上 下
30 / 51
第6話

普通の恋人同士だったなら (4)

しおりを挟む
 ベッドの上でごろごろしていた櫻子は再びバスルームにいた。お湯張りの終わった湯船に最近お気に入りの液体入浴剤を少し入れる。

 珍しく足立が「恭次郎さんをそちらに寄越しても構いませんか」と聞いて来たので何かあったのだろうかと心配になったが「このままだと明日まで機嫌が悪いので」と言葉を添えてくれた。どうやら密談、接待の結果が良くなかったか、と察して足立からの申し出を引き受けた。

「どうしたの、そんな顔して。足立が心配していたわよ?」

 暫くすれば櫻子の部屋のドアが開く。
 憮然としている恭次郎のその表情に「お風呂沸いてる」とだけ伝えれば「ああ」と返事が一つ。彼の上等なオーダースーツには煙草と酒と……およそ櫻子の趣味ではない香水の入り混じった匂いが染み付いていた。

 恭次郎の上質なスーツに消臭剤を吹きかけるのもな、と思いとどまった櫻子は彼が今、服を脱いでいるパウダールームまで行って「スーツはサンルームに掛けておくから」とジャケットとスラックス、そしてネクタイを預かる。

「……疲れたでしょう」
「全然」
「少し、ゆっくりしたら?」

 いつもだったら手早くシャワーを済ませてしまう恭次郎はゆるい部屋着姿の櫻子の背を見る。肌が透けて見えてしまっていたレースのランジェリー姿の若い女性たちよりも部屋着姿の彼女の方が断然、惹かれる。何と言うか、来るモノがある。

 夜はまだそこまで深くない、が。
 流石に疲れていた恭次郎はバスルームの中に入ると櫻子の言う通りに湯船に張られているお湯に浸かる事にして、まずは体を洗い始めた。

 一方の櫻子はいつもだったら自分の洗濯物や泊まった恭次郎の衣類やローブを洗って干していたサンルームに大きなスーツを掛けて移動式の衣類乾燥機を稼働させ、自身はそのままキッチンへと向かう。
 ちょうど大崎が買ってきてくれたコンビニの小さな惣菜パックが色々とあったのでそれを小鉢に取り分けて……食べても、食べなくても良い。今夜みたいな恭次郎は滅多に見ないので少し、心配だった。

 調理出来る程の食材が無かったので本当にパックやパウチから移しただけになるが櫻子は自分も少し食べよう、と取り分け用の小皿を数枚、用意する。

 そうしてキッチンで用意をしていればいつもより長い入浴時間を過ごした恭次郎が上がり、髪を乾かし始めた音を聞く。

「どう?さっぱりした?」

 髪を乾かし終えた恭次郎が珍しく肌着にもなる黒いTシャツに下も黒いスウェットズボンをしっかり穿いて出てくる。その目に映ったのはキッチンカウンターに並ぶ小さな惣菜たち。
 ちなみに彼の下着や衣類はパウダールームのチェストの中に入っているが使用頻度が高いのは大体ボクサーパンツと厚手のローブだけだったが今日はちゃんと、部屋着姿になっていた。

「少し食べようかと思って」

 ビールなら飲むでしょ?と櫻子に問われた恭次郎は頷いて彼女が用意したつまみの小鉢や取り皿を手にしてダイニングテーブルへと並べればやっと気分が晴れて来た。
 恭次郎自身は気づいていないが彼は言葉数が極端に減った時が限界に近いサインだと櫻子は知っている。もちろん、足立も。
 長らく三島恭次郎と言う男を見て来た二人なので足立から預かって欲しいと言われた時は櫻子も受け入れている。むしろ、手厚い歓待ものだ。

「お前なら心配いらねえと思うが大崎には小遣いやってるのか」
「もちろんよ。と言うか、私の食費は更に別会計。レシートはちゃんと都度、冷蔵庫に貼るように言ってあるし」

 大体、空っぽに近い櫻子の自宅の冷蔵庫が潤っていると言う事は誰かしらが……とは言っても大崎か自分しかいない。

「マメな子よ」
「なら良いんだ」

 櫻子の食事のバランスを考えた小鉢の中身。
 体を鍛えている者なら分かるたんぱく質や適度な糖質、脂質。あとは櫻子の好きそうな物。
 有能な大崎に嫉妬するが、櫻子を思っての事なら受け入れるしかない。

「一本飲む?」
「いや……」
「じゃあ半分ね」

 ゆるゆるとした素の櫻子。
 グラスを用意する後ろ姿、水で一度流してキッチンタオルで拭う所作。

 もし彼女が自分の生涯のパートナーだったなら、と何度も妄想はしてみたが実際、こうして二人で食事の支度などをしていると何とも言えない感情に苛まれる。
 自分の持つ凶暴な、彼女を独り占めにしたい気持ち。失いたくない気持ちが熱を含んだ欲望となって湧き上がってしまう。

 彼女がまだ学生の時から、不思議な気配は感じていた。
 人を惹きつける、とでも表現したらいいのだろうか。

「お前の所って団体の派遣はやってないんだろ?」
「派遣……デリヘルじゃなくて」
「一昔前のアレだ、ピンクコンパニオン」

 恭次郎の言葉から彼に何があったのか、あの強い香水の匂いと合わせて察する櫻子は「私の目の行き届かない場所だと正直、何をするか分からないからやってない」と経営者としての意見を述べる。

「まあそうね、どちらとも取れるわね。彼女たちが何をするのかも分からないし、何をされるのかも分からない。合意の上なのか、そうじゃないのか以前に……体と心を削って商売しているから、そこだけは使用者としてきっちりしておかないと」

