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第1話
享楽に耽る (4)
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同日の昼、桜東会が所有している十五階建ての商業ビル。
一階や地下階はコンビニやレンタルオフィス、二階から十二階までにはビジネスホテルが入り、それより上の十五階までの三階層すべてが桜東会のオフィスとなっている中層ビル――その最上階の会長室にいた恭次郎はデスクに置いてあった私用のスマートフォンに櫻子から「夜、時間を作って。席は私が用意する」とのごく短い一文が送られてきたのをすぐに確認する。
朝に誘ったものの一度、断られてしまっていたが櫻子からまた誘われるのは素直に嬉しい。
昨日はフレンチディナーにしたから今夜はなんだろうか。
二日続けての櫻子とディナー……そうしたらまた櫻子の体を、とふと考えて恭次郎は我に返る。
(盛ってるガキじゃあるまいし)
ただ、なんだろうか。
普段はとてもクールと言うか、自分たちの世界で言う“硬派”な印象を強く持つ櫻子が素肌になって髪を乱し、自分がもたらす律動に揺れ動く様はいつまでも眺めていたいと思う程にとても美しかったのだ。
(だからまあ昨日、櫻子と食事をする前にマジで一発抜いてた、とか)
知られたくねえなあ、と恭次郎は思う。
愛している女との夜を長く楽しみたいからと言う、それこそ子供じみた考え。しかしそのせいで若干、櫻子に要らぬ誤解をさせてしまっていた。
抱きたいのは櫻子ひとりだけなのに……と、彼の私用の端末の中には一枚だけ、優しく笑っている櫻子の写真が入っている。いつだったかの酒の席で、珍しく酔っぱらっていた彼女が見せた綺麗な横顔。
普段は笑う事もない。
肉体関係を持つ恭次郎でさえ、櫻子の心からの笑顔など殆ど見たことはなかった。
そうさせているのは彼女に流れる三島の血。
彼女は、彼女だけが“本家”に生まれた唯一の子女。育つまでは危険だからと無事に大学を卒業するまでは“末席の分家の娘”として育てられていた。
そして反対に三島の血が一切混じっていない恭次郎が櫻子の身代わりとばかりに“本家の血が流れている男子”として三島本家で育てられた。
舎弟頭、本部長、若頭と着々と上り詰め……三島組が創設した東京の極道を纏める連合組織“桜東会”の本部若頭、そして今は一見空席と見られている四代目会長の代行として、脅威の象徴かのような肉体を持って君臨している。
小さな頃から本家の娘でありながら隠されるように育てられていた櫻子はずっと思い悩んでいた筈。東京最大の極道を統括する組織の一人娘――友人はおろか、ろくに恋愛もした事が無かっただろうと恭次郎は推測していた。
五つ年上だった恭次郎もある時を境に櫻子が一人で住んでいたアパートに先代の会長、櫻子の本当の父親公認でよく訪れるようになり、最初は兄貴分として振る舞ってはいたが――いつしか孤独な彼女を守れるのは自分しかいないのだと妙な正義感が沸いてしまった。
(育ての親の会長からも頼まれちまったしなあ)
大切な一人娘の櫻子を守ってやってくれ、と直接言葉を掛けられた。どうやら自分はその存在の為だけに本家三島の家で育てられていたのだと……しかしその時既に恭次郎は彼女に惚れており、だから彼女の身代わりとして上り詰めて行った。
恭次郎は自分の生い立ちをずっと黙っている。
あの日、あの現場で泣いていた子供の自分の手を引いた男……三島本家の血が流れているとうそぶいてまで不自由なく生かしてくれた今は亡き人の思惑。
実の息子のように育ててくれた理由は本当に、遠巻きに見せてくれた綺麗な女性の手に引かれて歩く可愛らしい小さな女の子の為だけにあったのだろうか。
時代が時代、あらゆるコネクションと現金で“孤児”となった身をどうにかしてしまったのだろう。当時の法律上、恭次郎の後見人となった弁護士も裏では……それくらい、桜東会は裏社会を支配していた。
