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第2話
噛み合わない欲求 (5)
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時はあれから随分経った。
彼女の住んでいる高層マンションのカードキーを持つ存在になっている現在。
「また来たの……?」
夕方、起きていたらしい櫻子が恭次郎を出迎える。
寝ぐせのある髪に少し着崩れたナイトガウンが艶めかしく、気にするように中に着ていたロングキャミソールの肩紐を直す指先には肌馴染みの良い薄い桜色の綺麗なネイルカラーが施されている。
「そろそろ足立に怒られるわよ」
「その時は会長命令って言ってくれ」
掻き上げた髪を無造作に一つに縛って「食事しようと思って」と既にキッチンのカウンターには恭次郎が買って冷蔵庫にしまっておいたサラダと軽食の容器や紙袋が出されていた。
それらは全て、櫻子が好きそうな物だった。
昔、まだ彼女が高校生で父親が高級料亭の仕出し弁当を、父親なりに気を使って定期的に寄越していた時。本家の丁稚の舎弟から代わって恭次郎がそれを持って訪れるようになっても……あまり嬉しそうではない、とその繊細な彼女の心の変化を読み取れるようになって来ていた頃。
確かその時、繁華街にあった流行りのドーナッツ屋がたまたま空いていて櫻子にも買って行ってやった日。
年頃の女の子の明るい「ありがとうございます」の声音が初めて聞けた日でもあった。どんなに高級な食材、調理、味だって良いものでもまだ女子高生の彼女には……それから櫻子は和食よりもパンやサラダなどの軽い洋食が好きなのだと恭次郎は知る。
「このスコーン、よく買えたわね。ラズベリーの……紙袋に付いてたシールに期間限定って書いてあったけど」
「んーああ、たまたま空いてたから買った。それならある程度日保ちすんだろ」
ちょっと並んで買った事は言わない。
「ほら、お前は座ってな」
ダイニングテーブルに櫻子を着かせた恭次郎は食事の支度を始める。
デパートの食品フロアは便利だ。サラダもパンも、スープに焼き菓子も、櫻子の好きな物が全部揃っている。
「ねえ恭次郎」
まだ本調子ではない体、テーブルに肘をついた櫻子が「臨時の幹部総会を開きたいのだけど、なるべく早くに」と言う。
「……お前が出るのか」
「もちろん」
「呼び出しの内容は」
「千玉会と龍神舎の動向調査の徹底と……我々、桜東の立場の明確化を」
気だるげな態度とは裏腹の鋭い声。
「子細、決まったら連絡する」
「ええ」
ことん、と櫻子の前にサラダと軽く温めたスコーンが乗せられた皿がストロベリージャムの瓶と一緒に置かれると肘を付くのをやめ、座り直して姿勢を正す。
背筋を伸ばし、スコーンを慎重に半分に割りながら甘く優しい匂いをすん、と嗅ぐ櫻子の仕草が可愛くて……それに丁寧に、好きな物を食べる時の櫻子の所作は美しかった。たとえ髪が適当に縛られていても、寝間着でも、恭次郎にとって自然な姿を見せている櫻子は愛おしく、大切だった。
自分の情婦であれば、不自由な思いはさせない。
けれど彼女は身の振りを“選ばなければならない”と迫られた時に桜東会四代目会長の座を選んでしまった。
それゆえに、普段の彼女はごく少数の昔ながらの三島一族が信頼をしている直参の組から輩出した本部構成員を従え、フロント企業の経営者の顔ではない……極道者の顔としてどう活動をしているのか、恭次郎ですら情報を掴めない時がある。普段何をしているのかをこと細かく知っているのは会長付のドライバー兼秘書のまだ年若い大崎と数名。ある時は人知れず日本からいなくなっていた事もあったか。
恭次郎も知らない櫻子の裏の顔。
それを櫻子は教えてくれない。
三島櫻子は強い女であると分かっている。
彼女が高校生の時からずっと……知っているのに。
「ん……」
ぽとり、とジャムが皿に落ちる。
そんな小さな呻きよりももっと艶のある、ベッドの中での彼女の堪えるような呻きも知っているのに。
だからこそ、惚れている部分もある。
孤高の女が見せる、秘めたる美しさに心底惚れている。
櫻子の座っている正面に恭次郎も座ってスマートフォンを片手に自らの右腕である足立に「臨時総会の算段を立ててくれ、会長命令だ」と言葉を付ける。
電話口の向こうでも空気がひりつく。通常、殆どの事は恭次郎が取り仕切っていたが“会長命令”ともなれば話は変わる。
「ああ、場所は本部でいい」
だろ?とアイコンタクトを取る恭次郎に無言で小さく頷く櫻子の肯定。
