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第7話
二人の朝 (5)
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マンションの地下駐車場にある車寄せで既に待っていてくれた大崎が運転する櫻子用の黒塗り。後部座席に二人で乗り込もうとすれば恭次郎が座ろうとした所には櫻子のカシミヤのブランケットが置きっぱなしになっていた。大崎は先に櫻子の乗り込む方へ回ってドアを開けていたので恭次郎は勝手に自分で開けて乗り込む前にそれを手に取る。
「掛けるか?」
これ、とブランケットを手に問う男に頷けばさっとタイトスカートの膝に柔らかな織物が掛けられる。
「恭次郎さん、ジャケットは」
「ああ、前に置いといてくれ」
振り向いて大きなスーツのジャケットを受け取る大崎はそれを丁寧に助手席に置くと「それじゃあ出発ッスね」と緩やかにアクセルを踏み、地下から地上へと出る。
濃いスモークではあるがフロントガラスから差し込む午前の日差しの明るさに櫻子は少し眉を寄せてスマートフォンを取り出すと恭次郎に気づかれないように素早くメッセージを確認する。既に諜報部には行先を伝えてある。強固な警備ではないが行先だけは把握しておいて欲しかった。特に自分たちの縄張りの外へ行くともなればなおさら。
今の状況を鑑みて、櫻子はそれを選択する。
自分に一切のプライベートなんて無いし、選んでしまったのは自分なのだ。もし全てを恭次郎に任せていたら、ただのフロント企業の経営者で、恭次郎の恋人であった筈。
「買い物ならネクタイも要らねえか。稔、お前も楽にしてくれ」
「ッス、有難うございます」
先ほど締めたばかりのネクタイを解いてしまう恭次郎だが櫻子も“ただの買い物”を装う為に年相応の綺麗なオフィスカジュアルの服装だった。
外で恭次郎といる時は彼の情婦である為に、服の格をわざと下げている。そう言う所にまで、神経を使う。
「あ、そうだ。ついでに会長の部屋のキッチン用品、少し買い足しても良いッスか。消耗品の類いのストックが丁度切れそうで」
「ええ、それはいつも大崎君に任せきりだから」
「キッチンペーパーと、スポンジも新しくして」
「稔、お前アレだな。すげえヤツだな」
若いながらに生活能力が高い大崎。
生まれた時から極道の世界を見て来たお陰で優秀ではあったが本当に櫻子の生活の面倒までしっかり見ている。そんな事ないッスよ、と笑っているが「ついでのついでに棚の中がごちゃつきやすいから仕切りみたいなのも良いッスか」と話が始まる。
「昔から物の少ない部屋だったが」
「むしろ収納が苦手なのよ……手に負えるくらいじゃないと片付けもそこそこにすぐソファーに座っちゃうし」
「ああ……今のでなんか納得した気がするな」
恭次郎の脳裏にある学生時代の櫻子の一人暮らしの部屋。
三島の血が薄い分家の女性が出産し“都会から離れた場所で育てていた”と言う筋書き。その間、その分家の女性は実際に山梨の別荘地近くに住まわせていた。
そんな所にまで他の組織の目などない、と判断してのこと。
誠一の妻、章子は心を病んで療養しているとも、カネを持ってどこかへ行ってしまったとも流布された。時代はバブル経済の終焉時期と重なり、どうせ誠一には他に女がいて耐え切れなくなっただけだと……三島本家、誠一の意思で意図的に姿を消された章子とそのお腹の中にいた櫻子。
一度だけ見せて貰った母と子の後ろ姿は一般人と変わらない質素さで、それは櫻子が母親を失って高校生になり、一人暮らしを始めた時も変わっていなかった。きっとそれは章子の育て方がそうだったのだろうと思っていたが。
「自分で管理が出来ない自分が嫌、なのかも。だからもう最初から物理的に物を減らしてしまえば良いって」
「極論っちゃあそうだが」
「アレですよね、ミニマリスト?でも会長は天然モノかなあ」
ふふ、と笑って見せた櫻子は窓の外に視線を向ける。
そんな彼女の膝の上、カシミヤのブランケットの上で重なるその手の――左手の薬指には当たり前のようになにもない。小指には一応、線の細いシンプルなピンキーリングが嵌められているが恭次郎は一度も櫻子に貴金属を贈った事が無かった。
正確には断られている、のだが……立場上、左手薬指に嵌めるわけにも行かないのは重々承知している。
彼女に何か残せるものがあったらな、と考えてみてもどうしても指輪とかネックレスとか、貴金属に行きついてしまう。
ボキャブラリーねえなあ、と恭次郎も窓の向こうを見る。
大崎の無駄のないアクセルワークと平日ではあったが事故渋滞なども無く順調に首都高を抜けて京葉道路、船橋方面へと向かう三人。
・・・
順調だった道のりのお陰で店舗に到着するまで一時間。
「稔もネクタイ要らねえだろ」
楽にして構わない、と言われていたのでジャケットは置いて行こうとしたが流石にネクタイは、と思ったのも束の間。
「良いんじゃない?会社の先輩と後輩みたいな感じで」
「ああ、それだ」