三島本家どころか一族との血縁関係、戸籍すら関係が一切ない立場だったにも関わらず表向きは本家組長である三代目会長が櫻子が生まれる前に外で作ってきた非嫡出子と偽られていた恭次郎。会長の座が突如として空いてしまった一年前、桜東会会長代行への若くしての就任に反対する者は誰もいなかった。
言い触らすだけなら、どうとでもなる。
今でこそ恭次郎は正式に通称名からの改姓で三島の姓だけは手に入れているが元は苗字も違うし、両親も存在していた。
恭次郎は三島の本家長男らしい順風満帆な出世街道を歩む男、と外部の者は誰しもが思っていた。
恭次郎は会長室内にパーティションで仕切られた端にあるデスクに着いて控えていた足立の所に顔を出し「櫻子とディナーの約束が入った。だから夜はこのまま空けておいてくれ」と伝える。
「承知しましたが恭次郎さん、宜しいんですか」
「何がだ」
「頻繁に会長と接触されるのは……恭次郎さんご自身が避けていた事ですし」
「まあ今回は会長サマ自らのお誘いだからなあ」
足立の言葉は正しい。
櫻子の存在を守りたいからこそ、あまり頻繁には会えない。
組織として重要な案件は櫻子が扱っているが――本当ならもっと大っぴらに堂々と付き合いたいものだがそうは行かない関係性。
ずっと孤独だった彼女と体の関係を結んだのは櫻子がまだ二十四、五のあたりだった。しかも櫻子の方から「抱いて欲しい」と言ってきて、どんな思いと覚悟で自分にそれを伝えたのか、と何度も本当に良いのか聞き直してしまいには「しつこい」と逆に怒られた過去がある。
その時の恭次郎は自分が持つ全ての優しさと思いやりを差し出して櫻子の体を傷つけないように丁寧に暴いた。
互いに思い合ってはいた。
けれどその恋心はあまりにも複雑で。
当時は年齢差も遠く感じていたが今となっては……三十を越えると割とどうでも良くなってくるというか、体の相性は良かったようで時々、人目を避けて二人だけの夜を過ごしている。
それが昨晩。
そして今日の思いがけない約束。
一階や地下階はコンビニやレンタルオフィス、二階から十二階までにはビジネスホテルが入り、それより上の十五階までの三階層すべてが桜東会のオフィスとなっている中層ビル――その最上階の会長室にいた恭次郎はデスクに置いてあった私用のスマートフォンに櫻子から「夜、時間を作って。席は私が用意する」とのごく短い一文が送られてきたのをすぐに確認する。
朝に誘ったものの一度、断られてしまっていたが櫻子からまた誘われるのは素直に嬉しい。
昨日はフレンチディナーにしたから今夜はなんだろうか。
二日続けての櫻子とディナー……そうしたらまた櫻子の体を、とふと考えて恭次郎は我に返る。
(盛ってるガキじゃあるまいし)
ただ、なんだろうか。
普段はとてもクールと言うか、自分たちの世界で言う“硬派”な印象を強く持つ櫻子が素肌になって髪を乱し、自分がもたらす律動に揺れ動く様はいつまでも眺めていたいと思う程にとても美しかったのだ。
(だからまあ昨日、櫻子と食事をする前にマジで一発抜いてた、とか)
知られたくねえなあ、と恭次郎は思う。
愛している女との夜を長く楽しみたいからと言う、それこそ子供じみた考え。しかしそのせいで若干、櫻子に要らぬ誤解をさせてしまっていた。
抱きたいのは櫻子ひとりだけなのに……と、彼の私用の端末の中には一枚だけ、優しく笑っている櫻子の写真が入っている。いつだったかの酒の席で、珍しく酔っぱらっていた彼女が見せた綺麗な横顔。
普段は笑う事もない。
肉体関係を持つ恭次郎でさえ、櫻子の心からの笑顔など殆ど見たことはなかった。
そうさせているのは彼女に流れる三島の血。
彼女は、彼女だけが“本家”に生まれた唯一の子女。育つまでは危険だからと無事に大学を卒業するまでは“末席の分家の娘”として育てられていた。
