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第6話
普通の恋人同士だったなら (4)
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ベッドの上でごろごろしていた櫻子は再びバスルームにいた。お湯張りの終わった湯船に最近お気に入りの液体入浴剤を少し入れる。
珍しく足立が「恭次郎さんをそちらに寄越しても構いませんか」と聞いて来たので何かあったのだろうかと心配になったが「このままだと明日まで機嫌が悪いので」と言葉を添えてくれた。どうやら密談、接待の結果が良くなかったか、と察して足立からの申し出を引き受けた。
「どうしたの、そんな顔して。足立が心配していたわよ?」
暫くすれば櫻子の部屋のドアが開く。
憮然としている恭次郎のその表情に「お風呂沸いてる」とだけ伝えれば「ああ」と返事が一つ。彼の上等なオーダースーツには煙草と酒と……およそ櫻子の趣味ではない香水の入り混じった匂いが染み付いていた。
恭次郎の上質なスーツに消臭剤を吹きかけるのもな、と思いとどまった櫻子は彼が今、服を脱いでいるパウダールームまで行って「スーツはサンルームに掛けておくから」とジャケットとスラックス、そしてネクタイを預かる。
「……疲れたでしょう」
「全然」
「少し、ゆっくりしたら?」
いつもだったら手早くシャワーを済ませてしまう恭次郎はゆるい部屋着姿の櫻子の背を見る。肌が透けて見えてしまっていたレースのランジェリー姿の若い女性たちよりも部屋着姿の彼女の方が断然、惹かれる。何と言うか、来るモノがある。
夜はまだそこまで深くない、が。
流石に疲れていた恭次郎はバスルームの中に入ると櫻子の言う通りに湯船に張られているお湯に浸かる事にして、まずは体を洗い始めた。
一方の櫻子はいつもだったら自分の洗濯物や泊まった恭次郎の衣類やローブを洗って干していたサンルームに大きなスーツを掛けて移動式の衣類乾燥機を稼働させ、自身はそのままキッチンへと向かう。
ちょうど大崎が買ってきてくれたコンビニの小さな惣菜パックが色々とあったのでそれを小鉢に取り分けて……食べても、食べなくても良い。今夜みたいな恭次郎は滅多に見ないので少し、心配だった。
調理出来る程の食材が無かったので本当にパックやパウチから移しただけになるが櫻子は自分も少し食べよう、と取り分け用の小皿を数枚、用意する。
そうしてキッチンで用意をしていればいつもより長い入浴時間を過ごした恭次郎が上がり、髪を乾かし始めた音を聞く。
「どう?さっぱりした?」
髪を乾かし終えた恭次郎が珍しく肌着にもなる黒いTシャツに下も黒いスウェットズボンをしっかり穿いて出てくる。その目に映ったのはキッチンカウンターに並ぶ小さな惣菜たち。
ちなみに彼の下着や衣類はパウダールームのチェストの中に入っているが使用頻度が高いのは大体ボクサーパンツと厚手のローブだけだったが今日はちゃんと、部屋着姿になっていた。
「少し食べようかと思って」
ビールなら飲むでしょ?と櫻子に問われた恭次郎は頷いて彼女が用意したつまみの小鉢や取り皿を手にしてダイニングテーブルへと並べればやっと気分が晴れて来た。
恭次郎自身は気づいていないが彼は言葉数が極端に減った時が限界に近いサインだと櫻子は知っている。もちろん、足立も。
長らく三島恭次郎と言う男を見て来た二人なので足立から預かって欲しいと言われた時は櫻子も受け入れている。むしろ、手厚い歓待ものだ。
「お前なら心配いらねえと思うが大崎には小遣いやってるのか」
「もちろんよ。と言うか、私の食費は更に別会計。レシートはちゃんと都度、冷蔵庫に貼るように言ってあるし」
大体、空っぽに近い櫻子の自宅の冷蔵庫が潤っていると言う事は誰かしらが……とは言っても大崎か自分しかいない。
「マメな子よ」
「なら良いんだ」
櫻子の食事のバランスを考えた小鉢の中身。
体を鍛えている者なら分かるたんぱく質や適度な糖質、脂質。あとは櫻子の好きそうな物。
