【姫初め♡2025】『虎治と千鶴 ―― 硬派なヤクザと初心なお嬢』

緑野かえる

文字の大きさ
上 下
5 / 15

5 妙な気分になっちまう

しおりを挟む
「何とも、凄いものを見たな」
「うむ。見事なまでの乳揺れだったの」

 孫三郎まござぶろうが真顔で下らないことを言い、静馬しずまはついついつまづきかける。

「どこを見とるのだ、どこを」
「女だてらにあそこまで動けるとは、きっと只者ではない」
「護身用に、組討くみうち(格闘術)でも習っていたのではないか」
「にしても、挙動が鋭すぎる。きっとしのびの類だの」

 そんな推論を聞きながら、静馬には疑念が生じる。
 あの女が普通でないのも確かだが、孫三郎の目端めはしの利き方こそ異常なのではないか。
 ふくらむ違和感を心の中で棚上げにし、静馬は少し話を変えた。

「しかし、あの連中は大丈夫かな」
「問題なかろう」
「聞くところによれば、市井しせい喧嘩沙汰けんかざたも厳罰化してるそうだが」
「喧嘩などなかった、という扱いで終わるだろうて」

 断言する孫三郎だが、静馬はもう一つ得心とくしんがいかない。

「確かに、一方的過ぎて勝負にならなかったが」
「そうではない。あれだけ武士の体面に拘っていた奴が、抜刀の末に素手の女を相手に惨敗した、などと訴え出られると思うか?」
「あぁ……そうか。それもそうだな」

 命を惜しまず体面やら矜持きょうじやらを守る、そんな生き様があってもいい。
 だが強請ゆすたかりに精を出している最中、あの浪人の守ろうとしたそれは何処に行っていたのやら。
 静馬の白けた雰囲気を察してか、孫三郎が話を続ける。

「しょうもない男ではあるが……あれも環境の犠牲者なのかもな」
「というと、例の『野焼き』でのあぶれ者か」

 静馬の出した単語に、孫三郎はゆっくり頷く。
 小田原攻囲の最中、嫡男の鶴松つるまつ夭折ようせいしたとの報を受けた秀吉は、周囲の諫言かんげんを無視して北条方の支配下にある上野こうずけの諸城を放棄させるだけの条件で和睦わぼくし、陣を解いて全面撤退する判断を下す。
 我が子をいたんでの判断は、人としては同情するに値するものだったが、天下人としてはがたい暴挙となった。

 秀吉の命で長期の出陣をしていたのが全て無駄働きになった挙句、未曾有みぞうの規模で行なわれた鶴松の葬儀や、慰霊や追悼のための各種式典の数々への参加を余儀よぎなくされ、更にはそれらの費用の負担までも強制された大名の間には、当然ながら豊臣政権への不満と不信の声が渦巻くこととなる。

 明智光秀の謀反によって信長と信忠が横死した後、その光秀に勝利を収めた秀吉は混乱する織田家中の跡目争いを制し、信長の一族から権力を簒奪さんだつして今日こんにちの地位に就いている。
 なので臣従している諸侯にとっては、道義的には秀吉を主君として仰ぐ筋合いはない。
 豊臣政権の基盤を支えているのは、圧倒的な武力による連戦連勝の実績と、勝利の結果として得た富の気前良い分配だ。

 しかし、対北条戦の頓挫とんざでその両方が途絶えた上に、大局を無視して私情に流される愚か者なのではないか、との疑惑が生じてしまったのだ。
 世継ぎを失った動揺と、高まる悪評への焦りは、秀吉に更なる愚行を選ばせた。
 小田原攻めで失策のあった者や、和睦への反対意見を述べた者への懲罰ちょうばつを名目とする大々的な粛清がそれで、世間では『太閤の野焼き』と呼ばれている。

 豊臣政権としては、家の取り潰しや知行の召し上げの乱発は、恩賞用の土地の確保と、反抗的な大名への恫喝どうかつを行う一石二鳥の妙案――となるはずだった。
 だが、その結果は浪人の急増によって治安を悪化させ、強権政治への反感を増大させただけに終わり、不穏な気配のくすぶる現状を作った最大の原因と考えられている。

「あの無能ザルもまぁ、しょうもない真似をしてくれたわ。天下はまだまだ荒れるぞ」
「楽しそうだな、孫三郎」
「あっふぁっふぁっ、ちょっとばかり暴れ足りなくての――それに、秀吉サルとその手下の国造りは、民百姓を軽んじ過ぎとるでな」

 孫三郎の語りに、いつになく真摯しんしな何かが混ざっている感じがするが、そこに触れてもきっとはぐらかされてしまうのだろう。
 そう考えて、静馬は曖昧あいまいな微笑だけを返しておいた。

「お、ここではないのか」

 孫三郎の指差す方向に、探索所の建物が見えた。
 白木に『公儀探索所こうぎたんさくしょ』と墨書された看板、そこに捕縛に用いられる荒縄と手鎖てぐさりが吊るされているのは、各地に置かれた探索所に共通の意匠だ。
 入り口では二名の門番が周囲に警戒の視線を巡らせ、その傍らには新たな賞金首の手配書が貼り出された高札が立てられている。