恭次郎も電話をしながら軽い食事をしている櫻子の様子を見ていた。
彼女の住んでいる高層マンションのカードキーを持つ存在になっている現在。
「また来たの……?」
夕方、起きていたらしい櫻子が恭次郎を出迎える。
寝ぐせのある髪に少し着崩れたナイトガウンが艶めかしく、気にするように中に着ていたロングキャミソールの肩紐を直す指先には肌馴染みの良い薄い桜色の綺麗なネイルカラーが施されている。
「そろそろ足立に怒られるわよ」
「その時は会長命令って言ってくれ」
掻き上げた髪を無造作に一つに縛って「食事しようと思って」と既にキッチンのカウンターには恭次郎が買って冷蔵庫にしまっておいたサラダと軽食の容器や紙袋が出されていた。
それらは全て、櫻子が好きそうな物だった。
昔、まだ彼女が高校生で父親が高級料亭の仕出し弁当を、父親なりに気を使って定期的に寄越していた時。本家の丁稚の舎弟から代わって恭次郎がそれを持って訪れるようになっても……あまり嬉しそうではない、とその繊細な彼女の心の変化を読み取れるようになって来ていた頃。
確かその時、繁華街にあった流行りのドーナッツ屋がたまたま空いていて櫻子にも買って行ってやった日。
年頃の女の子の明るい「ありがとうございます」の声音が初めて聞けた日でもあった。どんなに高級な食材、調理、味だって良いものでもまだ女子高生の彼女には……それから櫻子は和食よりもパンやサラダなどの軽い洋食が好きなのだと恭次郎は知る。
「このスコーン、よく買えたわね。ラズベリーの……紙袋に付いてたシールに期間限定って書いてあったけど」
「んーああ、たまたま空いてたから買った。それならある程度日保ちすんだろ」
ちょっと並んで買った事は言わない。
「ほら、お前は座ってな」
ダイニングテーブルに櫻子を着かせた恭次郎は食事の支度を始める。
デパートの食品フロアは便利だ。サラダもパンも、スープに焼き菓子も、櫻子の好きな物が全部揃っている。
「ねえ恭次郎」
まだ本調子ではない体、テーブルに肘をついた櫻子が「臨時の幹部総会を開きたいのだけど、なるべく早くに」と言う。
「……お前が出るのか」
「もちろん」
「呼び出しの内容は」
「千玉会と龍神舎の動向調査の徹底と……我々、桜東の立場の明確化を」
気だるげな態度とは裏腹の鋭い声。
「子細、決まったら連絡する」
「ええ」
ことん、と櫻子の前にサラダと軽く温めたスコーンが乗せられた皿がストロベリージャムの瓶と一緒に置かれると肘を付くのをやめ、座り直して姿勢を正す。
背筋を伸ばし、スコーンを慎重に半分に割りながら甘く優しい匂いをすん、と嗅ぐ櫻子の仕草が可愛くて……それに丁寧に、好きな物を食べる時の櫻子の所作は美しかった。たとえ髪が適当に縛られていても、寝間着でも、恭次郎にとって自然な姿を見せている櫻子は愛おしく、大切だった。
自分の情婦であれば、不自由な思いはさせない。
けれど彼女は身の振りを“選ばなければならない”と迫られた時に桜東会四代目会長の座を選んでしまった。
それゆえに、普段の彼女はごく少数の昔ながらの三島一族が信頼をしている直参の組から輩出した本部構成員を従え、フロント企業の経営者の顔ではない……極道者の顔としてどう活動をしているのか、恭次郎ですら情報を掴めない時がある。普段何をしているのかをこと細かく知っているのは会長付のドライバー兼秘書のまだ年若い大崎と数名。ある時は人知れず日本からいなくなっていた事もあったか。
恭次郎も知らない櫻子の裏の顔。
それを櫻子は教えてくれない。
三島櫻子は強い女であると分かっている。
彼女が高校生の時からずっと……知っているのに。
「ん……」
ぽとり、とジャムが皿に落ちる。
そんな小さな呻きよりももっと艶のある、ベッドの中での彼女の堪えるような呻きも知っているのに。
だからこそ、惚れている部分もある。
孤高の女が見せる、秘めたる美しさに心底惚れている。
櫻子の座っている正面に恭次郎も座ってスマートフォンを片手に自らの右腕である足立に「臨時総会の算段を立ててくれ、会長命令だ」と言葉を付ける。
電話口の向こうでも空気がひりつく。通常、殆どの事は恭次郎が取り仕切っていたが“会長命令”ともなれば話は変わる。
「ああ、場所は本部でいい」
だろ?とアイコンタクトを取る恭次郎に無言で小さく頷く櫻子の肯定。
恭次郎も電話をしながら軽い食事をしている櫻子の様子を見ていた。
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