37 / 78
第8話
誘惑 (1)
しおりを挟む「なーみのるー」
恭次郎の機嫌が良い。
何と言うか、普通に楽しんでいる。
主に一階と二階の二層構造。今回の恭次郎のビジネスチェアなどを見て回る、と言う主目的により二階のショールームのフロアから回り始めた三人。普段、自分たちが立ち入らない場所は恭次郎の目を惹いたのか、純粋に楽しいらしく櫻子よりも弟分のような大崎によく話しかけている。
櫻子も櫻子でそんな年上と年下の男二人の相手をしながら部屋に取り入れても良いかな、と思う物を見ていた。
そしていざ、オフィス系のセクションに来れば恭次郎のみならず大崎も一緒になって試しに座ったりと吟味を始める。
「櫻子、お前のってどのくらいしたんだ?俺、そっちの相場には疎いんだが」
「そうねえ……今、恭次郎が座っているやつの●脚分、かしら」
プライスカードを覗き込みながらさらっと言う櫻子に一瞬だけうわ、と言う表情をした恭次郎だが事務仕事をしている時間を考えれば妥当である。そうでもしないと体を傷めてしまうのだ。
「でもそれは本部の下の部屋に置いている方。自宅で使っているのはもう少ししたような気がする」
「椅子と机はオーナーのこだわりポイントですからね」
「ってかそれくらいだろ、お前が興味持ってんの」
「そうかしら。恭次郎が知らない私の事を大崎君は知ってるかもしれないのに?」
「なっ……」
「冗談やめてくださいよオーナー」
その日は珍しく櫻子が笑っていた。
本当に、どこかの会社の仲の良い先輩と後輩のように。
気分転換も兼ねていた今日のほんの少しの遠出。
行き先は家具量販店だけではあったが二階にあるショールームフロアから一階の生活雑貨が多いフロアへと移れば大崎はカートを押してきて櫻子に必要な生活雑貨を幾つか見繕う。そんな合間に恭次郎と櫻子の背をちらりと見た。
何やらマグカップを見ている二人。
背が高く、ガタイの良い恭次郎が少し頭を櫻子の方に傾けて、櫻子は棚を見上げて何か恭次郎に向けて話をしている。
聞き耳は立てない。
今だけはそっとしておいてあげよう、と大崎は「キッチンペーパー取ってきますね」と声だけ掛ける。
二人ともいい気分転換になったかな、とまたすぐに大崎が戻ってくれば櫻子の左右の手にはピンクとネイビーカラーの大きなマグカップが一つずつ握られていた。
「来客用のじゃ足りないって言うから」
今の所、櫻子の部屋のキッチンには愛用している花柄のマグカップ以外に大きい物は無い。物を持たないせいもあるが来客も滅多にないからだ。部屋に上がるのは自分と恭次郎くらい。
「大崎君は何色にする?私はピンク、恭次郎がネイビーで」
「俺ッスか?!」
量販店の何でもない、安価なマグカップ。
模様は同じでもカラーバリエーションが豊富なそれを三人で揃えよう、と楽しそうに提案する櫻子に対して断りを入れるのは無粋だった。
恭次郎は「ガキじゃあるまいし」と言っているがその表情は明るい。
「じゃあ俺は緑のやつにします」
カートの中には模様がお揃いのマグカップが三つ。
それからしばらく生活用品フロアを巡ってカートの中にはベッドサイドに置くようなアロマキャンドル風のLEDライトが一つ、櫻子の手によって追加される。楽しそうな櫻子と恭次郎を眺めながら後ろからカートを押している大崎だったが買い物も終盤に差し掛かったところでくるりと櫻子が振り返る。
「あのね、ちょっと二人に相談なんだけど」
櫻子の視線が店舗の一画へと向く。
会計の場所でもなく、大型の商品が置いてある倉庫の方でもなく。言ったそばから恥ずかしそうに少し俯いて視線を泳がせている。
「ソフトクリーム、食べたいの」
それはまるで消え入りそうな声だった。
きょとんとしている大崎と何のリアクションも取れていない恭次郎だったが櫻子の頬は上品なチークだけではない赤さを持ち、整えられている爪の先は彼女の革の長財布にぎゅっと食い込んでいた。
ここで吹き出したら絶対に櫻子の事を傷つける、とこらえる恭次郎と「お、俺も!!」と咄嗟の切り返しに成功した年下の大崎。
そうだ、櫻子は……と恭次郎は少し呼吸を整えてから「休憩してから帰るか」と提案をすれば顔を上げた櫻子が見せた嬉しそうな表情に面食らってしまう。
高価な貴金属は自腹で用意出来てしまう櫻子……しかし彼女はこう言うジャンクな物が好きだった、と恭次郎は昔を少し思い返す。
「ってか安すぎねえか、流石にコレでアガリがあるのかよ」
「どっかしらで利益出てるんスかね」