櫻子からもお墨付きを貰ってしまった大崎は言われた通りに服装を緩めると大人三人でちょっとしたオフィス家具や備品を買いに来たような組み合わせになる。
何も喋らなければ三人の立場など誰も知らない。
そうやって一般人の日常に非日常的な裏社会に生きる者たちは静かに溶け込んでいく。
「掛けるか?」
これ、とブランケットを手に問う男に頷けばさっとタイトスカートの膝に柔らかな織物が掛けられる。
「恭次郎さん、ジャケットは」
「ああ、前に置いといてくれ」
振り向いて大きなスーツのジャケットを受け取る大崎はそれを丁寧に助手席に置くと「それじゃあ出発ッスね」と緩やかにアクセルを踏み、地下から地上へと出る。
濃いスモークではあるがフロントガラスから差し込む午前の日差しの明るさに櫻子は少し眉を寄せてスマートフォンを取り出すと恭次郎に気づかれないように素早くメッセージを確認する。既に諜報部には行先を伝えてある。強固な警備ではないが行先だけは把握しておいて欲しかった。特に自分たちの縄張りの外へ行くともなればなおさら。
今の状況を鑑みて、櫻子はそれを選択する。
自分に一切のプライベートなんて無いし、選んでしまったのは自分なのだ。もし全てを恭次郎に任せていたら、ただのフロント企業の経営者で、恭次郎の恋人であった筈。
「買い物ならネクタイも要らねえか。稔、お前も楽にしてくれ」
「ッス、有難うございます」
先ほど締めたばかりのネクタイを解いてしまう恭次郎だが櫻子も“ただの買い物”を装う為に年相応の綺麗なオフィスカジュアルの服装だった。
外で恭次郎といる時は彼の情婦である為に、服の格をわざと下げている。そう言う所にまで、神経を使う。
「あ、そうだ。ついでに会長の部屋のキッチン用品、少し買い足しても良いッスか。消耗品の類いのストックが丁度切れそうで」
「ええ、それはいつも大崎君に任せきりだから」
「キッチンペーパーと、スポンジも新しくして」
「稔、お前アレだな。すげえヤツだな」
若いながらに生活能力が高い大崎。
生まれた時から極道の世界を見て来たお陰で優秀ではあったが本当に櫻子の生活の面倒までしっかり見ている。そんな事ないッスよ、と笑っているが「ついでのついでに棚の中がごちゃつきやすいから仕切りみたいなのも良いッスか」と話が始まる。
「昔から物の少ない部屋だったが」
「むしろ収納が苦手なのよ……手に負えるくらいじゃないと片付けもそこそこにすぐソファーに座っちゃうし」
「ああ……今のでなんか納得した気がするな」
恭次郎の脳裏にある学生時代の櫻子の一人暮らしの部屋。
三島の血が薄い分家の女性が出産し“都会から離れた場所で育てていた”と言う筋書き。その間、その分家の女性は実際に山梨の別荘地近くに住まわせていた。
そんな所にまで他の組織の目などない、と判断してのこと。
誠一の妻、章子は心を病んで療養しているとも、カネを持ってどこかへ行ってしまったとも流布された。時代はバブル経済の終焉時期と重なり、どうせ誠一には他に女がいて耐え切れなくなっただけだと……三島本家、誠一の意思で意図的に姿を消された章子とそのお腹の中にいた櫻子。
一度だけ見せて貰った母と子の後ろ姿は一般人と変わらない質素さで、それは櫻子が母親を失って高校生になり、一人暮らしを始めた時も変わっていなかった。きっとそれは章子の育て方がそうだったのだろうと思っていたが。
「自分で管理が出来ない自分が嫌、なのかも。だからもう最初から物理的に物を減らしてしまえば良いって」
「極論っちゃあそうだが」
「アレですよね、ミニマリスト?でも会長は天然モノかなあ」
ふふ、と笑って見せた櫻子は窓の外に視線を向ける。
そんな彼女の膝の上、カシミヤのブランケットの上で重なるその手の――左手の薬指には当たり前のようになにもない。小指には一応、線の細いシンプルなピンキーリングが嵌められているが恭次郎は一度も櫻子に貴金属を贈った事が無かった。
正確には断られている、のだが……立場上、左手薬指に嵌めるわけにも行かないのは重々承知している。
彼女に何か残せるものがあったらな、と考えてみてもどうしても指輪とかネックレスとか、貴金属に行きついてしまう。
ボキャブラリーねえなあ、と恭次郎も窓の向こうを見る。
大崎の無駄のないアクセルワークと平日ではあったが事故渋滞なども無く順調に首都高を抜けて京葉道路、船橋方面へと向かう三人。
・・・
順調だった道のりのお陰で店舗に到着するまで一時間。
「稔もネクタイ要らねえだろ」
楽にして構わない、と言われていたのでジャケットは置いて行こうとしたが流石にネクタイは、と思ったのも束の間。
「良いんじゃない?会社の先輩と後輩みたいな感じで」
「ああ、それだ」
櫻子からもお墨付きを貰ってしまった大崎は言われた通りに服装を緩めると大人三人でちょっとしたオフィス家具や備品を買いに来たような組み合わせになる。
何も喋らなければ三人の立場など誰も知らない。
そうやって一般人の日常に非日常的な裏社会に生きる者たちは静かに溶け込んでいく。
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