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第7話

二人の朝 (2)

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 心と体のバランスが上手くとれていない。
 少し前から分かっていた筈だ。

 だから、恭次郎には見せたくない。
 自分が弱っていると知れば彼は優しく抱きしめて、甘えても良いのだと耳もとで囁いてくれる。
 それがどうしても、つらいのだ。

「疲れてんなら横になってろよ、と言いたい所だが」

 お前にはお前の仕事があるしなあ、とぼやいてすぐソファーに行ってしまった恭次郎はテレビを点けて朝のワイドショーを見始める。
 気を遣わせた、と分かってしまう櫻子も「千玉の子を殴った子って」と少しぬるくなってしまったコーヒーを手に話しかけて仕事の話をしようと持ちかければ恭次郎も応えてくれた。

「アレだろ?よくある俺たちの常套手段。相手をいい塩梅に怒らせて先に手を出させてから揺するっつー」
「古臭いやり方だけど明らかな挑発の証拠が残っていたとしても手を出した方が負け、だものね」
「ガキ同士じゃあその引き際は分かんねえよなあ」
「今の子って私たちが思っているよりも危ない面があるから、抑止力になるような目上の人間が必要なんだけど……そうね……」

 少し考えた櫻子だったが「いたわ」と口を開く。

「ヤンチャしてたけど今はちょっと良い役職にいる丁度いい子」
「ああ、いたなァ」

 それはとても二人にとって身近な人物だった。
 二人がコーヒーを飲み始めてから小一時間後には櫻子の部屋のインターホンが鳴り、コンビニの大きな袋を提げて入って来る一人の若い男。

「ッス、御苦労様です」
「急にご飯お願いしてごめんね」
「御疲れさん」

 既に身支度を整えていた櫻子とまだ部屋着の恭次郎にコンビニで食糧を買い込んできた大崎が短く頭を下げる。この部屋で恭次郎を見るのは何だかんだで初めてだったが大崎は櫻子に頼まれ、本部に寄って足立から恭次郎のスーツ一式も預かってきていた。
 昨晩の香水の匂いが残っていてどうにも気に入らない、と着替えるのを拒んだせいもあったのだが恭次郎は「まあ座ってくれ」と入ってすぐのオフィス兼応接間ではなくプライベートな奥のリビングダイニングのソファーに座るよう促す。

 大きなコンビニの袋は既に櫻子が受け取ってしまった。

 普通に同棲をしているカップルの部屋に上がり込んだような状態の大崎はいつもだったら気軽に座ってしまうソファーに座るのを若干、躊躇う。

「お前そんなに俺が怖いか?」
「い、いえ、そんな事は」

 修行と称して足立と共に恭次郎の付き人をしていた事もあった大崎だったがむしろ随分とラフな格好の大男を前に……濃い墨が袖からはみ出しているのを見て、それがお尻の方まで、と櫻子が言っていた事を思い出してしまう。
 今、そんな風に入れ墨を彫る人間は大体ニッチな趣味や嗜好を持つ者が多く、ヤクザと言えども入れていない者も多い。大崎もその部類だった。一応、ピアスはいくつか開けているがそれくらいしか人体に云々と言う行為はしていない。

 一節によると恭次郎の背には桜東会の所属を示す飛び鳳凰と桜が彫られているとの事。足立は全貌を知っているだろうが大崎はそれを見たことが無かった。

「失礼します」

 いくら大きなソファーの端と端とは言え、近い。

「お前にしか出来ねえ事を頼みたいんだが」

 とりあえずまずは朝メシだな、と「どっち食べる?」と袋の中身を見せに来た櫻子に恭次郎は普通に幕の内弁当を選ぶ。大崎は櫻子から「おかず以外にご飯ものを二つ」と連絡を受けていたのだがどうやらそれは恭次郎の朝ごはん用だったらしい。
 食事をするならもう少し良い物をテイクアウトしてきたのに、と思ったが二人がそれでいいのなら舎弟は従うまで。

 何気ないやり取りを見ていれば二人の仲の良さが分かる。
 しかし反面、真実を知る大崎はやはり櫻子が恭次郎の事について随分と気を遣っているように見えてしまう。彼女自身が気にしているのだと分かるのは……自分も恭次郎までとは言わないが似たような立場だったから。

 櫻子の存在を守る盾の一人、だったから。

 彼女の鋭さと強さは尊敬に値し、信頼して密偵のような仕事を頼んでくれたり、こうして部屋の鍵まで預けてくれているどころか先に連絡をして了承を得ていれば勝手に入る事も許されている。
 裏社会の深い部分に巻き込んでいると言う自責を、気遣いとしていつも櫻子は清算しようとしていた。
 それしか彼女には出来ないのだと大崎も分かっていて、それは多分恭次郎にも同じで……。

 なんだか頭の中がぐるぐるしてきた、と大崎は思いながら「食いながらで悪いな」と一言謝る恭次郎も部下を無碍に扱ったりしない男で。

みのる、お前暫く若い連中を纏めてくれねえか」
「は……俺が、ですか」

 表向きは桜東会が持つフロント企業の経営者、三島一族末席の女性のドライバー兼付き人の大崎。
 元は桜東会三次団体組長の一人息子。湾岸を根城にしていた走り屋ゆえのドライブテクニックの素質のお陰で資金源の一つとして本部執行役員に属する櫻子の付き人への昇格と言う大出世。
 三次団体、企業で言うならば孫請けのような立場から役員秘書になったようなもの。

 大崎は遊びのつもりで煽ったセダンにまさか櫻子が乗っていたなど当時はつゆ知らず、それをもう付き人になって暫くしてから教えられた時は土下座モノだと床に膝をついたがそれを見た櫻子がおかしそうに笑っていたのを覚えている。

 そんな大崎、彼には人望が備わっていた。
 走り屋時代から持っていた仲間や後輩を上手くコントロール出来る素質。自らがヤクザの組長の息子である事を大っぴらに言いふらしたりせず、仲間内にもそう言う事はひけらかさないよう伝え、櫻子の持つ性風俗店でのトラブルの際にも居合わせた彼は一般人の男相手に自分の身分を言ったりはしなかった。

 恭次郎もその事について櫻子から聞いている。
 幼い時から三島本家に住んでいた彼もいわゆる“ヤンチャ”をしていたり“イキっている”若者を沢山、兄貴分や誠一の隣で見て来たがそんな大多数の若者たちとは違う大崎の堅実さを認めていた。
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