【R18】『東京くらくら享楽心中』

緑野かえる

文字の大きさ
上 下
18 / 70
第4話

ビターチョコレート (2)

しおりを挟む
 大崎が添えてくれた菓子も櫻子の好きなものであり、若い彼なりの気遣いは嬉しい。使用者とは言えよく慕ってくれている事が伺えるが恭次郎のコレはその気遣いとは種類が違う。

 その愛情が、気持ちを焦がす。
 こんな暗い世界から解放してやりたい思いと、自分だけの男にしたい欲望とのせめぎ合い。本当の気持ちを恭次郎に伝えてしまえば良いのに、と櫻子自身分かってはいるがそれをしてしまったら彼を更に暗い深みにはまらせ、その命すら奪う事になりかねない。

 恭次郎が買ってきたのはいわゆる生チョコレートのように柔らかい物らしく、添えられていた小さなピックで一つを割り刺して口に運ぶ。チョコレートと一緒に入っていたカードが示す通りに一瞬で口の中にブラッドオレンジの華やかな香りと酸味が広がった。

「気に入ったか?」

 カップを片手に様子を伺う恭次郎に櫻子も頷きながら「美味しい」と伝えるがそれ以上に、この華やかな味わいは気分を変えてくれる上等な菓子だった。

 恭次郎はいつも、暗く沈みがちな自分の意識を晴らしてくれようとする。美味しい、よりももっと伝えたい言葉は胸の奥にあるけれど今はまだ、出来ない。

「大崎君が言っていたんだけど」

 椅子に深く背を預け、整えられた両手の爪の先を隠すように腕を組む。

「池袋方面にもう少し人をやっても良いかもしれない」
「どう言うことだ」
「彼、走り屋やってたでしょう?今でも仕事として湾岸とか流して貰ってるんだけど……池袋界隈で“本職私たち”が使うようなセダンを頻繁に見かけるようになった、って」

 溜め息交じりの櫻子に恭次郎も興味深そうにデスクの前にカップを持ったまま立つ。

「車種とナンバーを控えときゃ照合可能ではあるが」

 そこまでさせるつもりか?と問う恭次郎に流石に櫻子も頷かずに腕を組んだまま「あの辺りは彼らの縄張りだからもう龍神の者たちと仮定して……なぜ平時よりも台数が増えたのか、を問題にした方が早い気がする」と考えを口にする。

 幹部会の前に恭次郎が土産を持って櫻子の部屋に訪れるのも、こうして会議の内容の擦り合わせを事前に行う為のものでもあった。

「女の子たちはあくまで素人だから私が必要とする情報以上の収集はさせたくない。ヤクザやそれに準じた人の出入りが頻繁にあるかどうかだけで十分、それが誰なのかまでは危ないから問わせない」
「ああ、そうだな」

 仕事の話をすれば溜め息が増える。
 それを埋めてくれる恭次郎が買って持ってきたチョコレートに腕組みを解いた櫻子が指先を伸ばせば満足そうな男の表情があった。

 甘くて、酸っぱくて、少し苦いフレーバーチョコレート。

「疲れた時は甘いモンだろ?」
「そうね……そう、疲れてるかもしれない」

 蓄積した疲労、たった一粒のチョコレートの甘さすら身に沁みるほどに疲れているのだと自覚させてくれるが明日は自分の正体を知る者たちとの幹部会。
 真実を知る者たちにとっては血の繋がりの無い男女の逢引き、真実を知らない者たちにとってもそれは似たように見えている。血の薄い分家の子女と本家の血を引く男の……恭次郎が櫻子の部屋に入り浸っていても誰も咎めない。咎められない。

 櫻子のデスクの前には応接セットが誂えられている。
 ローテーブルを挟むように二脚のソファーがあるが恭次郎は櫻子のデスクの傍から離れない。

「何だよその顔」
「別に……座ったら?」
「朝からずっと座りっぱなしで尻がいてえんだよ」
「それなら椅子を変えたらどう?あの“如何にも”な革張りをやめて普通のビジネスチェアにすれば良いのに」

 櫻子の当たり前の言葉になるほど、と今更気が付いたような恭次郎は「そう言えばお前、デスクと椅子だけは自分で買うって言ってたな」と興味を示す。会長職に就く前から櫻子はあまり出歩かなかった、と言うよりは仕事に関わる事以外ではナチュラルに出不精の気質だったので長時間、デスク業務をしていても疲れないようにその二つだけは恭次郎に購入を止めさせて自分に合う物を選んでいた。

「体が大きいんだから、海外メーカーの方が良いと思うけど」

 そっか、と納得する恭次郎に櫻子は「良さそうな物を選んでくれるお店も今はあるから……絶対に身分は隠しなさいよ、舎弟も連れて行かないこと」と念を押す。流石に一般人には迷惑を掛ける訳には行かない。
 こちらが黙っていれば相手も“知らずに売ってしまった”だけの話で済ませられる。

「なあ、それなら」

 勘の良い櫻子は自分の言った言葉に瞬時に“あ、マズい”と思い――嬉しそうな顔をして「それならお前が付き合ってくれよ」と予想した通りの誘いをする分かりやすい男に仕事の話をしている時よりも深い溜め息を吐くしかなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜

羽村美海
恋愛
 古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。  とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。  そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー  住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……? ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ ✧天澤美桜•20歳✧ 古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様 ✧九條 尊•30歳✧ 誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭 ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ *西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨ ※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。 ※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。 ※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。 ✧ ✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧ ✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧ 【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

【姫初め♡2025】『虎治と千鶴 ―― 硬派なヤクザと初心なお嬢』

緑野かえる
恋愛
昔気質で硬派なヤクザの虎治(年齢不詳)と大任侠の一人娘である千鶴(27)、のクリスマスから新年にかけての話。 じれじれとろとろ甘やかし、虎治は果たして千鶴を抱けるのか――。 (男性キャラクターの一人称視点です)

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

愛し愛され愛を知る。【完】

夏目萌
恋愛
訳あって住む場所も仕事も無い神宮寺 真彩に救いの手を差し伸べたのは、国内で知らない者はいない程の大企業を経営しているインテリヤクザで鬼龍組組長でもある鬼龍 理仁。 住み込み家政婦として高額な月収で雇われた真彩には四歳になる息子の悠真がいる。 悠真と二人で鬼龍組の屋敷に身を置く事になった真彩は毎日懸命に家事をこなし、理仁は勿論、組員たちとの距離を縮めていく。 特に危険もなく、落ち着いた日々を過ごしていた真彩の前に一人の男が現れた事で、真彩は勿論、理仁の生活も一変する。 そして、その男の存在があくまでも雇い主と家政婦という二人の関係を大きく変えていく――。 これは、常に危険と隣り合わせで悲しませる相手を作りたくないと人を愛する事を避けてきた男と、大切なモノを守る為に自らの幸せを後回しにしてきた女が『生涯を共にしたい』と思える相手に出逢い、恋に落ちる物語。 ※ あくまでもフィクションですので、その事を踏まえてお読みいただければと思います。設定等合わない場合はごめんなさい。また、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。

辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

鳴宮鶉子
恋愛
辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...