【R18】『東京くらくら享楽心中』

緑野かえる

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第8話

誘惑 (1)

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「なーみのるー」

 恭次郎の機嫌が良い。
 何と言うか、普通に楽しんでいる。
 主に一階と二階の二層構造。今回の恭次郎のビジネスチェアなどを見て回る、と言う主目的により二階のショールームのフロアから回り始めた三人。普段、自分たちが立ち入らない場所は恭次郎の目を惹いたのか、純粋に楽しいらしく櫻子よりも弟分のような大崎によく話しかけている。

 櫻子も櫻子でそんな年上と年下の男二人の相手をしながら部屋に取り入れても良いかな、と思う物を見ていた。
 そしていざ、オフィス系のセクションに来れば恭次郎のみならず大崎も一緒になって試しに座ったりと吟味を始める。

「櫻子、お前のってどのくらいしたんだ?俺、そっちの相場には疎いんだが」
「そうねえ……今、恭次郎が座っているやつの●脚分、かしら」

 プライスカードを覗き込みながらさらっと言う櫻子に一瞬だけうわ、と言う表情をした恭次郎だが事務仕事をしている時間を考えれば妥当である。そうでもしないと体を傷めてしまうのだ。

「でもそれは本部の下の部屋に置いている方。自宅で使っているのはもう少ししたような気がする」
「椅子と机はオーナーのこだわりポイントですからね」
「ってかそれくらいだろ、お前が興味持ってんの」
「そうかしら。恭次郎が知らない私の事を大崎君は知ってるかもしれないのに?」
「なっ……」
「冗談やめてくださいよオーナー」

 その日は珍しく櫻子が笑っていた。
 本当に、どこかの会社の仲の良い先輩と後輩のように。

 気分転換も兼ねていた今日のほんの少しの遠出。
 行き先は家具量販店だけではあったが二階にあるショールームフロアから一階の生活雑貨が多いフロアへと移れば大崎はカートを押してきて櫻子に必要な生活雑貨を幾つか見繕う。そんな合間に恭次郎と櫻子の背をちらりと見た。

 何やらマグカップを見ている二人。
 背が高く、ガタイの良い恭次郎が少し頭を櫻子の方に傾けて、櫻子は棚を見上げて何か恭次郎に向けて話をしている。

 聞き耳は立てない。
 今だけはそっとしておいてあげよう、と大崎は「キッチンペーパー取ってきますね」と声だけ掛ける。
 二人ともいい気分転換になったかな、とまたすぐに大崎が戻ってくれば櫻子の左右の手にはピンクとネイビーカラーの大きなマグカップが一つずつ握られていた。

「来客用のじゃ足りないって言うから」

 今の所、櫻子の部屋のキッチンには愛用している花柄のマグカップ以外に大きい物は無い。物を持たないせいもあるが来客も滅多にないからだ。部屋に上がるのは自分と恭次郎くらい。

「大崎君は何色にする?私はピンク、恭次郎がネイビーで」
「俺ッスか?!」

 量販店の何でもない、安価なマグカップ。
 模様は同じでもカラーバリエーションが豊富なそれを三人で揃えよう、と楽しそうに提案する櫻子に対して断りを入れるのは無粋だった。
 恭次郎は「ガキじゃあるまいし」と言っているがその表情は明るい。

「じゃあ俺は緑のやつにします」

 カートの中には模様がお揃いのマグカップが三つ。
 それからしばらく生活用品フロアを巡ってカートの中にはベッドサイドに置くようなアロマキャンドル風のLEDライトが一つ、櫻子の手によって追加される。楽しそうな櫻子と恭次郎を眺めながら後ろからカートを押している大崎だったが買い物も終盤に差し掛かったところでくるりと櫻子が振り返る。

「あのね、ちょっと二人に相談なんだけど」

 櫻子の視線が店舗の一画へと向く。
 会計の場所でもなく、大型の商品が置いてある倉庫の方でもなく。言ったそばから恥ずかしそうに少し俯いて視線を泳がせている。

「ソフトクリーム、食べたいの」

 それはまるで消え入りそうな声だった。
 きょとんとしている大崎と何のリアクションも取れていない恭次郎だったが櫻子の頬は上品なチークだけではない赤さを持ち、整えられている爪の先は彼女の革の長財布にぎゅっと食い込んでいた。

 ここで吹き出したら絶対に櫻子の事を傷つける、とこらえる恭次郎と「お、俺も!!」と咄嗟の切り返しに成功した年下の大崎。
 そうだ、櫻子は……と恭次郎は少し呼吸を整えてから「休憩してから帰るか」と提案をすれば顔を上げた櫻子が見せた嬉しそうな表情に面食らってしまう。

 高価な貴金属は自腹で用意出来てしまう櫻子……しかし彼女はこう言うジャンクな物が好きだった、と恭次郎は昔を少し思い返す。

「ってか安すぎねえか、流石にコレでアガリがあるのかよ」
「どっかしらで利益出てるんスかね」

 まだ頬の赤い櫻子を真ん中に軽いお昼ご飯がてら他にもメニューを一通り頼むかどうかを話し合う大人たち。櫻子が食べきれなくても大体は恭次郎が食べてしまうし今日は大崎もいるので「好きなの頼め」と促せばいつもは硬派な櫻子がうん、と短くもしっかりと頷く。

 ・・・

 帰りの車内、走り出してから程なくして口数が減っていっていた櫻子が瞼を閉じてしまった。
 それを隣で見ていた恭次郎は珍しく腹いっぱい食ったからだろうか、と考える。大崎との会話も程々の静かな車内はまた東京の魔窟へと帰ってゆく。

 眠りの浅い櫻子がこうして眠ると言うのは安心感もあるのだろうが、やはり疲れているのだろうか。気晴らしになると思って連れ出してみたが、これで良かったのだろうか。

 恥ずかしそうにソフトクリームが食べたい、とそれからも自分の食べたい物を言う櫻子は可愛かったがまた彼女は裏社会の非日常の夜の中へ身を沈める。そうやって沈んだまま、もう上がって来られなくなってしまう日がいつか来てしまうその前に……束の間の、楽しい思い出を作るように。

「稔、いつも悪いな」

 恭次郎のその一言は何に於いての謝罪か、本革のハンドルを握っていた大崎は返事に詰まってしまい、短く首を横に振る。

 年下の大崎に何かを打ち明けようとして躊躇った恭次郎。
 大崎はルームミラー越しに二人を見て、思う。
 きっと、恭次郎も櫻子が生涯の全てだと……今日一日、同行していて分かってしまった二人の危うくて悲しい関係性。

 互いに依存してしまえば、それはそれで成立……いや、きっと違う。ぐるぐると考えてしまう前に大崎は「恭次郎さんもゆっくりしていて下さい」と静かに声をかけるにとどめておいた。
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