まだ頬の赤い櫻子を真ん中に軽いお昼ご飯がてら他にもメニューを一通り頼むかどうかを話し合う大人たち。櫻子が食べきれなくても大体は恭次郎が食べてしまうし今日は大崎もいるので「好きなの頼め」と促せばいつもは硬派な櫻子がうん、と短くもしっかりと頷く。
・・・
帰りの車内、走り出してから程なくして口数が減っていっていた櫻子が瞼を閉じてしまった。
それを隣で見ていた恭次郎は珍しく腹いっぱい食ったからだろうか、と考える。大崎との会話も程々の静かな車内はまた東京の魔窟へと帰ってゆく。
眠りの浅い櫻子がこうして眠ると言うのは安心感もあるのだろうが、やはり疲れているのだろうか。気晴らしになると思って連れ出してみたが、これで良かったのだろうか。
恥ずかしそうにソフトクリームが食べたい、とそれからも自分の食べたい物を言う櫻子は可愛かったがまた彼女は裏社会の非日常の夜の中へ身を沈める。そうやって沈んだまま、もう上がって来られなくなってしまう日がいつか来てしまうその前に……束の間の、楽しい思い出を作るように。
「稔、いつも悪いな」
恭次郎のその一言は何に於いての謝罪か、本革のハンドルを握っていた大崎は返事に詰まってしまい、短く首を横に振る。
年下の大崎に何かを打ち明けようとして躊躇った恭次郎。
大崎はルームミラー越しに二人を見て、思う。
きっと、恭次郎も櫻子が生涯の全てだと……今日一日、同行していて分かってしまった二人の危うくて悲しい関係性。
互いに依存してしまえば、それはそれで成立……いや、きっと違う。ぐるぐると考えてしまう前に大崎は「恭次郎さんもゆっくりしていて下さい」と静かに声をかけるにとどめておいた。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

虚弱なヤクザの駆け込み寺
菅井群青
恋愛
突然ドアが開いたとおもったらヤクザが抱えられてやってきた。
「今すぐ立てるようにしろ、さもなければ──」
「脅してる場合ですか?」
ギックリ腰ばかりを繰り返すヤクザの組長と、治療の相性が良かったために気に入られ、ヤクザ御用達の鍼灸院と化してしまった院に軟禁されてしまった女の話。
※なろう、カクヨムでも投稿
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

お隣さんはヤのつくご職業
古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。
残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。
元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。
……え、ちゃんとしたもん食え?
ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!!
ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ
建築基準法と物理法則なんて知りません
登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。
2020/5/26 完結
愛し愛され愛を知る。【完】
夏目萌(月嶋ゆのん)
恋愛
訳あって住む場所も仕事も無い神宮寺 真彩に救いの手を差し伸べたのは、国内で知らない者はいない程の大企業を経営しているインテリヤクザで鬼龍組組長でもある鬼龍 理仁。
住み込み家政婦として高額な月収で雇われた真彩には四歳になる息子の悠真がいる。
悠真と二人で鬼龍組の屋敷に身を置く事になった真彩は毎日懸命に家事をこなし、理仁は勿論、組員たちとの距離を縮めていく。
特に危険もなく、落ち着いた日々を過ごしていた真彩の前に一人の男が現れた事で、真彩は勿論、理仁の生活も一変する。
そして、その男の存在があくまでも雇い主と家政婦という二人の関係を大きく変えていく――。
これは、常に危険と隣り合わせで悲しませる相手を作りたくないと人を愛する事を避けてきた男と、大切なモノを守る為に自らの幸せを後回しにしてきた女が『生涯を共にしたい』と思える相手に出逢い、恋に落ちる物語。
※ あくまでもフィクションですので、その事を踏まえてお読みいただければと思います。設定等合わない場合はごめんなさい。また、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
禁断溺愛
流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる