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第5話 (2025/02/20 改稿済)
花は咲き、露を滴らせ (2)
しおりを挟む翌日にはブラックスーツに本革の黒いヒールで桜東会本部の会議室に入室する櫻子がいた。一応、会議室は円卓と言う体をしていたが窓を背にする二席の上座の右側に座る櫻子。本来ならば桜東会トップ、会長である彼女が最後に入室をするものだがそこはカモフラージュを兼ねて三島一族、執行役員として他の直参組長たちとの間に入室順番が挟まれていた。
全てを知っている組長衆は軽い挨拶程度にしか接しないようにし、櫻子も自分の後から入室してきた組長に同じように軽く頭を下げる。
最後に入室してきたのは会長代行の恭次郎。表向きの序列としては彼が事実上の頭目である為に櫻子に向ける挨拶よりも直参の八名の組長衆は深く頭を下げ……扉は閉め切りとなった。
内側の扉には恭次郎の直属の部下、長年の付き人である足立が控え、内側からは簡易ながらも物理的なドアロックが掛けられる。廊下にも本部の構成員が控えているので勝手に入って来る者などいないと分かっていても念のために施されている措置だった。
会長代行、本部若頭のような序列である恭次郎は隣に会長の櫻子を据えて挨拶の口上を述べると今日の招集内容について説明を始める。
「最近、桜東会のシマ……歌舞伎町近辺で千玉のガキ共がチャチな諍いを起こしています。勿論、そんな事は日常茶飯事ですがその諍いが第三者によって撮影されているのを足立の兄弟筋が見つけました」
話を始める恭次郎の横に座っている櫻子はお茶の入った丸い湯呑の蓋を開けて口を付ける。上等な茶葉の旨味を感じつつ、隣で順序立てて年上の組長衆に話をする恭次郎は「会長付きの大崎も池袋界隈でガラの悪そうな高級車を頻繁に目撃しているようで」と伝えていた。
真の会長である櫻子が同席する召集の意味を分かっている年輩の組長たちは一通り恭次郎の説明が終わった所で口を開く。
「って事はよォ、龍神の直参……あるいは本部の幹部か、幹部補佐クラスが乗っている可能性があるって事か」
「確実にウラが取れているのは一件だけですが龍神の直系組織の若頭と千玉の格下の者が池袋の会員制ラウンジで密会をしていると……既にその現場には四代目の店から一人、女を潜らせています」
立場をわきまえるように丁寧な口調で話をする恭次郎と未だ黙っている櫻子だったが、組長たちは円卓の席で唸るような溜め息をつきながら互いに顔を見合わせる。
「俺たちも褌を締め直す時期、って事か」
「ええ、そうです。三代目が凶弾に倒れた時も御方々の迅速な助力によって若輩の俺を支えて頂きましたが……この正当なる三島本家の血統の四代目率いる桜東会の目を欺き、弓まで引こうなんざ」
会議室に差し込む昼の日差しに恭次郎の瞳が鈍く、光る。
「ああ、百年早いな」
「なあ恭次郎、龍神が千玉と手を組むってのが儂らにゃどうにも腑に落ちねえんだが」
組長たちのざわめきを切るように「それは私も思っています」と初めて櫻子が口を開いた。
「……龍神も今までは中華系マフィアと協定を組んで互いに大きな不利益や衝突が生じないように均衡を保っていました。そして池袋界隈は今も変わらずマフィアの巣窟です。龍神の幹部連中だけならまだしも、そんな場所によそ者の千玉の下っ端を連れてきて幹部自らが接待をしている、と言うのは確かに腑に落ちません」
丸い湯呑を両手の中に納めたまま、少し俯いている櫻子の落ち着いた声音に「ああそうだ、会長の言う通りだ」と組長とたちも頷く。
「横浜方面ではなく都内で龍神がどうこう、と言う事を考えれば保有しているシマ的にはそうなるかもしれないですが……そもそも何故、関東の二つの大きな組織が急接近しているのか。龍神の方が組織そのものも格上であるにも関わらず、です。これらが龍神の采配なのかどうか私もまだ確証には至っていません。ただ私が言えるのは彼らが手を組み、我々桜東会を潰す気ならば“全面戦争已む無し”と」
先代、桜東会三代目会長三島誠一と唯一血の繋がっている娘、四代目会長の強暴な言葉に恭次郎のみならず、円卓を囲む年輩の組長たち全員がハッとしたような表情をしたのちに頭を下げるように深く頷く。
「追って事の詳細とそれぞれの組にしていただきたい事などは慣例通り、代行から伝えます」
他に最近何か変わった事はないかどうか、些細なことで良い、と話を振る櫻子に幹部総会はそれから小一時間ほど続いた。
退室は恭次郎が一番先、続いて最古参の者、と最後に執行役員の櫻子が会議室から出て行く。
「お疲れ様でした、オーナー」
廊下に控えていた大崎は櫻子に声を掛け、二人は人の流れのままに下階の仕事部屋へと戻る。
ひと度、会議室の外に出てしまえばあくまでも櫻子は桜東会フロント企業のやり手経営者。ドライバー兼付き人として若い男を連れているだけの女になる。
「この後は予定を入れてないのでマンションに戻るか、こちらで過ごすか」
「そうね……流石に疲れたから家に帰ろっかな」
この仕事部屋にいても恭次郎がまた来てしまう。
ふう、と溜め息交じりの櫻子は大崎に「寝室の荷物をまとめてくるからお菓子食べてて」とソファーに座って待っているように促す。流石に男性である大崎は彼女の仕事道具くらいしか触れないので言われた通りに応接用のソファーに着席し、軽くローテーブルの上を片付けながら高級チョコレート店らしき小さな紙袋も持ち帰る為に隅に寄せる。
これは恭次郎からのプレゼントだと言うのは明白だったが普段の櫻子は「コンビニに売ってるくらいのお茶菓子で良い」と本当にそれを望むので新発売の物など目新しい商品を見つけると大崎はそれを買い、渡していた。
あれは三島櫻子のドライバー兼付き人になって暫く経ち、彼女を乗せて偵察がてら夜の繁華街近くのコンビニに黒塗りを停めて休憩を装っていた時だった。
二人分のホットコーヒーを買いに行った大崎の目についたのは小さいキューブ状のチョコレートの大容量アソートパック。後部座席にいた櫻子には定番のクッキーを買って差し出していたのだが大崎がその自分用のチョコレート菓子の袋をごそごそと漁っているとどうにも背後から視線の気配が。
しかもじーっと見られているようだった為に大崎は良かったら、と櫻子に幾つか差し出せば「懐かしい」と彼女はどこか嬉しそうに包みを開いて食べていた。
食に関して淡泊、反応が薄い櫻子がそうやって口にした事は大崎にとっては印象に残るエピソードで――多分、このお洒落なチョコレート一箱であのアソートパック十袋は買える。大崎も極道の息子。組長である父親から良い物を食べさて貰っていたのでチープな物から高価な物まで味は分かっていたが彼の軽めな性格と食の好みが櫻子と合っていた、と言うのはまだまだ若い彼は気づいていなかった。
他人に踏み込みすぎない軽さと食の好みが合う。だからこそ神経の細い櫻子も珍しく気に入っていて付き人としてそばに置いている、と言うのも大崎は知らない。
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