「京や堺でも見かけたが、何処も似た感じだの」
「探索所とはこういうものだ、との印象を持たせようとして、狙って構えを似せてるのではないかな」

 そんな話をしながら、静馬は門番に手形を示して敷地内へと入り、孫三郎も後に続く。
 世間で人狩りや賞金稼ぎと呼ばれる探索方は、一応は検断けんだんつかさどる役人の末端に位置付けられているが、決まった職務や俸給は用意されていない。
 探索方がこの場で得られるのは賞金首の情報と、賞金首を連行するか殺害した場合の賞金のみ。

 不逞浪人による犯罪の激増への対策として、同じ浪人に権限を与えて罪人を取り締まらせようとしたのが、公儀探索所の始まりだ。
 探索方の身分を保証する手形は、去年の探索所設立時に二百枚ほど発行された。
 静馬もその時に手に入れたのだが、犯罪の凶悪化・組織化による賞金の高騰こうとうもあって、探索方に就くのを希望する者が後を絶たず、現在ではかなり厳しい審査が行われているらしい。

「ついワシも入ってしまったが、問題ないかの」
「人を雇って、集団で仕事をしてる連中も多いしな。多分平気だろう」

 二人は敷石で舗装された短い道を抜け、建物内へと入っていく。
 中はそこそこ広いが人は少なく、係員が数名と探索方らしい若い男が一人いるだけだ。
 探索方が幾人も集まって情報交換などをしていた、京や安土の探索所とは雰囲気が違うな、と思いつつ静馬は受付役と思しき係員に声をかける。

首実検くびじっけんを願いたい」
「して、賞金首の名と罪状は」
山室帯刀やまむろたてわき、『三日月の山室』だ――罪は複数の殺し、それに追剥おいはぎ

 そう告げて、静馬は身分を証明する手形を見せる。
 続いて三日月槍と首の塩漬けが入った樽、死体から回収した書き付けや手紙を渡す。

しばし待たれよ」

 係員は他の同僚と共に、書類をまとめた帳面ちょうめんめくっている。
 賞金首の情報は罪状別に管理されているらしく、表紙には『追剥』の文字が見えた。

「見当たらんな」
「それなら、こちらでは」

 係員達は小声で言い交わし、いくつもの帳面を持ち出して人相書との照合を続けている。
 治安の悪化で賞金首も急増しているのか、管理も行き届かなくなっている様子だ。

「賞金首を討ったか」

 見知らぬ声に振り返ると、来た時から姿の見えていた若い男が立っている。
 人を自然と身構えさせるけんのある目付きと、着ている羽織の質の良さと、人斬りに特有な剣呑けんのんな気配と、腰の大小に見える装飾の豪華さが、どうにも釣り合いが取れていない。
 妙に警戒心を煽ってくる男だな――そう思いつつも、静馬はそれを表に出さないように応じる。

「ああ、安い首を一つだけ、だがな。お主は情報集めか」
「まぁ、そうだな。にしても、その若さで大したものよ。これが初めての仕事かね?」
「いや、三度目になる」
「ふふふ――末恐ろしい。急がねば我の仕事が残らんかもな」

 二つ三つしか年が違わないであろう男の言葉は、初対面らしからぬ馴れ馴れしさを感じさせるものだったが、静馬はそういう次元とは違う不快さを感じていた。
 若さ故にあなどられるのも仕方ないし、実害がなければいくら見下されようと受け流せる程には、軽い扱いにも慣れている。

 しかし男の態度は、どうもそういったものとはズレがあった。
 声に底意というか悪意というか、どうにも素通りできない棘が含まれていてかんさわるのだ。
 面倒な相手と縁を持ってしまったな、との思いを伏せながら静馬は男との雑談に応じることとなった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

虚弱なヤクザの駆け込み寺

菅井群青
恋愛
突然ドアが開いたとおもったらヤクザが抱えられてやってきた。 「今すぐ立てるようにしろ、さもなければ──」 「脅してる場合ですか?」 ギックリ腰ばかりを繰り返すヤクザの組長と、治療の相性が良かったために気に入られ、ヤクザ御用達の鍼灸院と化してしまった院に軟禁されてしまった女の話。 ※なろう、カクヨムでも投稿

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

愛し愛され愛を知る。【完】

夏目萌(月嶋ゆのん)
恋愛
訳あって住む場所も仕事も無い神宮寺 真彩に救いの手を差し伸べたのは、国内で知らない者はいない程の大企業を経営しているインテリヤクザで鬼龍組組長でもある鬼龍 理仁。 住み込み家政婦として高額な月収で雇われた真彩には四歳になる息子の悠真がいる。 悠真と二人で鬼龍組の屋敷に身を置く事になった真彩は毎日懸命に家事をこなし、理仁は勿論、組員たちとの距離を縮めていく。 特に危険もなく、落ち着いた日々を過ごしていた真彩の前に一人の男が現れた事で、真彩は勿論、理仁の生活も一変する。 そして、その男の存在があくまでも雇い主と家政婦という二人の関係を大きく変えていく――。 これは、常に危険と隣り合わせで悲しませる相手を作りたくないと人を愛する事を避けてきた男と、大切なモノを守る為に自らの幸せを後回しにしてきた女が『生涯を共にしたい』と思える相手に出逢い、恋に落ちる物語。 ※ あくまでもフィクションですので、その事を踏まえてお読みいただければと思います。設定等合わない場合はごめんなさい。また、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。

狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜

羽村美海
恋愛
 古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。  とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。  そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー  住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……? ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ ✧天澤美桜•20歳✧ 古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様 ✧九條 尊•30歳✧ 誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭 ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ *西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨ ※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。 ※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。 ※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。 ✧ ✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧ ✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧ 【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

処理中です...