 まあ私がそんな事を言ったって、表側の社会的信用なんて一切無いけれどね、と席に着いた櫻子は言う。

「今だと“知り合いに飲みに呼ばれた”と言うていにして“お小遣い”も貰っていない、と言う事が増えているけれど」
「俺が受けた接待もソレの内だろうな」
「それならそれなりに粒ぞろいだったでしょう」

 何で分かるんだよ、と対面の席に着きながら言いかけた恭次郎だったが相手は歌舞伎町の裏社会の女傑、特に彼女の分野である性風俗業に関しては知らない事なんて無い。

「どこも触らせてないわよね」
「当たり前だろ。メシ食う時に言うなよ」
「話振って来たのは恭次郎でしょ」
「……ったく」

 櫻子が言いたい事は分かる。
 自分たちは濃密に体を重ねる関係。
 定期的な性病検査など受けていない素人の女性を相手にしたらいつか、本当に内側から身を滅ぼしかねない事を櫻子は危惧していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

鬼上司は間抜けな私がお好きです

碧井夢夏
恋愛
れいわ紡績に就職した新入社員、花森沙穂(はなもりさほ)は社内でも評判の鬼上司、東御八雲(とうみやくも)のサポートに配属させられる。 ドジな花森は何度も東御の前で失敗ばかり。ところが、人造人間と噂されていた東御が初めて楽しそうにしたのは花森がやらかした時で・・。 孤高の人、東御八雲はなんと間抜けフェチだった?! その上、育ちが特殊らしい雰囲気で・・。 ハイスペック超人と口だけの間抜け女子による上司と部下のラブコメ。 久しぶりにコメディ×溺愛を書きたくなりましたので、ゆるーく連載します。 会話劇ベースに、コミカル、ときどき、たっぷりと甘く深い愛のお話。 「めちゃコミック恋愛漫画原作賞」優秀作品に選んでいただきました。 ※大人ラブです。R15相当。 表紙画像はMidjourneyで生成しました。

【R18】『千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~』

緑野かえる
恋愛
【2/14 新作バレンタインデー話、投稿しました】 あなたが好きです、と恥ずかしそうに言葉にしながらちゅ、と短く口づけを落とす彼女の親愛の行為はあまりにも甘く、優しかった。学生時代、お前はヤクザの子だからと謂れのない因縁で一方的に殴られ、血が滲んでいた深い傷を臆することなく手当てしてくれた彼女の指先は今も変わらず自分に優しい。 背中に墨色の影を持つ企業経営者の今川司(34)と社会人生活に少し疲れてしまっていた小倉千代子(30)。学生時代、互いに思いを告げず淡い片想いのままに離ればなれになってしまっていた二人はある日、十数年ぶりに再会をする。 甘えて甘やかされて、時には切なく、落ち着いた大人同士の穏やかで静かな、ちょっぴり艶のある恋模様をお楽しみください。 (R-18シーンがあるページには※マーク) (ムーンライトノベルズ、pixivにも掲載中)

年に一度の旦那様

五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして… しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…

【姫初め♡2024】秘して色づく撫子の花 ~甘え上手な年下若頭との政略結婚も悪くない~

緑野かえる
恋愛
ずっと待っていた、今でも夢なんじゃないかと思っているんですよ。そう私に囁く彼になら、何をされても良いなんて思ってしまっている。それに私の方こそこれは夢なんじゃないかと……奥まで甘やかされて、愛されているなんて。 年下若頭×年上女性の甘えて甘やかされての約12000字お手軽読み切り姫初め話です。 (全5話、本格的なR-18シーンがある話には※マーク) (ムーンライトノベルズ先行投稿済みの話です)

【完結】【R15】そろそろ喰ってもいい頃だよな?〜出会ったばかりの人に嫁ぐとか有り得ません! 謹んでお断り申し上げます!〜

鷹槻れん
恋愛
「大学を辞めたくないなら、俺の手の中に落ちてこい」  幼い頃から私を見知っていたと言う9歳年上の男が、ある日突然そんな言葉と共に私の生活を一変させた。 ――  母の入院費用捻出のため、せっかく入った大学を中退するしかない、と思っていた村陰 花々里(むらかげ かがり)のもとへ、母のことをよく知っているという御神本 頼綱(みきもと よりつな)が現れて言った。 「大学を辞めたくないなら、俺の手の中に落ちてこい。助けてやる」  なんでも彼は、母が昔勤めていた産婦人科の跡取り息子だという。  学費の援助などの代わりに、彼が出してきた条件は――。 --------------------- ○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。  (作品シェア以外での無断転載など固くお断りします) ○雪さま (Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21 (pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274 (エブリスタ)https://estar.jp/users/117421755 --------------------- ※エブリスタでもお読みいただけます。

ヤクザの監禁愛

狭山雪菜
恋愛
河合絵梨奈は、社会人になって初めての飲み会で上司に絡まれていた所を、大男に助けられた。身体を重ねると、その男の背中には大きな昇り龍が彫られていた。 彼と待ち合わせ場所で、落ち合う事になっていたのだが、彼の婚約者と叫ぶ女に、絵梨奈は彼の前から消えたのだが… こちらの作品は、「小説家になろう」にも掲載されております。

イケメンエリート軍団の籠の中

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり 女子社員募集要項がネットを賑わした 1名の採用に300人以上が殺到する 松村舞衣(24歳) 友達につき合って応募しただけなのに 何故かその超難関を突破する 凪さん、映司さん、謙人さん、 トオルさん、ジャスティン イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々 でも、なんか、なんだか、息苦しい~~ イケメンエリート軍団の鳥かごの中に 私、飼われてしまったみたい… 「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる 他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

処理中です...