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第5話 (2025/02/20 改稿済)
花は咲き、露を滴らせ (5)
しおりを挟む大崎とランチをしたせいもあり、本格的に寝入ってしまった櫻子は夜に向かう薄暗い部屋で一人、目を覚ます。
これはずっと、変わらない。
目が覚めるといつも、一人ぼっち。
女の子の手配の算段をしなくちゃ、と起き上がって部屋の明かりを付ける。この行為は自分が部屋にいる事を外部から察知されてしまう事になるが櫻子が心の奥底で持つ破滅的な願望は“今更、どうでもいい”とそのまま普通に生活を続けてしまう。
子供の頃から身の危険があるのは分かっていた事。
彼女にとっては全てが今更の事だった。
「何にも無い……か」
ひたひたとフローリングを素足で歩いて開けた小さな冷蔵庫。
そうだ、と冷凍室を開ければいつ買ったのか分からない冷凍食品の上に冷凍をしておいたスコーンがあったのを見つける。
恭次郎が先日買ってきてくれたスコーン。一個がそれなりに大きな物だったので食べきれないから、とラップに包んでしまっておいた物だった。
巷では“丁寧な暮らし”と言う行いが流行っているそうだが櫻子もなんとなく、いつもは適当に温めているスコーンをオーブンレンジの中に入れ、温め直し機能を使ってみる。
その間にコーヒーでも淹れて、と支度をしていればやっと頭が冴えて来た。今からの時間ならガールズバーを任せている店長に連絡を入れてもすぐに返信が返って来るだろう、とプライベートリビングではない応接間と兼用になっている隣の仕事部屋のデスクに温め終わったスコーンと淹れたてのコーヒーを持って着席する。
自分用に合わせて買ったデスクとチェア。そう言えば恭次郎が革張りの椅子が体に合っていないと言っていたな、と櫻子は快適な自分の作業環境と桜東会本部の会長室にあるあの重厚な机と椅子の差に顔をしかめる。自分だったらとっくにあんな物、取っ払っている。
情報戦が物を言う時代、いくら自分が上の者として君臨するにしても事務員のように座って情報を精査したりメールの返信をしている時間が長いのでこればかりは櫻子もこだわっていた。
それにしても恭次郎のあの筋肉が発達した硬い尻が痛くなるとは。
ふふ、と鼻で笑う櫻子はガールズバーの店長からの返信を待っている間に彼の大きな体に合いそうな椅子を見繕おうと検索を始めた。
あの体ならやっぱり海外モノよね、と暫く専門店や輸入代理店のサイトを眺め、その途中で池袋のラウンジ界隈に女の子たちを送る手筈を進める。
軽い仕事をし始めてから一時間ほど、カップの底に薄く残っていたコーヒーも完全に冷めてしまった頃。デスクに置いてあった櫻子の私用のスマートフォンに仕事を上がらせていた大崎からの『動画も残ってます』と言うメッセージと一緒に三枚の画像が送られて来た。
オフの大崎が撮影してきてくれたのはやはり池袋方面の路上。
彼の個人的な車の方に取り付けられている最新のドライブレコーダーの画像には黒塗りのセダン。画像それぞれに車種が違う車両が映っていた。
昼食後から今日はもう上がって良いと伝えていたが大崎は自分の車で池袋周辺を流してくれていたらしい。
櫻子が「あまり遅くならないように、安全運転でね」と返信をすれば「動画は共有の所に送っときます」と続いて「会長もあまり夜更かししないでください。おやすみなさい」と櫻子の体調を気遣ってくれるメッセージが続く。上司に対する締めの内容にしては軽過ぎる文面だが櫻子はそんな彼の気遣いが嬉しかった。
櫻子は昨日からの自分の行動を思い出す。
自分があの桜東会の持ち物のビルに入ったのは今日ではなく昨日の昼間。事の成り行きで夕飯に出掛けた時は恭次郎の移動車で、とビジネスチェアに深く背を預けて高い天井を見上げる。
このマンションに自分が住んでいることなど、とうの昔に特定されているのは承知していた。
いくらセキュリティが、とは言っても破ろうとすれば出来てしまう。
強い悪意の前では所詮、カードキーやいくつものゲートなんざ役に立たない。
しかしながら尾行をしていたのは本職ではない下っ端の若い連中。それらの素人に近い人員を使わなければならない理由とは一体。
(監視の目が異様に増えているのだとしたらこちらも手を打つべき、だけど)
歌舞伎町の町中に人を配置したのは龍神と千玉、どちらの派閥か。それとも桜東を潰す為に今更、両者が手を組んだか。
恭次郎にも話はつけていたが櫻子はとある人物に連絡を入れ始める。それは桜東会が持つ諜報部門。現在の組長衆も詳細な人数を知らない桜東会の暗い部分。いわば会長職である彼女の私兵は櫻子や大崎がアクセスするサーバーを構築し、運用している者たち。
彼らの見た目はカタギだ。
どこにでもいる、新宿の片隅の住人。
見かけは売れっ子ホスト、居酒屋の雇われ店長、ファミレスの店員、雑居ビルの清掃員に引きこもりがちな職業不詳の者――どこにでもいる、普通の人間の皮を被った普通ではない人間たちを櫻子は私兵として擁していた。
ある者は自分が生まれ持った能力や才能を生かし、ある者は育った環境から身に付いた観察眼で、と様々な背景を持つ諜報部門の者たち。櫻子の父親、誠一の代にも存在はしていたが娘へと代変わりをした今も半ば趣味として請け負っている者から生業としている者まで千差万別ながら人数はしっかりと揃っていた。
桜東会はカネ払いがどこよりもきっちりしている。
それに尽きる話、ではあったが。
諜報部門と銘打っているが会社で言う所の情報システム部を動かせる権限は櫻子と恭次郎にしかない。それでも、恭次郎が動かそうとした際は櫻子にも確認の連絡が行く。恭次郎も分かっているだろうが実際の最終決定権は櫻子にしかなかった。
今回の件で恭次郎もデータを頻繁に閲覧したり使う事になる、と管理担当者に連絡を入れた櫻子は大きく息を吸う。
それでも、溜め息は噛み殺した。
新宿の夜が、更けてゆく。
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