そして反対に三島の血が一切混じっていない恭次郎が櫻子の身代わりとばかりに“本家の血が流れている男子”として三島本家で育てられた。
舎弟頭、本部長、若頭と着々と上り詰め……三島組が創設した東京の極道を纏める連合組織“桜東会”の本部若頭、そして今は一見空席と見られている四代目会長の代行として、脅威の象徴かのような肉体を持って君臨している。
小さな頃から本家の娘でありながら隠されるように育てられていた櫻子はずっと思い悩んでいた筈。東京最大の極道を統括する組織の一人娘――友人はおろか、ろくに恋愛もした事が無かっただろうと恭次郎は推測していた。
五つ年上だった恭次郎もある時を境に櫻子が一人で住んでいたアパートに先代の会長、櫻子の本当の父親公認でよく訪れるようになり、最初は兄貴分として振る舞ってはいたが――いつしか孤独な彼女を守れるのは自分しかいないのだと妙な正義感が沸いてしまった。
(育ての親の会長からも頼まれちまったしなあ)
大切な一人娘の櫻子を守ってやってくれ、と直接言葉を掛けられた。どうやら自分はその存在の為だけに本家三島の家で育てられていたのだと……しかしその時既に恭次郎は彼女に惚れており、だから彼女の身代わりとして上り詰めて行った。
恭次郎は自分の生い立ちをずっと黙っている。
あの日、あの現場で泣いていた子供の自分の手を引いた男……三島本家の血が流れているとうそぶいてまで不自由なく生かしてくれた今は亡き人の思惑。
実の息子のように育ててくれた理由は本当に、遠巻きに見せてくれた綺麗な女性の手に引かれて歩く可愛らしい小さな女の子の為だけにあったのだろうか。
時代が時代、あらゆるコネクションと現金で“孤児”となった身をどうにかしてしまったのだろう。当時の法律上、恭次郎の後見人となった弁護士も裏では……それくらい、桜東会は裏社会を支配していた。
三島本家どころか一族との血縁関係、戸籍すら関係が一切ない立場だったにも関わらず表向きは本家組長である三代目会長が櫻子が生まれる前に外で作ってきた非嫡出子と偽られていた恭次郎。会長の座が突如として空いてしまった一年前、桜東会会長代行への若くしての就任に反対する者は誰もいなかった。
言い触らすだけなら、どうとでもなる。
今でこそ恭次郎は正式に通称名からの改姓で三島の姓だけは手に入れているが元は苗字も違うし、両親も存在していた。
恭次郎は三島の本家長男らしい順風満帆な出世街道を歩む男、と外部の者は誰しもが思っていた。
恭次郎は会長室内にパーティションで仕切られた端にあるデスクに着いて控えていた足立の所に顔を出し「櫻子とディナーの約束が入った。だから夜はこのまま空けておいてくれ」と伝える。
「承知しましたが恭次郎さん、宜しいんですか」
「何がだ」
「頻繁に会長と接触されるのは……恭次郎さんご自身が避けていた事ですし」
「まあ今回は会長サマ自らのお誘いだからなあ」
足立の言葉は正しい。
櫻子の存在を守りたいからこそ、あまり頻繁には会えない。
組織として重要な案件は櫻子が扱っているが――本当ならもっと大っぴらに堂々と付き合いたいものだがそうは行かない関係性。
ずっと孤独だった彼女と体の関係を結んだのは櫻子がまだ二十四、五のあたりだった。しかも櫻子の方から「抱いて欲しい」と言ってきて、どんな思いと覚悟で自分にそれを伝えたのか、と何度も本当に良いのか聞き直してしまいには「しつこい」と逆に怒られた過去がある。
その時の恭次郎は自分が持つ全ての優しさと思いやりを差し出して櫻子の体を傷つけないように丁寧に暴いた。
互いに思い合ってはいた。
けれどその恋心はあまりにも複雑で。
当時は年齢差も遠く感じていたが今となっては……三十を越えると割とどうでも良くなってくるというか、体の相性は良かったようで時々、人目を避けて二人だけの夜を過ごしている。
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