれを徹底している。
「なあ櫻子……ああ、いや……明日の昼、だな。軽いメシを用意させておく」
電話口の向こうの恭次郎は「大丈夫か」と言う言葉を飲み込んでしまった。
今、軽はずみな優しさを言葉にしてしまったら彼女はさらに落ち込むことなど恭次郎には分かり切っていた。
「もう一度問題を精査しましょう。幹部全員を招集すれば私が本部へ頻繁に赴いても不自然じゃない。まあ、私はあなたのオンナなのだから話の筋は多少、通らなくもないんだけど」
「お前なあ……」
恭次郎の声を聞いてどこか安心したように櫻子は通話終了のボタンを押してからふ、と息をついてモニターを見る。
――大崎稔が刺された。
正確には仲間たちと飲んでいた先で半グレに襲われそうになった見ず知らずの客を守ろうとして、ではあったが隠し持っていたナイフを振り上げた犯人の所属が悪かったのだ。
大崎を切りつけたのは千玉会直系、岸川組の長男。いわば大崎と似たような生まれの男。
半グレのケツモチをしていることで周囲では有名だったらしく、他の客とトラブルが起きて割って入った大崎の肩にナイフの先が掠めたようで……その大崎は到着した警察に対し、正直に身分を明らかにした。
そのせいで暴力団組織を取り締まる暴力団対策課、旧来の名称で言えば組対四課が現場に呼ばれた。
櫻子は大崎のメッセージアプリに全て上層部で対処するからまずは怪我の治療を優先して欲しい、と短いメッセージを送る。今、手当てと聴取などでそれどころではないだろうがこの事件はすぐに報道規制が入ると櫻子は踏んでいた。
たまたま、夜の繁華街に出ていた所属のカメラマンがスマートフォンで撮ったリアルタイムでのスクープ映像ではあるが桜東に非はない。
偶然、居合わせた大崎がかばっただけ。
何があったのだろか、憶測だけで議論するのは良くないのだがいくつもの可能性を立てておくことに意義はある。
諜報部から現場に人をやったと連絡が入る。
それと同時に胸元につけているボディカメラの映像が櫻子の目に映り、騒然としている現場には規制線が敷かれて見物人などで溢れていた。
しかし有能な桜東の諜報部員は現場だけでなくその場から少し身を引いて周囲を伺うように辺りを撮影する。それは以前、半グレやそれ以下の若い者たちの諍いの現場を千玉の構成員が撮影をしていた、と言う情報を元にした行動。
今回も必ず誰かが記録をしているに違いない、と諜報部は踏んだようだった。
まるで千玉の内部で相互監視をさせ、派閥の分裂を起こさせようとしている風にも櫻子は勘繰ってしまう。
現に、龍神と頻繁に交流を持っている者まで出て来ており、千玉の上層部はそれを黙認している節がある。
(何か大きな利権が絡んで……)
そして櫻子の仕事用のスマートフォンに直接送られてくるメッセージにまた厳しく顔を顰め、映像とメッセージを交互に見やる。
あくまでも、櫻子たちは白い組織では無い。
どんなに清楚な年相応のキャリアウーマンを装っていても、裏では利権の甘い汁を啜る。何十人もの自分と同性の女性たちの体を毎日売り物にし、大きなカネを得ている。
櫻子の商売はそれだけでは無い。主となっているのが風俗店であって他にも土地や不動産の売買から法律すれすれの高利貸、両手では足りない桜東の事業を管理していた。
櫻子はすぐにメッセージを送り返すと相手は立場的に返答について困っているようだった。だが、彼女が咄嗟に思い付いた案は相手にとってデメリットになる部分は少ない。
付けっぱなしのモニターでは未だ現場にいるカメラマンが「どうやら他の客同士のトラブルに男性が巻き込まれ」と話を始める。そうだ、一般人にはそれくらいしか分からない。
そこへ自分たちを“管理する刑事”が紛れ込んでいるなど、見る者が見なければ分からない状況。
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