有能な大崎に嫉妬するが、櫻子を思っての事なら受け入れるしかない。
「一本飲む?」
「いや……」
「じゃあ半分ね」
ゆるゆるとした素の櫻子。
グラスを用意する後ろ姿、水で一度流してキッチンタオルで拭う所作。
もし彼女が自分の生涯のパートナーだったなら、と何度も妄想はしてみたが実際、こうして二人で食事の支度などをしていると何とも言えない感情に苛まれる。
自分の持つ凶暴な、彼女を独り占めにしたい気持ち。失いたくない気持ちが熱を含んだ欲望となって湧き上がってしまう。
彼女がまだ学生の時から、不思議な気配は感じていた。
人を惹きつける、とでも表現したらいいのだろうか。
「お前の所って団体の派遣はやってないんだろ?」
「派遣……デリヘルじゃなくて」
「一昔前のアレだ、ピンクコンパニオン」
恭次郎の言葉から彼に何があったのか、あの強い香水の匂いと合わせて察する櫻子は「私の目の行き届かない場所だと正直、何をするか分からないからやってない」と経営者としての意見を述べる。
「まあそうね、どちらとも取れるわね。彼女たちが何をするのかも分からないし、何をされるのかも分からない。合意の上なのか、そうじゃないのか以前に……体と心を削って商売しているから、そこだけは使用者としてきっちりしておかないと」
まあ私がそんな事を言ったって、表側の社会的信用なんて一切無いけれどね、と席に着いた櫻子は言う。
「今だと“知り合いに飲みに呼ばれた”と言う体にして“お小遣い”も貰っていない、と言う事が増えているけれど」
「俺が受けた接待もソレの内だろうな」
「それならそれなりに粒ぞろいだったでしょう」
何で分かるんだよ、と対面の席に着きながら言いかけた恭次郎だったが相手は歌舞伎町の裏社会の女傑、特に彼女の分野である性風俗業に関しては知らない事なんて無い。
「どこも触らせてないわよね」
「当たり前だろ。メシ食う時に言うなよ」
「話振って来たのは恭次郎でしょ」
「……ったく」
櫻子が言いたい事は分かる。
自分たちは濃密に体を重ねる関係。
定期的な性病検査など受けていない素人の女性を相手にしたらいつか、本当に内側から身を滅ぼしかねない事を櫻子は危惧していた。
珍しく足立が「恭次郎さんをそちらに寄越しても構いませんか」と聞いて来たので何かあったのだろうかと心配になったが「このままだと明日まで機嫌が悪いので」と言葉を添えてくれた。どうやら密談、接待の結果が良くなかったか、と察して足立からの申し出を引き受けた。
「どうしたの、そんな顔して。足立が心配していたわよ?」
暫くすれば櫻子の部屋のドアが開く。
憮然としている恭次郎のその表情に「お風呂沸いてる」とだけ伝えれば「ああ」と返事が一つ。彼の上等なオーダースーツには煙草と酒と……およそ櫻子の趣味ではない香水の入り混じった匂いが染み付いていた。
恭次郎の上質なスーツに消臭剤を吹きかけるのもな、と思いとどまった櫻子は彼が今、服を脱いでいるパウダールームまで行って「スーツはサンルームに掛けておくから」とジャケットとスラックス、そしてネクタイを預かる。
「……疲れたでしょう」
「全然」
「少し、ゆっくりしたら?」
いつもだったら手早くシャワーを済ませてしまう恭次郎はゆるい部屋着姿の櫻子の背を見る。肌が透けて見えてしまっていたレースのランジェリー姿の若い女性たちよりも部屋着姿の彼女の方が断然、惹かれる。何と言うか、来るモノがある。
夜はまだそこまで深くない、が。
流石に疲れていた恭次郎はバスルームの中に入ると櫻子の言う通りに湯船に張られているお湯に浸かる事にして、まずは体を洗い始めた。
一方の櫻子はいつもだったら自分の洗濯物や泊まった恭次郎の衣類やローブを洗って干していたサンルームに大きなスーツを掛けて移動式の衣類乾燥機を稼働させ、自身はそのままキッチンへと向かう。
ちょうど大崎が買ってきてくれたコンビニの小さな惣菜パックが色々とあったのでそれを小鉢に取り分けて……食べても、食べなくても良い。今夜みたいな恭次郎は滅多に見ないので少し、心配だった。
調理出来る程の食材が無かったので本当にパックやパウチから移しただけになるが櫻子は自分も少し食べよう、と取り分け用の小皿を数枚、用意する。
そうしてキッチンで用意をしていればいつもより長い入浴時間を過ごした恭次郎が上がり、髪を乾かし始めた音を聞く。
「どう?さっぱりした?」
髪を乾かし終えた恭次郎が珍しく肌着にもなる黒いTシャツに下も黒いスウェットズボンをしっかり穿いて出てくる。その目に映ったのはキッチンカウンターに並ぶ小さな惣菜たち。
ちなみに彼の下着や衣類はパウダールームのチェストの中に入っているが使用頻度が高いのは大体ボクサーパンツと厚手のローブだけだったが今日はちゃんと、部屋着姿になっていた。
「少し食べようかと思って」
ビールなら飲むでしょ?と櫻子に問われた恭次郎は頷いて彼女が用意したつまみの小鉢や取り皿を手にしてダイニングテーブルへと並べればやっと気分が晴れて来た。
恭次郎自身は気づいていないが彼は言葉数が極端に減った時が限界に近いサインだと櫻子は知っている。もちろん、足立も。
長らく三島恭次郎と言う男を見て来た二人なので足立から預かって欲しいと言われた時は櫻子も受け入れている。むしろ、手厚い歓待ものだ。
「お前なら心配いらねえと思うが大崎には小遣いやってるのか」
「もちろんよ。と言うか、私の食費は更に別会計。レシートはちゃんと都度、冷蔵庫に貼るように言ってあるし」
大体、空っぽに近い櫻子の自宅の冷蔵庫が潤っていると言う事は誰かしらが……とは言っても大崎か自分しかいない。
「マメな子よ」
「なら良いんだ」
櫻子の食事のバランスを考えた小鉢の中身。
体を鍛えている者なら分かるたんぱく質や適度な糖質、脂質。あとは櫻子の好きそうな物。
有能な大崎に嫉妬するが、櫻子を思っての事なら受け入れるしかない。
「一本飲む?」
「いや……」
「じゃあ半分ね」
ゆるゆるとした素の櫻子。
グラスを用意する後ろ姿、水で一度流してキッチンタオルで拭う所作。
もし彼女が自分の生涯のパートナーだったなら、と何度も妄想はしてみたが実際、こうして二人で食事の支度などをしていると何とも言えない感情に苛まれる。
自分の持つ凶暴な、彼女を独り占めにしたい気持ち。失いたくない気持ちが熱を含んだ欲望となって湧き上がってしまう。
彼女がまだ学生の時から、不思議な気配は感じていた。
人を惹きつける、とでも表現したらいいのだろうか。
「お前の所って団体の派遣はやってないんだろ?」
「派遣……デリヘルじゃなくて」
「一昔前のアレだ、ピンクコンパニオン」
恭次郎の言葉から彼に何があったのか、あの強い香水の匂いと合わせて察する櫻子は「私の目の行き届かない場所だと正直、何をするか分からないからやってない」と経営者としての意見を述べる。
「まあそうね、どちらとも取れるわね。彼女たちが何をするのかも分からないし、何をされるのかも分からない。合意の上なのか、そうじゃないのか以前に……体と心を削って商売しているから、そこだけは使用者としてきっちりしておかないと」
まあ私がそんな事を言ったって、表側の社会的信用なんて一切無いけれどね、と席に着いた櫻子は言う。
「今だと“知り合いに飲みに呼ばれた”と言う体にして“お小遣い”も貰っていない、と言う事が増えているけれど」
「俺が受けた接待もソレの内だろうな」
「それならそれなりに粒ぞろいだったでしょう」
何で分かるんだよ、と対面の席に着きながら言いかけた恭次郎だったが相手は歌舞伎町の裏社会の女傑、特に彼女の分野である性風俗業に関しては知らない事なんて無い。
「どこも触らせてないわよね」
「当たり前だろ。メシ食う時に言うなよ」
「話振って来たのは恭次郎でしょ」
「……ったく」
櫻子が言いたい事は分かる。
自分たちは濃密に体を重ねる関係。
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